木紀行
(その13)
大木・巨木・古木・名木・神木・変木・枯木・珍木・
何だか気になる普通の木・・・・
『
坂道散歩
』で出会った様々な木々を並べてみました。
(241)
鶴嶺八幡宮参道の松並木
「
説明板
」
『
東海道
(藤沢宿→平塚宿→大磯宿)』
(242)鶴嶺八幡宮の大イチョウ 「
説明板
」
源義家が前九年の役の戦勝祈願に手植えたと伝える。
(243)東海道松並木 「
説明板
」
『
東海道
(藤沢宿→平塚宿→大磯宿)』
(244)
藤巻寺(等覚院)の藤
「
説明板
」
将軍家光も愛でたという。
『
東海道(大磯宿→小田原宿
)』
(245)川辺本陣跡(社会福祉法人「ゆりかご園」)
『
東海道(大磯宿→小田原宿
)』
(246)
板橋地蔵堂のイチョウ
『
東海道(小田原宿→箱根湯本
)』
(247)
千本松原
田子の浦まで続く広大な松原。外は強風だが、松の間の道は風を和らげてくれる。
『
東海道
(沼津宿→原宿→吉原宿)』
千本松原から富士山
(248)三島神社の神木の
マキ
樹齢450年以上
『
東海道
(沼津宿→原宿→吉原宿)』
(249)
水神の森・水神社
「
説明板
」
『
東海道(蒲原宿→由比宿)
』
(250)吹き上げの六本松(浄瑠璃姫の碑・墓) 「
説明板
」
『
東海道(蒲原宿→由比宿)
』
(251)飛脚屋跡(平野氏宅) 「
説明板
」
『
東海道(蒲原宿→由比宿)
』
(252)女体の森(宗像神社) 「
説明板
」
神社の森は沖の舟から灯台代わりにされ、「女体の森」と呼ばれていた。
興津宮を勧請したことから「興津」の地名の由来ともなった。
『
東海道
(由比宿→興津宿→江尻宿→府中宿)』
(253)
臥竜梅(清見寺)
「
説明板
」
徳川家康の手植えと伝える。
『龍臥して法の教えを聞くほどに 梅花開く身となりにけり』(与謝野晶子)
『
東海道
(由比宿→興津宿→江尻宿→府中宿)』
(254)ほそい(細井)の松原碑 「
説明板
」
ここも戦時中に
松根油
の原料として松原は伐採された。
左端は街道で行き倒れた「無縁さんの碑」
『
東海道
(由比宿→興津宿→江尻宿→府中宿)』
(255)首尾の松碑 「
説明板
」
「首尾」のいわれには3説あるようだ。
『
日光街道(日本橋→千住宿)
』
(256)将軍家光鷹見の松(円通寺)
寛永3年(1626)、将軍家光の放鷹の日に、鷹が円通寺の松に止まった。
それ以来、「鷹見の松」と呼ばれる。
『
日光街道(日本橋→千住宿)
』
(257)
駒込富士神社
の神木の
カヤ
幹に残る黒い焦げ跡は、昭和20年の
東京大空襲
によるものか、落雷のためか?
『
日光御成道
(本郷追分→岩淵宿)』
(258)
平塚神社
参道のイチョウ
『
日光御成道
(本郷追分→岩淵宿)』
(259)
西住笠懸の松
「
説明板
」
西行と旅をした弟子、西住との悲しい別れの物語。
二代目の松が3本か。その下の小さな石塔が西住の墓。
『
東海道
(丸子宿→岡部宿→藤枝宿)』
(260)須賀神社の神木のクスノキ
樹齢500年以上
『
東海道
(丸子宿→岡部宿→藤枝宿)』
木紀行
(その14)