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六阿弥陀の縁起・伝説

娘の名 嫁ぎ先 娘が身を投げた川
@一心六阿弥陀二之巻 武蔵国の沼田の侍の沼田殿 豊島の豊島殿 沼田川(荒川に流れ込んでいた川?)
A太田蜀山人の「ひともと草」による各寺の縁起
一番西福寺 豊島左衛門尉清光 沼田足立少輔 荒川
二番延命寺 沼田庄司 隣県の豪家
三番無量寺 足立庄司従二位宰相藤原正成 豊島左衛門尉清光
四番与楽寺 豊島の郡主庄司左衛門清光 足立の豪家沼田治部少輔
五番常楽院 沼田庄司 豊島左衛門 荒川
六番常光寺 足立庄司従二位宰相藤原正成 足立姫 豊島左衛門尉清光 荒川
B六阿弥陀伝説(足立区のHP) 足立庄司宮城宰相 足立姫 豊島左衛門尉清光 荒川
Cあだちの民話・伝説 足立郡の足立庄司 足立姫 豊島郡の長者 沼田川
D王子の伝説 豊島郡の庄司左衛門清光 足立郡の沼田治部少輔 沼田川


@「一心六阿弥陀二之巻」 「<前略> さてこの六阿弥陀の武蔵の国に立ち給ふ根元を尋ぬるに、沼田と申す侍一人を持ち給ふなり。川を隔て豊島といふ在所へ縁につき侍んべりて年月を送り給ひ心も打ち解けり。或日の徒然に互の物語の上にて豊島殿、北の方に向ひ申されけるは、其の方の親沼田殿は二人ともなき一人婿に引出物をなし給ふてかゝる見苦しきものを賜ることは我等を賤しめ給ふか、又は家に伝わる宝もなきか、この一腰は土民百姓もかゝるものをば婿引出物には出されまじきに、一城一家を守る大将とも思われず心のうちのおこがましやと。北の方に向き舅の事を罵り給ふ。姫君は聞し召し一家の惣領と生まるる身の女性たりとも心は男子に劣るべきか、我男子の身にてもあらば人もいふべからず、我も言わせまじ女性の身の浅間しや。かかる事を目前に聞きておる身の因果の浅間しやと思召し親里へも帰らず、姫君を始め供の上臈五人主従六人の人々は、沼田川へ身を投げて花の姿も散り果て給ふ事憐れなり。父上沼田殿はこの由を聞し召し、気も魂も消え入りて姫諸共に身を投げて底の水屑となるべしと嘆き給ふ事は御道理なり。
<中略> (これより沼田殿熊野へ参詣し光明木を得る)
 沼田殿未だ武蔵の国に帰らぬに六阿弥陀の光木は沼田の川に着きにけり。其の折節に行基菩薩は諸国修行の其の為に、武蔵の豊島に仮りの宿りをし給ふ。かの光明木の光輝きて見え侍るなり。この木の由来を御尋ねある由を沼田殿聞し召し、始め終りを行基菩薩に御語りありて、今の六阿弥陀を作り給ふものなり。この道理をもって六阿弥陀は女人成佛、親子の因果の罪科を消滅するの阿弥陀なり。殊にこの阿弥陀に参詣の女人は成佛の流灌頂を阿弥陀と熊野権現を頼みていたす道理なり。<後略>」 (『北区の札所』より)

A太田蜀山人の「ひともと草」による各寺の縁起 「<前略> その外の六の寺の縁起、いづれもその事同くして、その名の異なるこそあやしくおぼろしけれ。まづ一番にては豊島左衛門尉清光の女を、沼田足立少輔に嫁すといひ、二番には沼田庄司の女を隣県の豪家に、三番と六番には足立庄司従二位宰相藤原正成の女を、豊島左衛門尉清光に。四番には豊島の郡主庄司左衛門清光の女を、足立の豪家沼田治部少輔に。五番には沼田庄司の娘を豊島左衛門にめあはすとしるせり」 (『北区の札所』より)
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