@「一心六阿弥陀二之巻」 「<前略> さてこの六阿弥陀の武蔵の国に立ち給ふ根元を尋ぬるに、沼田と申す侍一人娘を持ち給ふなり。川を隔て豊島といふ在所へ縁につき侍んべりて年月を送り給ひ心も打ち解けり。或日の徒然に互の物語の上にて豊島殿、北の方に向ひ申されけるは、其の方の親沼田殿は二人ともなき一人婿に引出物をなし給ふてかゝる見苦しきものを賜ることは我等を賤しめ給ふか、又は家に伝わる宝もなきか、この一腰は土民百姓もかゝるものをば婿引出物には出されまじきに、一城一家を守る大将とも思われず心のうちのおこがましやと。北の方に向き舅の事を罵り給ふ。姫君は聞し召し一家の惣領と生まるる身の女性たりとも心は男子に劣るべきか、我男子の身にてもあらば人もいふべからず、我も言わせまじ女性の身の浅間しや。かかる事を目前に聞きておる身の因果の浅間しやと思召し親里へも帰らず、姫君を始め供の上臈五人主従六人の人々は、沼田川へ身を投げて花の姿も散り果て給ふ事憐れなり。父上沼田殿はこの由を聞し召し、気も魂も消え入りて姫諸共に身を投げて底の水屑となるべしと嘆き給ふ事は御道理なり。
<中略> (これより沼田殿熊野へ参詣し光明木を得る)
沼田殿未だ武蔵の国に帰らぬに六阿弥陀の光木は沼田の川に着きにけり。其の折節に行基菩薩は諸国修行の其の為に、武蔵の豊島に仮りの宿りをし給ふ。かの光明木の光輝きて見え侍るなり。この木の由来を御尋ねある由を沼田殿聞し召し、始め終りを行基菩薩に御語りありて、今の六阿弥陀を作り給ふものなり。この道理をもって六阿弥陀は女人成佛、親子の因果の罪科を消滅するの阿弥陀なり。殊にこの阿弥陀に参詣の女人は成佛の流灌頂を阿弥陀と熊野権現を頼みていたす道理なり。<後略>」 (『北区の札所』より) |