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 越戸川・谷中川を歩く


 2016年11月12日

朝霞駅(東武東上線)・・・広沢の池・広沢観音・・・県道109号(川越街道)・越戸川・・(旧川越街道)・・・土橋児童遊園・・(東京地下鉄和光検車区)・・・(東武東上線)・・・広沢の池からの流れ合流地点・・・越戸橋(県道112号)・・・強清水・・・日の出橋・・・上谷津橋・・・谷中川合流地点・・・谷津橋・・・下谷津橋・・・赤池橋・・赤池親水公園・・・新東和橋(国道254号)・・東和橋・・・新河岸川水循環センター(荒川右岸下水道事務所)・・・新河岸川合流地点・・・・谷中川合流地点・・新倉ふれあい橋・・・地蔵橋・(東京外環道)・・・向原橋・・・柿ノ木坂児童公園・大正橋通路・柿ノ木坂下・・・馬頭観音・・新倉ふるさと民家園・・・まました橋・・・谷戸稲荷神社・・・協和橋・・地蔵祠・・・ふれあい橋・・・谷中隧道(東武東上線)・・・ワンパク公園・・・(写研)・・・県道109号(川越街道)・・・くらやみ坂下(旧川越街道)・谷中川暗渠地点・・・和光市駅(東武東上線)

   【ル−ト地図



越戸(こえど)川・谷中川流路略図
七ツ釜(自衛隊朝霞駐屯地内)が源流
越戸川を新河岸川まで下り、谷中川を合流地点から遡る。



広沢の池 《地図
かつての広沢原の崖下の湧水池で、越戸川の水源の一つ。
池の水は根岸台・新倉の水田の灌漑用水として利用されていた。
現在は東西約50m、南北25m、面積約1000uの池

   
池のほとりの不動明王(文久2年(1862)・広沢観音堂


広沢の池から暗渠となって越戸川へ流れて行く。


   
越戸川の源流の七つ釜方向(左)・下流方向(右) 《地図
ここを越戸川歩きの起点とし旧川越街道を横切り下流(北)に向かう。


   
東京地下鉄和光検車区沿いから、検車区内を暗渠となって流れて行く。
検車区内の池も越戸川の水源の一つのようだ。


   
ここから開渠となって東上線をくぐって行く。



広沢の池からの流れの合流地点 《地図



強清水(こわしみず) 《地図》(右岸)


ダジャレのような「強清水」(こわしみず)の由来話は、
清瀬市にもある。『清瀬市の坂



日の出橋から上流方向
魚は上流には行けないか。


   
「鉄の川」と呼ばれた鉄製の護岸(左)
「鉄」の川から「哲」学の川へと溶岩製の護岸(右)

   
説明板・護岸図



谷中川(右)合流地点 《地図



赤池親水公園 《地図



東和橋から下流方向
この先、川沿いに道はないが右岸の草むらを進む。


新河岸川との合流地点近くだが草深くなって、ここまでとして引き返し、
内間木橋(新河岸川)へ迂回する。 《地図
右上の白い建物は朝霞水門



内間木橋(新河岸川)から下流方向
右から越戸川が合流するのだが見えにくい。


新河岸川左岸から越戸川(正面) 《地図


谷中川との合流地点まで戻る。


左へ谷中川を遡る。



東京外環道をくぐって行く。
下は地蔵橋で、地蔵堂は柿ノ木坂上に移されているようだ。
地蔵堂あたりの台地上に旧石器時代から平安時代までの
複合遺跡の柿ノ木坂遺跡がある。



下流方向
このあたりは川沿いは歩けない。


   
漆台通りの民家園への坂の途中の馬頭観音(右は寛政4年(1792))
右は民家園の向かい側の不動明王(中)                         


   
新倉ふるさと民家園(旧冨岡家住宅)  《地図


説明板



谷戸稲荷神社 《地図



地蔵さん(協和橋の東方のT字路))



東上線をくぐる谷中川(上流方向)
左の谷中隧道に迂回する。



写研の敷地内を流れている。《地図


   
県道109号から下流方向・上流方向(右)は緊急避難路になっている。



旧川越街道のくらやみ坂下から上流方向 《地図
この先は理研の敷地内から、自衛隊朝霞駐屯地の南側の
和光樹林公園、大泉中央公園へと続くようだ。
越戸川と同じく七ツ釜の一つが水源(だった)か?

ここを谷中川歩きの終点とし、和光市駅に向かった。



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