木紀行
(その33)
大木・巨木・古木・名木・神木・変木・枯木・珍木・
何だが気になる普通の木・・・・
『
坂道散歩
』で出会った様々な木々を並べてみました。
(641)
実相寺のイチョウ
「
説明板
」
樹齢約300年、雄木だが小枝に雌花がつき、ブドウ房状の実を結ぶそうだ。
『
奥州街道
(一戸宿→金田一温泉駅)』
(642)小井田の千本桂 「
説明板
」
樹齢700年以上の雄株で、幹を含め22本からなっている株立ち。
昔は小枝八幡宮の参道の一部で根元に井戸水が湧いていたという。
今でも下に井戸の蓋が残っている。
根元の株立ち?
『
奥州街道
(一戸宿→金田一温泉駅)』
(643)宗川寺の夫婦イチョウ
『
鎌倉街道(上の道A)
』
(644)
日枝神社
拝殿の右側に樹齢300年の
大ケヤキ
がそびえるのだが、写真を撮り忘れた。
『
鎌倉街道(上の道B)
』
(645)ケヤキ(中屋敷地区)
中屋敷地区
『
鎌倉街道(上の道B)
』
(646)御家中の松
推定樹齢300年のクロマツ
御家中の通り
このあたりは蝦夷のチャシ(砦・館)があったといわれている所で、
藩政時代の明暦2年(1656)以降は、
津軽家
黒石藩領で平内代官所が置かれ、
その周辺に武家屋敷を配したことで
御家中
と呼ばれる小城下町を形成していた。
『
奥州街道
(清水川駅→野内駅)』
(647)三誉(みよ)の松 「
説明板
」
樹齢400年以上
『
奥州街道
(野内駅→青森駅→奥内駅)』
(648)昇龍の松(赤平家) 「
説明板
」
樹齢500年以上、赤平家は松前藩主の参勤交代の際の宿泊所だった。
『
奥州街道
(奥内駅→蟹田駅)』
(649)傘松観世音
鳥居の左側の傘を拡げたような老松が傘松のようだ。
『
奥州街道
(奥内駅→蟹田駅)』
(650)玉松台 「
説明板
」
江戸時代、青森港や油川港へ向かう舟は、
ここの松を見て何時頃湊へ着けるかを目算し、
地元の船は灯台代わりの目印にしたと伝える。
『
民話(玉松台の狐と狢)
』
『
奥州街道
(奥内駅→蟹田駅)』
(651)玉松
枝が円を描いていて「玉」だそうだ。
(652)西国街道の松 「
説明板
」
松並木の名残りのクロマツ。
『
山陽道(西宮駅→神戸駅)
』
(653)生田の森 「
説明板
」
「
源平の合戦の史跡
」の一つ
(654)生田神社神木の楠 「
説明板
」
樹齢約500年
『
山陽道(西宮駅→神戸駅)
』
(655)和田の笠松歌碑 「
説明板
」
須佐の入江の浜にそびえ、入港船の目印になっていた松だった。
歌碑「秋風に吹きくる峰の村雨にさして宿かる和田の笠松」(
藤原為家
)
『
山陽道(神戸駅→朝霧駅)
』
(656)
長田神社
のクスノキ
根がくっついている2本のクスノキ
『
山陽道(神戸駅→朝霧駅)
』
(657)菅公手植えの松跡(旧前田家邸宅跡公園) 「
説明板
」
『
山陽道(神戸駅→朝霧駅)
』
(657-2)衣掛の松(磯馴松の3代目の切り株) 「
説明板
」
『
山陽道(神戸駅→朝霧駅)
』
(658)根上りの松(再生、生育事業中)
『
山陽道(神戸駅→朝霧駅)
』
(659)八房の梅 「
説明板
」
赤穂浪士の
間瀬久太夫
ゆかりの梅
『
山陽道(朝霧駅→加古川駅)
』
(660)焼け残った杉(十輪寺) 「
説明板
」
昭和20年の戦火で焼かれたが、
「太閤さんの木やで」の老人の一言で残ったという。
『
山陽道(朝霧駅→加古川駅)
』
木紀行
(その34)