木紀行
(その17)
大木・巨木・古木・名木・神木・変木・枯木・珍木・
何だが気になる普通の木・・・・
『
坂道散歩
』で出会った様々な木々を並べてみました。
(321)
桜坂
福山雅治の『
桜坂
』で有名になった。
『
中原街道@
』
(322)
追分市民の森
『
中原街道B
』
(323)椰(なぎ)の木の碑
寛文年間(1661〜72)に、この地を治めていた島津久利が
薩摩より取り寄せて植樹した。幕末の弘化元年(1844)の江戸城大火で焼失した
本丸、西の丸の復旧にこの椰の木を伐採し、中原街道で急送し復興を果たしたいう。
椰の木
はイチイ科の常緑で暖地に自生し、約20mになる高木だそうだ。
『
中原街道B
』
(324)神明宮のイチョウ
『
木下(きおろし)街道@
』
(325)稲荷木(とうかぎ)の一本松跡 「
説明板
」
排気ガスなどで枯れ死し、昭和48年伐採された。
伐採時の樹齢180年、右が切り株。
『
木下(きおろし)街道@
』
(326)千本公孫樹(葛飾八幡宮境内) 「
説明板
」
『
木下(きおろし)街道@
』
(327)不知八幡森(八幡の藪知らず) 「
説明板
」
この森に入ってはいけない理由は6説もある、訳の分からぬ森。
水戸の黄門さんもこの森に入って祟りにあったという。
「この紋どころが目に入らぬか」と
印籠を振りかざしてみても、神には通じなかったようだ。
『
木下(きおろし)街道@
』
(328)八坂神社参道
樹齢数百年のムクノキやケヤキが並ぶ。
『
筑波街道A
』
(329)
神宮寺のシダレ桜
『
筑波街道A
』
(330)
東漸寺のシダレ桜
樹齢300年以上のエドヒガンザクラ
『
水戸街道
(松戸宿→小金宿→我孫子宿)』
(331)
東源寺の榧(カヤ)の木
樹齢250年、光音禅師のお手植えのカヤと伝えられる。
千葉県天然記念物
『
水戸街道
(我孫子宿→取手宿→藤代宿)』
(332)藤代宿本陣跡の老松と百日紅(サルスベリ・左奥) 「
説明板
」
本陣を取り壊し、残ったのはこの木2本だけ。
『
水戸街道
(我孫子宿→取手宿→藤代宿)』
(333)水戸街道の松並木 「
説明板
」
松並木はここ板谷地区に残るのみ。
『
水戸街道
(荒川沖宿→中村宿→土浦宿→中貫宿)』
(334)徳兵衛地蔵堂のシイノキ
『
東金御成街道@
』
(335)東金御成街道のシイノキ 「
説明板
」
『
東金御成街道A
』
シイの根元と六十六部供養塔(天明7年(1787))
(336)金光院の桜
徳川家康が2度目の鷹狩りの時(元和元年(1615)11月16日)に宿泊したと伝え、
その時、褒め称えたという「
御手掛桜
」があったという。
『
東金御成街道B
』
(337)一里塚跡のシイノキ
向い側にも大きな椎の木があってアーチ形になっていたそうだ。
『
東金御成街道B
』
(338)
二子藤の池
藤の古木に由来する「葛飾湧水群」の溜(池)の一つで、
街道を往来する人に親しまれていた。
昭和20年代後半までは水田への引き水や、
水稲の種籾を浸けて発芽を促すタナヤ(種井)として利用され、
「タナヤの池」とも呼ばれていた。
『
成田街道A
』
(339)
葛飾神社のクロマツ
(白眉の松)
成田街道を往来する人たちから親しまれていた松。
『
成田街道A
』
(340)伊篠の松並木跡
松喰虫で枯れ死したというがまだ一部残り、旧道の面影をとどめている。
『
成田街道C
』
木紀行
(その18)