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 東京散歩(新宿区・中野区)

 
 2019年11月9日

東新宿駅(都営大江戸線)・・・稲荷鬼王神社・・・小泉八雲旧宅跡・・小泉八雲記念公園・・・全龍寺・・・長光寺・・・(西武新宿線)・・・皆中稲荷神社・・・(JR中央線)・・・円照寺・・・鎧神社・元天神社・・・蜀江坂・・蜀江坂公園・・・淀橋咳止地蔵・・稲荷社・・・淀橋(神田川)・(中野区)・青梅街道・・・中本一稲荷神社・・・(山手通り)・・・宝仙寺・・・慈眼寺・・・鍋屋横丁交差点(鎌倉街道(中の道)交差地点)・・・石神井道(所沢道)分岐地点・・新中野駅(地下鉄丸ノ内線))

  【ル−ト地図



稲荷鬼王神社
大久保村の氏神であった稲荷神と、熊野から勧請されていた鬼王権現を合祀し、
稲荷鬼王神社となった。
平将門の幼名が「外都鬼王(げづおにおう)」、「鬼王丸」といったことから、
名前を取ったという伝承もある。
この神社では節分の豆まきは、「福は内、鬼は内」と唱えるそうだ。


水鉢に刀の傷跡があるとか。




小泉八雲旧宅跡


旧宅の写真 終の棲家でもある。
松江市の旧居跡には『小泉八雲記念館』がある。(出雲の坂B





小泉八雲記念公園
故郷のギリシャをイメージし、石柱など白を基調に作られている。





皆中稲荷神社
賭け事、「当たる」ものにご利益があるそうだ。
それで若い参拝客も多いのだろうか。




円照寺
藤原秀郷は平将門討伐するため兵を上げたが、病に伏してしまった。
薬もなく、この薬師如来に祈願したところ病が治り、将門も討伐できたと伝える。
当地は、地頭柏木右衛門佐頼秀の居館跡という。
この枝垂桜は「右衛門桜」ではないようだ。


梵鐘




鎧神社
平将門滅亡の後に、その鎧を埋めて祀った。或いは藤原秀郷の鎧とも言い伝える。


元天神社(鎧神社境内)
成子天神社に遷座する前の天神社


狛犬型庚申塔(享保6年(1721))
台座が文字庚申塔になっている。




蜀江坂を下る。
ここも将門伝承地のひとつ。
説明分:「かつてこの辺りが蜀江山と称されていたためこう呼ばれる。
蜀江山の由来は、天慶の乱の時平将門(あるいは弟の将頼)が、
蜀江錦の衣の袖を落としたから、
あるいは江戸時代に三代将軍家光が鷹狩りでこの地を訪れた時、
紅葉の美しさを蜀江の錦のようだと称賛したからだという
。」
蜀江坂は目黒区にもある。坂名の由来も蜀江の錦、蜀江台に因む。
目黒区の坂C



淀橋咳止地蔵
今年は早くもインフルエンザが大流行の兆しがあるようだ。
この地蔵さんを拝めばご利益があるかも。



すぐ先にも小さな稲荷神社



淀橋(神田川)を渡って中野区へ入り、青梅街道を進む。


神田川(下流方向)
先月の台風の時にはかなり増水したようだ。



中本一稲荷神社
通称は「高稲荷」で石段を上った左側に小さな社がある。

宝仙寺は『青梅街道@』・『中野区の坂@』に記載。


慈眼寺
右は仏舎利塔

馬頭観音道標(文化13年(1816))
もとはこの先の青梅街道と石神井道(井草道・所沢道)との分岐点にあったもの。

   
台座の右側面に「右いくさ道」(井草)・左側面に「左あふめ道」(青梅)




鍋屋横丁交差点(鎌倉街道(中の道)交差地点)



青梅街道(直進)と石神井道(所沢道・右)の分岐地点
さっきの馬頭観音道標はこの分岐地点にあった。
所沢道は次回歩く。

すぐそばの新中野駅に向かった。



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