「まめだ」

 
あらすじ 市川右團次の弟子で下回りの役者の市川右三郎。芝居の立ち回りなどで、トンボが器用に切れるようになると、少しはいい役がつくので、一生懸命トンボの稽古をしている。

 実家は三津寺前の「本家びっくり膏」という、貝殻に詰めた膏薬を商っている薬屋で今は母親が一人で店をやっている。右三郎は怪我や打撲などをすればその膏薬を塗ったりして、だんだんいい役もつくようになった。

 ある日、芝居が済んで道頓堀から帰ろうとすると雨が降って来たので、なじみの芝居茶屋で傘を借り、太左衛門橋を渡って宗右衛門町を横切り、三津寺筋を西へ入った。昔はそのあたりは寂しいところだった。

 すると傘がズシンと重くなった。傘をすぼめて見てもなにもない、開くと重くなる。
まめだ(豆狸)が悪さしやがってんねんな。ようし・・・」と、次に傘が重くなった時に、傘をさしたまま真上にトンボを切った。するとギャーと何かが地面に叩きつけられて、犬のような黒い物がよろよろしながら逃げて行った。

 翌日、芝居を終わって帰って来ると、開いた銭箱を前に、
母親 「勘定が合わんのじゃ」

右三郎 「貝一つで一銭、こんな数えやすいもんあらへんがな。お母さん、ボケたんとちゃうか」

母親 「それが一銭足らんで、銀杏の葉が一枚入ってんねん」

右三郎 「銀杏並木の落葉でも入ったんやろ」

母親 「それに今日はなあ、絣の着物を着た、見かけん陰気な子どもが買いに来たのじゃ。あれが気になるんや」

右三郎 「そんなこと、どうでもええがな。腹ペコでかなわんよって、早よ飯にしてな」、銭箱が一銭足りず、銀杏の葉が一枚入っている日が四、五日続いて、

母親 「今日は勘定はぴったし合って、銀杏の葉も入ってなかったがな。けどあの子どもも買いに来やへんやった」

右三郎 「そうかよかった。きっとうちのびっくり膏が効いて子どもも治ったんやろ」と、一件落着。

 当時は芝居は暗いうちに一番太鼓を打って、朝早くから芝居をやっていた。翌朝早く、右三郎が起きると表の通りがざわついている。近所の人が、「三津寺(みってら)はんの境内でまめだが死んでるで」、右三郎はハッっと気づくことがあり、飛んで行ってみると、子狸が体中にびっくり膏の貝殻をつけて死んでいた。

右三郎 「お母さん、ちょっと出て来なはれ。・・・このたぬき、わしが殺したようなもんや。この前、悪さしよってからに懲らしめるためにトンボ切った時、怪我しよったらしい。銀杏の葉、銭に変えて、うちの膏薬仰山買うて、・・・貝殻から薬出さずにそのまま身体につけて・・・貝殻のままつけたかて何が効くかい。ちょっと言うたら教えたるに・・・可哀想に・・・」

 和尚さんに頼んで境内の隅に埋めてもらうこととし、子狸の死骸に線香を手向け、お経を上げてもらう。近所の人がみな帰ったあと、右三郎親子と和尚が話をしていると、秋風がサーッとと吹いて来て、銀杏の落葉が子狸の死骸の回りにザァーと集まって来た。

右三郎 「お母さん、見てみ、狸の仲間から仰山香典が届いたがな」



  



三津寺 《地図》  『上方落語散歩①



宗右衛門町
♪「宗右衛門町ブルース【YouTube】



「浪花百景」道頓堀角芝居 歌川国員画

道頓堀芝居側(摂津名所図会)(『大阪市立図書館デジタルアーカイブ』)
「中座前」(大正8年頃)の写真(『大阪市立図書館デジタルアーカイブ』)







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