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スコットランド歴史散歩

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交響曲第3番(スコットランド)・メンデルスゾーン作曲:YouTube

年 代 事   項
紀元前2600年~1900年頃  鐘状ビーカー文化 (Bell Beaker culture)、スコットランドで最初の住人、「ビーカー族」?
紀元前1000年頃  大陸からケルト系ピクト人Picts)が渡来(カレドニア地方) 
43年 ローマ帝国皇帝クラウディウスブリテン島南部に上陸
84年 ローマ帝国の軍人アグリコラ、カレドニアに遠征し「モンス・グラウピウスの戦」で、カルガカス率いる?ピクト人に勝利
122年 ローマ帝国皇帝ハドリアヌス、「ハドリアヌスの長城」建設 「Hadrian's Wall」 【Map
142年 ローマ帝国皇帝アントニヌス、「アントニヌスの長城」建設(~144年) 「Antonine Wall 【Map
164年  ローマ軍、ハドリアヌスの長城へ撤退し、アントニヌスの長城を放棄 
208年  ローマ帝国皇帝セヴィルス、ピクト族領に侵攻 → ピクト人のゲリラ戦による抵抗で和睦、撤退(211年) 
397年  ピクト人のニニアンがホウィットホーン(Whithorn)にカンディダ・カサ(教会)を建てる。 【Map
 「St Martin and St Ninian Church
410年 ローマ人がブリテン島から撤退
5世紀 ピクト人アルバ王国(Alba)成立(7つの小王国から上王が選ばれた)
500年頃 アイルランド系の「スコット人」、ハイランド南部に「ダルリアダ王国」建設(ファーガス2世)→ブリテン島北部が「スコット人の国」、「スコットランド」→先住のピクト人のアルバ王国との抗争・混血を繰り返す。
550年頃 アングル人、ブリテン島東南部に移住
563年 聖コロンバ(ケルト系修道院制度の父)がアイルランドからアイオナ島に渡り、キリスト教の布教が始まる。→スコット族とピクト族の融和、混血が進む。「ケルト十字架」・「アイオナ修道院」Panoramic view)  【Map
565年  コロンバがスコットランド北部での布教活動中にネス湖ネッシーと遭遇?  【Map
637年  ダルリアダ王ドナルド4世、ピクト族のクライスナイ王コンゴール・クレーンのアイルランド遠征を支援し、ラス(アイルランド)に攻め入る。(Battle of Magh Rath
664年 ウイットビーの教会会議(イングランド・ケルト系教会に対するローマ・カトリック系教会の勝利)
港町「ウィットビー」 【Map
685年 ダニチェン(Dunnichen)?(ダン・ネクテイン・DunNechtain)の戦」で、ノーサンブリア人(アングロ・サクソン人)がピクト人に敗北  【Map】(Dunnichen
8世紀末 ヴァイキングの襲来始まる(~1263年)
793年 ヴァイキングが北部イングランドのホーリー島(Holy Island)のリンデスファーン修道院を襲撃  【Map
834年  ピクト族(アルバ王国)との争いでダルリアダ王アルピン、捕縛され処刑される。 
839年 ケニス・マカルピン、ダルリアダ王に即位(ケニス1世)
843年 ケニス・マカルピン、ピクト人の王を兼任(スコット人とピクト人の統一王国の「アルバ王国」建国)
  ケニス・マカルピン、宮廷をダンスタフネイジ 【Map】 からスクーンへ移す。 
846年  ケニス・マカルピン、新首都スクーンスクーン宮殿の「スクーンの石」(運命の石)の上で戴冠式 【Map
  ケニス・マカルピン、ダンケルドをキリスト教信仰の中心地とする。
ダンケルド大聖堂」・「 Historic view of Dunkeld 」 【Map
859年頃  ケニス・マカルピン死去、タニストリー(ケルト文化圏の王位・族長位継承制度)により、弟のドナルド1世即位 
スコットランドの君主一覧」(アルピン朝
863年  ドナルド1世、ブリトン人との戦で戦死? スクーンで殺害された? →コンスタンティン1世即位
877年  コンスタンティン1世、スカンジナビアの海賊との戦で戦死→エイ即位
878年  エイ、スクーンの北で殺害→ヨーカ?、ギリク?即位 
889年  ヨーカ(ギリク)廃位→ドナルド2世即位
900年  ドナルド2世死去で、コンスタンティン2世即位→943年、南部における失地で廃位 
943年 マルカム1世Malcolm I)即位
954年  マルカム1世、ノーサンブリア領をサクソン軍に奪われ、国境の戦いで敗れて殺害→インダルフ即位
962年  インダルフ、スカンジナビア軍に敗れ殺害→ダフ即位 
967年  ダフ、エルギンの西のフォレスで従兄弟のカリンに殺害→カリン即位 【Map
971年  カリン、ファイフの豪族ロチャードの娘をかどわかしたとして殺害→ケニス2世即位 
ケニス2世、ダンケルドを流れるテイ川River Tay)を越えて北伐に乗り出す。【Map
南のエジンバラも支配下に収める。 
995年  ケニス2世、マーンズ領主の夫人フェネリアの差し金(息子を殺された恨み)で殺害される。→コンスタンティン3世即位
997年  コンスタンティン3世の戦死で、ケニス3世即位 
1005年 モンジーベアードの戦でケニス3世を殺害し、マルカム2世(破壊王)即位。 「Loch Monzievaird 」【Map
1018年 カラムの戦」で、マルカム2世がロジアンのアングロ・サクソン人に勝利 【Map
ロジアン(ストラスクライド王国)をスコットランド領に併合(ダンカンがストラスクライド王を継承)→スコウシア王国→スコットランド王国  ストラスクライド王国にはクライド川とソルウエイ川に挟まれた領域のほかに、バンバラのエアルドマンealdorman(後の伯(earl)の起源)が支配していた飛び地のカンブリアも入っていたと思われる。
1034年 マルカム2世、グラームズ城の近くで反対派に殺害される。 【Map
ダンカン1世即位(直系による継承制度)(アサル朝)→1290年まで
1039年 ダンカン1世、ダラム(イングランド北部、ノーサンブリア領の要衝地)への侵攻が失敗  【Map
1040年 従兄のダンカン1世を殺害し、マクベス即位  「コーダー城」(Cawdor Castle) (戯曲「マクベス」) 【Map
1043年  マクベス、アルピン王家の血を引くバンクォウを殺害
1045年  マクベス、ダンケルドの戦で実力者のアサル領主クリナン(ダンカン1世の父)を殺害 
1050年  マクベス、ローマへ巡礼旅行
1054年 マクベス、「スクーンの戦」で、ノーサンブリア伯シューアドの援護を受けたマルカム・キャンモア(大頭)に大敗
1057年  マクベス、「ランファナンの戦」(アバディーンの西方)で戦死 【Map】 →ルーラッハ即位
  マルカム、インヴァネス城を建造 【Map
1058年 ルーラッハ、マルカム・キャンモアによりストラスボーで殺害→マルカム3世(マルカム・キャンモア)即位、ダンファームリンに首都を移す。 「ダンファームリン修道院」  【Map
マルコム3世、オークニー諸島領主でオークニー伯シーガードの長男トールフィンの未亡人で、ノルウェー王の血を引くイーンガボーグを王妃とする。(~1065年死去)
  ハイランドゲームズの発祥(マルカム3世が足の速い伝令を選び出すためのレースを催したという伝承) 
1066年 ノルマン人、イングランドに侵入 「ノルマン・コンクエスト」(ノルマン征服)
ヘースティングスの戦」で、ノルマンディーギヨーム2世(征服王ウィリアム1世)がイングランド王ハロルド2世に大勝→ノルマン王朝(~1154年) 【Map
1068年  サクソン王家の娘、マーガレット、ノルマン征服からハンガリーへの逃亡の途中で海難に会いアルバ国へ亡命 
1069年  ウィリアム1世、イングランド北部で大虐殺(北部の蹂躙)を繰り広げる。 
1070年 マルカム3世とサクソン王家のマーガレット結婚
  王妃マーガレット、ダンファームリン修道院を建設、教会の行事や典礼をケルト式からローマ式に改革した。マーガレットは1251年、聖者の列に加えられ、「セント・マーガレット」と呼ばれることとなる。
1072年 ウィリアム1世、北征を開始する。マルカム3世、「アバネシーの和約」でイングランドへの臣従を誓う。長男ダンカンを人質に取られる。【Map
 「The village of Abernethy
1093年  マルカム3世、5度目のイングランド侵攻でアニク城で戦死 【Map】 →ドナルド3世(マルコム3世の弟)即位
1094年  ダンカン(2世)、イングランド王ウイリアム2世の援助でドナルド3世を破り即位→(半年後)ドナルドがダンカン2世を殺害し王位を奪回(~1097年) 
1097年  エドガー(平和愛好者・ダンカン2世の異母弟)、イングランド王ウィリアム2世の援助を受け、ドナルド3世を逮捕し王位に就く。 
1098年 ノルウェー王・マグヌス3世、オークニー諸島マン島ヘブリディーズ諸島を征服→スコットランド(エドガー王)はマグヌスを『島嶼部の王』(King of Isles)として承認
1107年 エドガー王、エジンバラ城で死去、ダンファームリン修道院に埋葬→アレグザンダー1世(獰猛王(Fierce))即位(~1124年) 
  アレグサンダー1世、ヘンリー1世の娘(庶子)のシビルを王妃に迎える。
1115年  アレグサンダー1世、キンカーディンシャー(現在のアバディーンシャー)地方の反乱鎮圧 【Map
1124年  アレグサンダー1世、スターリングで死去→デイヴィッド1世即位(~1153年)
  デイヴィット1世、聖人ケンティガーンが建てたグラスゴーの教会の地に司教座を置く→後にグラスゴー大聖堂 【Map
エジンバラ城内に母の聖マーガレット教会堂を建設
バラ(勅許自治都市)の創設(スターリング・パース・ダンファームリン・エジンバラなど)
1128年  ホリールード大聖堂建設 【Map
1136年  デイヴィッド1世、メルローズ修道院建設(墓地には後年、王ロバート1世の心臓が埋葬された) 【Map
  デイヴィット1世、イングランド王位の継承争い(マチルダとスティーヴン・無政府時代)に介入し、イングランド領に侵攻→1140年に和議でノーサンバーランドカンバーランドなどの支配権を獲得 
1138年  ジェッドバラ修道院建設 【Map】 
1140年  デイヴィッド1世、イングランドより得たカーライルの貨幣鋳造所で、スコットランドで初めてコインを鋳造、流通。【Map
1150年 ヒュー・デ・モーヴィルドライバラ修道院建設 【Map】 
1153年  デイヴィット1世、カーライルで死去→マルカム4世(the Maiden(未婚王・処女王)」即位
1156年  サマーレッド・マクギレブリデ (初代島嶼の王)、アイラ島沖の海戦で勝利し、インナー・ヘブリディーズを領有、支配
1157年  マルカム4世、イングランド王ヘンリー2世の要求で、ノーサンバーランドとカンバーランドの領地の支配権を放棄
1159年  マルコム4世、ヘンリー2世のフランス遠征に随行
1160年  セント・アンドルーズ大聖堂建設  【Map】 
マルコム4世、臣下のノルマン貴族にハイランド地方の部族を討伐させる。(~1164年)
1163年  ペイズリー小修道院創建(1245年に修道院に昇格)  【Map
1164年  サマーレッド、マルコム4世に戦を挑みクライド湾まで攻め込むが、裏切りで暗殺  【Map
1165年  マルカム4世、ジェッドバラで死去、弟のウィリアム1世(獅子王)即位
ウイリアム1世、ヘンリー2世のフランス遠征に随行
1168年  ウイリアム1世、仏王ルイ7世と秘密裡に仏蘇同盟を誓い合う。→1295年の「古来の同盟」へ
1174年  ウイリアム1世、ノーサンバーランドに侵攻→失敗してアニックMap】で捕縛、イングランド王に臣従するファレーズ条約を強いられる。
1180年  王許自治都市インヴァネスを市壁(溝と木柵)で囲う。
1189年  ウイリアム1世、イングランド王リチャード1世に1万マーク(merks)を支払い、臣従解除のカンタベリー協定を結ぶ。 
1192年  スコットランドの教会がイングランド大司教管轄下からローマ法皇管轄下に入る。(法皇ケレスティヌス3世の教書発布) 
12世紀末  グラスゴー大聖堂建設 
1214年  ウイリアム1世、スターリングで死去しアーブローズ修道院に埋葬 《地図》 → アレグザンダー2世即位 
1215年  イングランド王ジョン、「マグナ・カルタ」に調印
1219年  アレグサンダー2世、ヘンリー3世とスコットランド南部とイングランド北部の戦の休戦協定締結 
1221年  アレグサンダー2世、ヘンリー3世の妹・ジョアンと結婚
1224年  エルギン大聖堂建設 【Map】 
1229年 コミン(カミン)氏族ラスベン城を築造 【Map】(現Ruthven Barracks)
1236年  イングランドとの国境を東部のツイードMap】と、西部のソルウエイ湾Map】を結ぶ線に決定(ヨークで条約締結) 
1243年  セント・ジャイルズ大聖堂 建設 【Map
1249年  アレグサンダー2世、ノルウェーからのヘブリディーズ諸島の奪還を目指して、スコットランド西部へ軍を進めたが、その途中、ケレラ島Isle of Kerrera)で死去 【Map】 → アレグザンダー3世即位
1250年頃  インヴァネスのネス川に架橋 【Map
1251年  アレクサンダー3世、イングランド王ヘンリー3世の娘マーガレットと結婚
1255年  アレグザンダー3世は親政に乗り出し、摂政ジョン・ベイリャル(スコットランド王ジョン・ベイリャルの父)と王妃護衛職ロバート・ド・ロスを追放 
1261年  ヘブリディーズ諸島ノルウェーからの奪還
1263年 ラーグスの戦」(クライド湾)でアレグザンダー3世が率いるスコットランド軍が、ノルウェー王(ヴァイキング)ホーコン4世を破る。「あざみ伝説」(ラーグス伝説) 【Map
1266年 ホーコンの後継者マグヌス6世と「パース条約」締結、ヘブリディーズ諸島は正式にスコットランド領となる。
1275年  王妃マーガレット死去
1285年  アレグサンダー3世、仏のヨランドと結婚
1286年 王妃ヨランド(マーガレットの後添え)の待つ、キングホーンの離宮(Kinghorn Castle)【Map】へ向かう途中で落馬してアレグサンダー3世死亡。孫の3歳の「ノルウェイのおとめ」マーガレットがノルウエイの王宮で即位
1289年  エドワード1世、皇太子エドワードと女王マーガレットとの婚約を迫る。→翌年、スコットランドが合意、婚姻協定書
1290年 ノルウエイからスコットランドへの船旅の途中で、女王マーガレットは7歳で死亡し(アサル朝断絶)→スコットランド王空位(13人の王位継承権者)
1291年 王位をめぐってイングランド王エドワード1世の推すジョン・ベイリアルやロバート・ブルース(ロバート1世の祖父)が争う。「大訴訟」
1292年 ベリック城Map】でのイングランド王エドワード1世の裁定(ノーラムの裁定)で、ジョン・ベイリアル即位、「スクーン石」(運命の石)の上で戴冠し、エドワード1世に臣従する傀儡王となる。「Toom Tabard 」 "empty coat"(紋章無しの陣羽織))),
1294年 ギエンヌ戦争(イングランドとフランスの間 ~1297)
1295年 ジョン・ベイリアル、エドワード1世に反抗し、スコットランド王国の共同体(司教・伯爵・男爵の連合体)とフランス王フィリップ4世との間に同盟締結(「古来の同盟」)
1296年 ジョン・ベイリアル、イングランド北部に侵攻→逆にエドワード1世、スコットランドに侵攻しベリックの町【Map】を襲い、「ダンバーの戦」【Map】でベイリアルを破り、王座から降ろし「スクーンの石」(運命の石)をロンドンへ持ち去る。→スコットランド王空位(~1306年まで)
1297年 スターリング・ブリッジの戦」で、ウイリアム・ウォリスがイングランド軍に勝利、イングランド軍の指揮者、ヒュー・ド・クレッシンガム皮剥ぎにされる。【Map】→「スコットランド独立戦争
1298年 フォルカークの戦」【Map】でウォリスは敗れでフランスへ逃亡
1303年 ウォレス、スコットランドへ帰国
1304年 エドワード1世にスコットランド貴族が臣従を誓う。
1305年 ウォレスはかつての部下だったダンバートン総督ジョン・ド・メンティスの裏切りでイングランドに引き渡され、ロンドンで、首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑で処刑される。 アメリカ映画『ブレイブハート
1306年  ロバート・ブルース、グレイフライアーズ教会(ダンフリーズ)で、スコットランド王位を争うジョン・カミンClan Comyn)を刺殺 【Map
法皇クレメンス5世、ロバート・ブルースを破門→ロバート1世としてスコットランド王位を主張→「スクーンの石」の跡地で戴冠式
  ロバート1世、メスヴァンの戦でエドワード1世軍に敗北 【Map
1307年  ジェイムス・ダグラス(ロバート1世の副官)が、イングランド軍からダグラス城Map】を奪回、
グレントゥルールの戦」【Map】、「ラウダンヒルの戦」【Map】でイングランド軍に勝利
スコットランドへ出陣の途中で、エドワード1世病死→皇太子エドワード、ロンドンへ引き上げる→エドワード2世即位
1309年 ロバート1世、セント・アンドルーズで初めての議会を開く。【Map
1313年  ロバート1世、マン島のキャスルタウンのルシェン城 (Castle Rushenを陥落する。 【Map
1314年 バノック・バーンの戦」(Battle of Bannockburnで、ロバート1世軍がエドワード2世軍に勝利 【Map
1315年 ロバート1世、弟のエドワード・ロバーツを援けるためにアイルランドへ侵攻→翌年帰国
1318年  「ファウグハートの戦い」 (Battle of Faughartで、エドワード・ロバーツが殺される。 【Map
ロバート1世、ボーダーズ地方を確保→全イングランド軍はスコットランドから駆逐される。
  セント・アンドルーズ大聖堂完成→16世紀の宗教改革で破壊、廃墟 【Map】 
1320年 スコットランド貴族、教皇ヨハネス22世にロバート1世を支持する「アープロウス宣言」(スコットランド王国の独立宣言)を送付
1322年  ロバート1世、イングランドのヨークシャーまで侵攻 【Map
1326年  エドワード2世、王妃イザベラ("She-Wolf of France"「フランスの雌狼」)が起こしたクーデターで幽閉され翌年に廃位、、王妃の密命で殺害される。  
1328年 ノーサンプトン条約」で、エドワード3世がロバート1世のスコットランド王の権利を認め、スコットランドの独立を承認
  ロバート1世の長男・デイヴィット(4歳)と、エドワード2世と王妃イザベラの次女・ジョアン(7歳)が結婚 
1329年 ロバート1世死去で、長男のデイヴィット2世が5歳で王位継承(摂政・初代マリ伯ランドルフ卿 ~1332年))
エドワード3世、「アープロウス宣言」を破棄
1330年  ジェイムス・ダグラス、ロバート1世の心臓を聖地に埋葬に行く途中、アンダルシアでムーア人との戦に巻き込まれて殺害される。 
1332年 エドワード・ベイリアル(ジョン・ベイリアルの息子)、エドワード3世の後押しでスコットランドに侵攻→摂政・初代マリ伯ランドルフ卿死去
スコットランド王軍がダプリン・ムーアの戦(Battle of Dupplin Moor)【Map】で破れ、摂政の8代マー伯ドナルド・マーは敗死。エドワード・ベイリアルがスコットランド王としてスクーンで戴冠式
  アーチボルト・ダグラスジェームス・ダグラスの弟)、エドワード・ベイリアル軍をアナンで破る。【Map
1333年 エドワード3世、ベリクの北の「ハリダン・ヒルの戦」でディヴィット2世軍を破る。【Map
アーチボルト・ダグラスは戦死、デイヴィットはフランスへ逃亡
エドワード3世、ベイリアルをスコットランドの傀儡王とする。→デイヴィット2世と2人のスコットランド王
1334年  デイヴィット2世、王妃ジョアンとフィリップ6世を頼ってフランスに逃れる。(~1341年)→ロバート・スチュワートがスコットランドの摂政
1336年  エドワード3世、ブレア城を訪れる。【Map】  アバディーンを焼き討ちにする。【Map
1337年 百年戦争」始まる。「スコットランド問題
1338年  ロバート・スチュワート(摂政・後のロバート2世)、「ダンバーの戦い」で「ブラック・アグネス」(初代マリ伯ランドルフ卿の娘)の活躍によりイングランド軍からダンバー城を防衛 【Map】 「城を守るBlack Agnes」 
  アレグサンダー・ラムジー卿がイングランドに占拠されていたロクスバラ城を攻めて陥落させる。【Map】→再度、エドワード3世軍に奪われる。
1341年 デイヴィット2世、スコットランドに帰国し親政開始
1346年 デイヴィット2世、「ネヴィルズ・クロスの戦」【Map】で敗北し、捕虜としてハンプシャーにあるオディハイム城に幽閉(~1357年)【Map
1349年 黒死病」(ペスト)が蔓延→イングランドでは人口の激変、戦力の低下 「ペストによって死屍累々となった街
1355年  スコットランド軍、ベリクの南のネズビット(Nesbit)を攻撃、占領 
1356年  エドワード3世、エジンバラ、ハディングタンに進撃 →スコットランドの直接統治を宣言
1357年  エドワード3世、ベリックでスコットランドとの休戦協定を結び、10万マーク(6万ポンド位?)の身代金を10年間で支払うことでデイヴィット2世を釈放、デイヴィット2世、スコットランドへ帰国
1363年  デイヴィット2世、スコットランドの生活が不満でロンドンへ戻る。 
1364年  エドワード3世の傀儡、エドワード・ベイリアルヨークシャーで死去 
1371年 デイヴィット2世、エジンバラで死去し、摂政で甥のロバート2世即位。→「スチュワート王家」(~1714年)
1375年  ダグラス家のタンタロン城建造→1651年、クロムウェル軍により包囲・落城  【Map
1388年  ダグラス家(スコットランド)とパーシー家(イングランド)のオッターバーンの戦 この戦で2代ダグラス伯が戦死
 「Otterburn Castle 」 【Map
1390年  ロバート2世、ダンドナルド城 【Map】で死去、長男のロバート3世即位、弟のロバート(ロバート2世の3男)が補佐・代理役 
  ロバート2世の4男、アレグサンダー・スチュワート(バドノッホの狼)、エルギン大聖堂を焼き払う。「the burning of Elgin Cathedral.」
1394年  ロバート3世、親政を開始
1398年  ロバート3世、長男のデイヴィットをスコットランド王国統監に任命、ロスシー公に除爵、弟のロバートをアルバニ公に除爵
1401年  デイヴィット、不品行(あるいはアルバニ公の策略?)によりアルバニ公ロバート(ロバート2世の3男)によりフォークランド宮殿に監禁【Map】 →翌年死亡、アルバニ公による暗殺の噂、疑惑 
1402年   ノーサンバーランドでのイングランド軍とスコットランド軍のホームドンの丘の戦(シェイクスピアの「ヘンリー四世第一部」 【Map
1406年  ロバート3世の3男の世嗣ジェイムズ、フランスへ渡る途中でイングランド軍に捕縛、ヘンリー4世に引き渡される。 アルバニ公あるいは、マーチ伯ジョージ・ダンバーの陰謀か?
ロバート3世、ダンドナルド城で死去、ロンドンに抑留中のジェイムズが国王となるが、叔父のアルバニ公が摂政となり実権を握る。
1409年  摂政アルバニ公、最強力貴族の4代ダグラス伯アーチボルト・ダグラスと「相互支援、防御協定」を結ぶ。 
1411年  インヴァネスがアルバニ公に反対する「島嶼の領主」ドナルドの攻撃、焼き討ちにあう。【Map】 
「ハーローの戦」( Battle of Harlaw) マー伯アレグサンダー・スチュワート(パデノッホの狼の息子)の活躍で防戦
1412年 セント・アンドルーズ大学創立 【Map
1420年 アルバニ公死亡で息子のマードック(2代アルバニ公)が支配権を握る→反アルバニ勢力(ダグラス一族ら)が強まり、国王ジェイムズの帰還を求める声が強まる
1424年  ジェイムズ、ヘンリー5世の従妹でジョン・オブ・ゴーントの孫娘のジョウン・ボーフォートと恋に落ち結婚。ジェイムズは恋文代わりの詩「王の献辞」(The Kingis Quair)を彼女に送っている。
1424年 ジェイムズがイングランドから帰国し、スクーンで戴冠しジェイムズ1世となる。議会(「Old Court」と呼ばれた)を招集し、「条令第一号」を上程
マードックはじめアルバニ公爵家はジェームズによって粛清される。
1427年  ジェイムス1世、インヴァネスでの氏族長との会議で、ハイランド地方の豪族アレクサンダー・マクドナルドらを拘束→報復でインヴァネスが再び焼かれる。
1430年  ジェームス1世、5代ダグラス伯アーチボルトを逮捕 
1431年  アレクサンダー・マクドナルドを釈放 
1436年  ジェイムス1世の長女マーガレット、フランスの皇太子ルイ(後のルイ11世)と結婚
1437年 ジェイムズ1世、パースのドミニコ修道院で、ロバート・グラハム卿、叔父のアソール伯ウォルター・スュチュワートらに暗殺 【Map】 (王妃の女官のCatherine Douglas(後にケイト・バーラスと呼ばれた)は、扉を腕で押さえて王を守ろうとした)→ ジェイムス2世ホリールード修道院で6歳で即位。【Map】 (ブラック)ダクラス家5代ダグラス伯アーチボルト)が実権を握る。(アンガス伯ダグラス家が「レッド・ダグラス」)
1439年  5代ダグラス伯アーチボルト病死
1440年  ウィリアム・クライトン(エジンバラ城の城代)と、リヴィングストン(スターリング城の城代)と、ジェイムス・ダグラス(あだ名「百貫」(the Gross)・後の7代ダグラス伯)の策謀の「黒い晩餐」(Black Dinnerで、6代ダグラス伯ウィリアムとその弟が殺害される。→ダクラス伯家(ブラック)の崩壊が始まる。
1443年  7代ダグラス伯ジェームス・ダグラス死去 
1446年 ロスリン礼拝堂建設(映画「ダヴィンチ・コード」のロケ地) 【Map
1449年 ジェイムズ2世、フランスのグェルダー伯の娘マリーと結婚、親政を開始 
  ジェームス2世、リヴィングストンをブラックネス城に監禁(翌年処刑)【Map】、クライトンを要職から排除
1450年  8代ダグラス伯ウィリアム、ローマへ巡礼に出る。 
  クライトンはダグラス氏族のロックマーベン城 を攻撃、落城させる。 
1451年 グラスゴー大学創立 【Map
1452年 ジェイムズ2世、8代ダグラス伯ウィリアムをスターリング城【Map】で刺殺、9代ダグラス伯(last of the 'Black' earls of Douglas)ダグラス城で投降。【Map
王党派はブレッチンの戦いなどで勝利 【Map
1455年 ブラック・ダグラス伯爵派、アーキンホームの戦で、ジェイムズ2世側の(レッド・ダグラス)・アンガス伯ジョージ・ダグラスらに敗れて崩壊 「The Douglas Archive」(Battle of Arkinholm ) 【Map】 →9代ダグラス伯、イングランドに逃走
ジェイムズ2世、イングランドに侵攻し、「バラ戦争」に介入
1457年  ジェイムス2世、「ゴルフ禁止令」(ゴルフにふけって弓術の鍛錬を怠る貴族たち)を出す。
1460年 ジェイムズ2世、イングランドに占領されていたロクスバラ城の包囲戦のさなかに、大砲(モンス・メグ)の暴発により死亡 【Map】(フロアーズ城の近く) →ジェイムズ3世が8歳で即位・摂政会議(セント・アンドルーズ司教のケネディ主座大司教が支配)による統治
1462年  ロス伯マクドナルド(John of Islay, Earl of Ross, Lord of the Isles)と9代ダグラス伯ジェームスが、スコットランド占領を画策し、エドワード4世の支援を求めて、「ウエストミンスター・アードニッシュ協定」(Treaty of Westminster )を結ぶ。 
1463年  摂政会議はエドワード4世と休戦(ランカスター派(バラ戦争)への支援を止める) 
  ジェイムズ3世の母で後見人のメアリ・ゲルダースが死去 
1465年  摂政のケネディ主座大司教が死去→ボイド卿ロバート一派実権を握る。 
1469年 ジェイムズ3世、ノルウェイ・デンマーク・スウエーデン王クリスティアン1世の娘マーガレットと結婚。持参金代わりとしてオークニー諸島シェトランド諸島を獲得→ボイド一派の一掃を決意
1472年  セント・アンドルーズに大司教区設置 
1476年 ジェイムズ3世、マクドナルド一族(諸島部の宗主)を討伐
1478年  ジェイムス3世の廃位を計画した弟のマー伯ジョンは、事前に発覚しクレイグミラー城に収監され死亡、弟のオルバニ公アレグサンダーはエジンバラ城に収監された。→脱走してフランス→イングランドへ渡り、エドワード4世に支援を要請 
1482年  エドワード4世の援軍で、アレグサンダーとダグラス伯軍が、ベリックを包囲
  ジェイムス3世、5代アンガス伯アーチボルト・ダグラス(レッド・ダグラス・Bell the Cat・猫に鈴付け)らにエジンバラ城に幽閉される。側近のロバート・コホランらは処刑される。→ジェームス3世は翌年解放 
1484年  ジェイムス3世の弟、オルバニ公アレグサンダー、ダグラス伯軍とかつて「ブラック・ダグラス」の拠点だったロックマーベン城の奪回に向かう。→ジェイムス3世の反撃で失敗  【Map】→ダグラス伯は捕らえられ、アレグサンダーは再びフランスに逃亡。
1485年 イングランド王ヘンリ7世即位、チューダー朝を創立
1488年 ソーキバーンの戦い」(スターリングの南約2マイル)でジェイムズ3世、初代ヒューム卿5代アンガス伯ダグラス、アーガイル伯コリン・キャンベルらのスコットランド貴族の反乱軍に敗れ死亡→ジェイムス4世即位(~1513年) 「The Douglas Archive」(Battle of Sauchieburn ) 【Map
1490年代 ジェイムズ4世、ジョン・マクドナルドのイール卿剥奪などハイランド地方、諸島部への統制を強化。イール卿位は王室のものとなる。
1491年  ジェームス4世、ヘンリー7世と謀った謀反の疑いでアンガス伯タンタロン城Map】を包囲、幽閉し、ハーミテージ城Map】を没収。→以後、アンガス伯は忠誠を誓い、ジェームスに従う。
1492年  スコットランドの首都がパースからエジンバラへ遷都 
1494年  フランスのシャルル8世、ナポリを占領→ローマ法皇、ドイツ皇帝らが「神聖同盟」結成
1495年 アバディーン大学創立(公式サイト) 【Map
  ジェームス4世、イングランドの王位僭称者パーキン・ウオーベック(塔の王子)をスターリング城に迎える。
15世紀代  カーリング」発祥 
1502年 イングランドとの和平条約締結
1503年  ジェイムズ4世とヘンリ7世の娘マーガレット(ヘンリ8世の姉)が、ホリールード宮殿で結婚 
1505年  戦艦グレイト・マイケル号建造 
1507年  スコットランドに印刷術導入
1509年 イングランド王ヘンリ8世即位
  アーカート城、ジェイムス4世からジョン・グラントに下付 【Map
1513年  フランスが神聖ローマ帝国らの同盟国軍の攻撃を受ける。→ルイ12世がジェームス4世に支援を要請 
フロッドンの戦」でイングランドに敗れ、ジェイムズ4世死亡→ジェイムス5世が生後1年5ヶ月でスターリング城で即位【Map
摂政時代(幼年期には王母マーガレット、次いでフランスから呼び寄せた2代アルバニ公・ジョン・スチュアート
  エジンバラにイングランドへの抵抗と防衛のための「フロッドンの壁」が築かれる。 
1514年  王母マーガレット、6代アンガス伯アーチボルト・ダグラス(新英派)と再婚→1527年に離婚し、メスヴァン卿ヘンリーと再々婚→1541年にメスヴァン城Map】で死去 
1517年  摂政アルバニ公、一時フランスに帰国しフランソワ一世との間のルアン条約で「古来の同盟」再確認。
1520年  ダグラス一族(親英派)とハミルトン一族(親仏派)のエジンバラ市街戦→ダグラス一族の勝利(コウズウエイの一掃
1521年  アルバニ公、スコットランドへ戻る。
1522・23年  アルバニ公、フランス軍の支援でイングランド領に侵攻→失敗 
1524年 親仏派のアルバニ公、フランスへ去る。 →アラン伯ハミルトン、ジェームス5世をスターリング城からエジンバラ城に移す。
1525年  後見人のアンガス伯ダグラス、ジェイムズ5世をフォークランド宮殿に軟禁 【Map】 
1528年 ジェイムズ5世、フォークランド宮殿から脱出し、スターリング城で全権を握り親政を開始→アンガス伯はイングランドへ逃亡
宗教改革者パトリック・ハミルトン、(Patrick Hamilton) 火刑に処せられる。
1530年 ジェイムズ5世、イングランドとの国境近くでジョニー・アームストロングJohnnie Armstrongギルノッキー城主)と家臣たちを殺害。 【Map
1532年  ジェームス5世、「College of Justice」(民事の中央裁判所)創設
1537年 ジェームズ5世、フランスとの古い同盟を更新し、フランス国王フランソワ1世の王女マデリンノートルダム寺院で結婚→マデリンは、結婚後数ヶ月後にホリールード宮殿で結核で病没 【Map
1538年 ジェイムズ5世、フランスの「ギーズのメアリ」(メアリ女王の母)と再婚、セント・アンドルーズ大聖堂で挙式。
1541年  ヘンリー8世、ジェームス5世にヨークでの会談を強要→ジェームス5世拒否→イングランド軍、国境沿いのロクスバラ、ケルソーを焼き払う。
  ジェームス5世の長男と次男死去
1542年 ジェイムズ5世、イングランドとの「ソルウエイ・モスの戦」【Map】で敗北→フォークランド宮殿へ帰って熱病で死亡(12/14日)
王女メアリリンリスゴー宮殿で誕生(12/8日)【Map】、生後6日で王位を継承、スターリング城で戴冠式→スコットランド女王メアリ1世、摂政は2代アラン伯ジェイムズ・ハミルトン(新英派)
1544年 ヘンリ8世、メアリとイングランド皇太子エドワード(エドワード6世)との婚姻を画策して失敗し、スコットランドに侵攻してメアリーを連れ去ろうとした。「粗野な求愛」(Raugh・Wooing)・「ハーファドの侵入」
1546年 宗教改革者、ジョージ・ウィシャート処刑、(the martyrdom of Wishart
報復としてセント・アンドルーズ城で枢機卿デイヴィット・ビートン殺害される。【Map
1547年 ヘンリー8世が死去し、エドワード6世の摂政となってイングランドの政権を握ったサマセット公エドワード・シーモアの攻撃を受け、迎撃に出たアラン伯が敗れる。(ピンキーの戦)【Map】 →王大后メアリ、フランスに支援を求める。
1548年 メアリ女王、「ハディントン条約」でフランス王太子フランソワと婚約し渡仏。4人の「The Queen’s Maries」も同行→以後フランス宮廷で育てられる。
1553年  イングランド・エドワード6世死去し、メアリ1世(ブラッド・メアリ)即位 
1554年 フランスの後押しで、「ギーズのメアリ」(メアリ女王の母)摂政となる。
  メアリ1世の弾圧を逃れて宗教改革の指導者ジョン・ノックス、イングランドから大陸へ亡命 
1557年  4代アーガイル公アーチボルト・キャンベルらがプロテスタント信仰を誓う「第一次信仰盟約」にサイン
1558年 メアリ女王、フランス王太子フランソワと結婚、ノートルダム寺院で挙式
イングランド、メアリ1世の死去でエリザベス1世即位→フランスのアンリ2世、メアリー女王がイングランド王位継承権者であると抗議→イングランド議会、エリザベスの嫡出を議決
1559年  メアリ女王、「イングランド王位継承権の正当性」を主張する紋章を刻んだ食器で、駐仏イングランド大使を招いた晩餐会を開く。 
アンリ2世死去で、王太子がフランソワ2世として即位し、メアリーはスコットランド女王とともにフランス王妃となる。
ジョン・ノックス帰国、パース・スターリング・セント・アンドルーズなどで「教会・偶像破壊運動」
1560年  ギーズのメアリ」(メアリ女王の母)死去 
スコットランドでのプロテスタント反乱事件に、エリザベス1世のイングランド軍が反乱側を応援し介入→鎮圧に向かったフランス海軍が大敗→エジンバラ条約(フランスのスコットランドへの軍事介入の禁止・メアリ女王は未批准)
イングランド・フランス両国はスコットランドから撤退→スコットランドとフランスとの「古い同盟」(1295年~)の終わり
会衆指導層」(プロテスタント貴族、宗教改革支持の地主・領主・都市住民)が宗教改革議会を開催、ジョン・ノックスらの作成した「第一規律書」・「スコットランド信条」成立・長老教会の発足
  メアリ女王の夫、フランソワ2世が16歳で病死 
1561年 メアリ、フランスから帰国、(「フランスを去るメアリー」)・ カレー港Map】→(5日間)→リース港【Map】→ホリールード宮殿
ジョン・ノックスと会見・「神学論争
1562年 カトリックの有力貴族・ゴードン家(Clan Gordon)がメアリー女王に反乱を起こす。「コリッチーの戦」(Battle of Corrichie )→マリ伯ジェイムズ・スチュアート(メアリ女王の異母兄)が鎮圧
  メアリ女王とイングランドのエリザベス女王とのヨークでの会見計画→フランスでのユグノー戦争(宗教戦争)の影響で実現せず。
1565年 メアリ女王、ダーンリ卿と再婚
マリ伯ジェームス・スチュアートがエリザベス1世からの援助を取り付け、1200人の兵力を集めてメアリーに反乱を起こす→イングランドからの援軍は現われず、マリ伯はスコットランド南部でボスウェル伯率いるスコットランド軍に敗北し、イングランドに亡命
  メアリ女王、秘書のリッチョを寵愛し重用する。
1566年 ダーンリ、 ホリールード宮殿で、リッチョ殺害(「The Murder of Rizzio
  メアリ女王、エジンバラ城でジェイムス6世を出産 
  マリ伯らがクレイグミラー城で、ダーンリ排除の協議・密約 【Map
1567年 ダーンリ、エジンバラのカーク・オ・フィールド教会(現在のエディンバラ大学構内)で暗殺さる。
メアリ女王、ダーンリ殺害の首謀者ボスウエル伯と再婚。これに反対する4代モートン伯爵ジェイムズ・ダグラスら反ボスウェル派の貴族たちの反乱軍に、エジンバラ東の「カーベリー・ヒルの戦」【Map】で敗れ、メアリ女王はロッホリーヴン城に幽閉され廃位される。【Map】→ボスウエルはノルウエイへ逃れ、1578年にデンマークで獄死
ジェイムズ6世即位、ホリールード教会Map】で戴冠式(摂政マリ伯ジェイムス・スチュアート →4代レノックス伯マシュー・スチュアート(1571年にスターリング城で射殺される)→マー伯ジョン・アースキン→4代モートン伯ジェームス・ダグラス)
  教会総会で教会の自立重視のカルヴィン主義的傾向強まる。
1568年 メアリ、ロッホリーヴン城を脱出し再起を図る。「脱出するメアリ」 →「ラングサイドの戦」【Map】でマリ伯の軍に敗れ、イングランドへ亡命
メアリ、エリザベス1世によりロンドンに幽閉される(~1587年))
1569年  メアリとノーフォーク公トマス・ハワードとの結婚、王位簒奪計画 
1570年  摂政マリ伯ジェームス・スチュアート、メアリーを支持するジェイムス・ハミルトンassassin)暗殺される。
  リドルフィ事件(エリザベス1世廃位、メアリ即位の陰謀事件)
1572年  第4代ノーフォーク公トマス・ハワード、メアリとの結婚を企み王位を狙ったとして反逆罪で処刑 
「リース条約」成立
1573年  4代モートン伯ジェイムズ・ダグラス、メアリ派が籠城するエジンバラ城を陥落→スコットランドの内戦終結
1574年 宗教改革者、アンドルー・メルヴィル帰国、長老主義教会の確立に努める。
1578年 第二規律の書」作成
1579年 ジェイムス6世、のスターリング城からエジンバラ城に移る
1581年  4代モートン伯、レノックス伯エズメ・ステュアートからダーンリ卿暗殺の罪を着せられ処刑される。
1582年 ガウリ伯らの「リヴァン襲撃」で、ジェイムス6世誘拐、リヴァン城 【Map】に軟禁、エズメ・スチュアートは国外追放
1583年 ジェイムズ6世、リヴァン城からの脱出
エジンバラ大学創立
1584年 ジェイムズ6世、ガウリ伯を処刑し、直接統治を行う。
国王の教会支配権を認める、「暗黒法」(ブラック・アクト)を発布し、国王が最高権威者であり、国王や議会に反対する説教を禁止
1586年  メアリ、エリザベス1世の暗殺を狙ったバビントン事件に関与した証拠が提示され、有罪・死刑を宣告される。 
1587年 メアリ、ロンドンのフォザリンゲイ城で処刑される。【Map】 (メアリ処刑の場面
1589年  ジェイムス6世、オスロでデンマーク・ノルウエイ王フレデリック2世の娘、アンと結婚 
1592年  2代マリ伯ジェームス・スチュワートが、ドニブリスル城ハントリー侯ジョージ・ゴードンに殺害される。 【Map
「暗黒法」に対する信徒の反発が強く、「黄金法」(ゴールデン・アクト)で「集会」を認めることとした。さらに1598年には「司教議員」を認め、教会の推す3人の司教にスコットランド議会議員同様の立法活動を許すこととした。
1598年 ジェイムス、『自由なる君主国の真の法』(論文)で王権神授説を唱える。「魔女狩り」導入の「悪魔学(デモノロジー)」執筆 「魔女狩りされた女たち
1600年  ガウリ伯一族の陰謀事件 (Gowrie Conspiracy)  ジェイムズ6世は謀反の疑いをかけて、ガウリ伯とその弟をガウリ館で殺害した。「The mayhem at Gowrie House
1603年 エリザベス1世の死去で、ジェイムス6世がイングランド王(ジェイムス1世)となり、ロンドンに移住→(「同君連合」成立)
  レノックスの襲撃事件・・・キャンベル一族に追い立てられたマクレガー氏族(Clan Gregor) の、近隣氏族への襲撃・略奪事件→7代アーガイル伯アーチボルト・キャンベル("Gillesbuig Grumach" ("Archibald the Grim"・しかめっ面のアーチボルト),)らが鎮圧・裁判→「マクレガー氏族名抹消令」 ロブ・ロイRob Roy MacGregor ) もマグレガー姓ではなく、母方の姓キャンベルを名乗る。(ロバート・マクレガー・キャンベル) 
1605年 ガイ・フォークスらカトリック教徒による、国王・重臣らをねらった爆殺未遂事件(火薬陰謀事件)が起こる。
1606年  ジェイムス、ユニオン・フラッグを制定(初代ユニオンフラッグ
  主教制を否定するアンドルー・メルヴィルをスコットランドから追放
1610年 ジェイムス、主教を任命し、主教制の成立(スコットランド教会のイングランド国教会化)
1611年 ジェームズの命により、欽定訳聖書を作成、刊行
1613年  ジェームスとアン王妃の長女のエリザベスが、ファルツ選帝侯フリードリヒ5世と結婚
1617年  ジェイムズ、一時スコットランドへ戻る。(最後の帰国)
1618年 ジェイムス、パースで聖職者会議を開き、「パースの五か条」(イングランド国教会的な儀式をスコットランド教会に導入)を押し付ける。
三十年戦争」始まる。(~1648)
1625年 ジェイムス、シーアボールズ宮殿Map】で死去→チャールズ1世即位。 「廃棄法」制定
  チャールズ1世、仏王アンリ4世の娘のアンリエッタ・マリアと結婚
1633年 チャールズ1世、スコットランドを訪問し、スコットランド王戴冠式を行う→儀式がカトリック的だとスコットランド国民から反感を買う。
1637年 チャールズ1世のイングランド国教会「一般祈祷書」押しつけ、導入に対してスコットランドで暴動
清教徒革命年表
1638年 国民契約」(National Covenan)成立、長老主義会議が再確立
1639年 スコットランド契約派と国王軍の間で、「第一次主教戦争」開始→ベリック条約で休戦
1640年 「第二次主教戦争」で契約派勝利し、議会改革が進む。(リポン条約)、
1641年 チャールズ1世、交渉のためエジンバラ訪問し、長老派教会を認めるなど譲歩→アーガイル侯らは敵対姿勢を継続
1642年 第一次イングランド内戦開始
1643年 王党派、アドウォルトン・ムーアの戦で勝利し、優位に立つ。(戦碑) 【Map
国民契約派とイングランド議会派間に「厳粛なる同盟と契約」成立
1644年 国民契約派軍、アレグサンダー・レズリを指揮官にイングランドに進軍→クロムウエル軍に合流→
マーストン・ムアの戦」で、オリバー・クロムウェル率いる議会派軍に王党派軍が敗れる。(記念碑) 【Map
モントローズ伯ジェームス・グラハムが契約派より離脱、国王軍副司令官に任命され契約派と対峙
1645年 モントローズ伯、「フィリップホッフの戦」で敗北 (記念碑) 【Map】→大陸へ亡命→1650年にオークニー諸島で再起・挙兵→カービスデイルの戦Map】でレズリー率いる国民契約軍の奇襲を受けて捕縛・処刑される。
ネーズビイの戦」(Battle of Nasebyで議会派軍勝利 【Map
1646年 チャールズ1世、スコットランド軍に投降、身柄はイングランド軍に引き渡されハンプトン・コート宮殿に軟禁 【Map
1647年 チャールズ1世、ワイト島へ脱出したがカリスブルック城に監禁される。【Map】 →スコットランド王党派と和解契約を締結
1648年 第二次イングランド内戦開始
プライドのパージ
により長老派が議会から追放され、独立派が権力を掌握→共和政のイングランド共和国(1649-60年)の樹立を宣言
1649年 ランプ会議」の裁判でチャールズ1世に死刑判決ホワイトホール宮殿処刑 【Map】 →スコットランド、息子をスコットランド国王チャールズ2世即位と宣言
1650年 チャールズ2世、スコットランドに入る。
クロムウエル、スコットランドに侵攻。(第三次イングランド内戦)、
クロムウエル率いるイングランド共和国陸軍にスコットランド軍が大敗。(ダンバーの戦)【Map
1651年 チャールズ2世、スクーンで戴冠式→「ウスターの戦」【Map】でクロムウエル軍に敗北し、スコットランドはイングランドの支配下
チャールズ2世、フランスに亡命
クロムウエル、「航海法」制定
1657年 「合同法」制定で、イングランド、スコットランド、アイルランド間のコモンウェルス成立。
1658年 クロムウエル死亡
1660年 チャールズ2世、ブリテンに上陸、ロンドンに入城し、イングランド王チャールズ2世となる。(王政復古
主教制、枢密院が復活。王政復古を実現させた功によりモンク将軍がアルベマール公爵に叙された。
航海法」改正、スコットランドへの差別強化
1661年  チャールズ2世からスコットランド大臣に任命されたジョン・メイトランドは、スコットランド大法官のロシズ伯ジョン・レズリー(John Leslie, 1st Duke of Rothes)やセント・アンドルーズ主教ジェームス・シャープと共にスコットランド議会で、チャールズ2世を教会の首長と宣言、スコットランドの宗教制度を長老制から監督制に切り替えさせた。「廃棄法」→ 反対派には拷問・罰金・監督制教会への強制入会で弾圧(殺戮時代
王政復古に対する反乱が起こる。
  チャールズ2世、アーガイル侯を反逆罪で処刑 
1672年 第一次信仰自由令」制定(1687年二次制定
1678年  審査法」制定( ローマ・カトリック信徒や非国教徒に対する差別・排除)
カトリック陰謀事件 (5人のイエズス会士の処刑
1679年 国民契約派がスコットランドで主教制の復活など弾圧政策を推し進めていた大主教ジェイムス・シャープストラスキネスのMagus Muirで殺害Map】、反乱勃発→「ボスウエル・ブリッジの戦」(Battle of Bothwell Bridge)でジョン・グラハム (初代ダンディー子爵)らが鎮圧・終結
1680年 殺戮時代長老派教会カヴェナンターを迫害し、殺戮 ~1688年)、過激長老派の指導者のリチャード・カメロン殺害される。
  シンクレア氏族とキャンベル氏族の「アルティマルラッハの戦」(ケイネス伯爵の称号と土地の権利争い)
1683年 ライハウス陰謀事件Rye Houseでのチャールズ2世暗殺陰謀事件)「Rye House」 【Map
1685年 チャールズ2世、、ホワイトホール宮殿で死去、ジェイムズ7世(2世)即位、カトリックの復活、「宣誓法」の発布、イングランドでもカトリックの強制
モンマスの反乱(オランダに亡命していたモンマスがイングランドへ戻りジェームズ2世に対して起こした反乱)→失敗し、モンマスはロンドン塔断頭台で処刑
1687年  シッスル勲章(あざみ勲章・アザミ騎士団)制定。騎士団の礼拝堂はセント・ジャイルズ大聖堂の「シッスル・チャペル」【Map
1688年  カメロン派の Covenanterのリーダーのジェイムス・レンウイック処刑される。
オレンジ゙公ウィリアム、イングランドのトーベイに上陸 【Map】 ジェイムズ2世(7世)、フランスに亡命。(名誉革命
1689年 スコットランド議会、ジェイムズ7世の王位没収、主教制の否定、ウィリアムに対する、「権利要求」制定
ウィリアム3世(スコットランド王ウィリアム2世)、メアリ2世即位(共同統治者)
ジェイムズ7世支持(ジャコバイト)のダンディ卿ジョン・グラハムの反乱起こる。→「キリークランキーの戦」【Map】で、ジョン・グラハム戦死、反乱収束
1690年 ジェイムズ、アイルランドでの「ボイン川の戦」【Map】で、ウィリアム3世に敗れる。→ジェイムズ、フランスへ逃亡 
  ウイリアム、司教制を廃止し長老会制を公認(スコットランド教会の牧師は長老や会衆から推挙)
   
1692年 グレンコーの虐殺」 【Map
1695年  スコットランド銀行法制定、翌年から営業を開始 
「アフリカ・南インド貿易のためのスコットランド会社」設立→「ダリエン計画」(スコットランドによる植民地経営計画) アンドリュー・フレッチャーらが計画を支持し、推進した。
1700年 「ダリエン計画」失敗
1701年 王位継承法」制定
ウィリアム3世、オランダへ渡り、ハーグでオーストリア・ドイツ諸侯と対フランス同盟結成
ジェイムズ7世の死亡で、息子がジェイムズ8世(3世)を名乗る→「老王位僭称者」
1702年 ウィリアム3世死去、「王位継承法」により、ジェイムス2世(7世)の娘(メアリ2世の妹)のアン女王即位
スペイン継承戦争」に参戦
1703年  ダニエル・デフォー、パンフレット『非国教徒撲滅策』などの政治的活動逮捕
晒し台のデフォー」(エア・クロウ作)
1704年 スコットランド議会が「安全保障法」(スコットランドは独自に王を立てる権利を有するという宣言)・「戦争と平和に関する法」制定
1705年 イングランド議会は「外国人法」制定(イングランドとの合同に同意しなければ航海法体制にくわえて、スコットランドとヨーロッパとの交易も制限する)
1707年 スコットランド議会で「合同法」可決で、スコットランドとイングランドは「グレート・ブリテン連合国」となる。スコットランド教会の独自性保証
1708年  フランスのジャコバイトへの支援・蜂起、上陸未遂・不発・失敗 
1712年 教会聖職禄授与権法(パトロン権法制定)→地主の牧師候補者に対する人事権の行使復活→20世紀初頭まで
1714年 アン女王死去(ステュアート朝断絶)、ジョージ1世即位(ハノーヴァー朝の開祖)
1715年 ジェイムズ8世を支持する「ジャコバイトの反乱」→シェリフミューアの戦 【Map】→プレストンの戦 【Map】でジャコバイトの敗北で終結。老王位僭称者ジェイムズは12月22日にピーターヘッドMap】に上陸するも、翌年2月4日にモントローズMap】から大陸へ去った。
ウォルター・スコットの小説「ロブ・ロイ」に描かれた、「ロブ・ロイ・マクレガー」(Robert Roy MacGregor )の活躍。
映画「ロブ・ロイ/ロマンに生きた男」(原題: Rob Roy
1719年 スペインがジャコバイトによるスコットランド侵攻を支援→グレン・シールの戦 Map】でイギリス政府軍が勝利
1720年  グラスゴーのタバコ交易成功→船舶銀行(1749年)・グラスゴー・アームズ銀行(1750年)・スィスル銀行(1761年)の設立
1725~36年  ウェード将軍(ジョージ・ウェイド)がハイランド地方に約240kmの道路、30~40本の橋を建設
1727年 ジョージ1世死去、ジョージ2世即位
ロイヤルバンク・オブ・スコットランド(スコットランド王立銀行)設立
1733年 長老主義教会の第一次分離 (1761年第二次分離)
1736年 ポーティアスの暴動(エジンバラ) W.スコットの小説『ミドロージアンの心臓』に取上げられている。
1745年 老王位僭称者ジェイムズの長男、ボニ・プリンス・チャーリ(いとしのチャールズ王子・若王僭称者)、フランスからアウター・ヘブリーズ諸島エリスケイ島に上陸して進軍 【Map】 「ジャコバイトの乱
ジャコバイト軍、エジンバラ占拠、プレストンパンズの戦でイギリス軍を破る。【Map
  ジャコバイト軍、ダービーまで進軍するが、武器弾薬、食料の補給も乏しく退却 【Map
1746年 カロデン・ムアの戦」【Map】でジャコバイト軍敗北、カンバーランド公(屠殺者カンバーランド)の虐殺
若王僭称者チャーリ、フローラ・マクドナルドらの手助けで大陸へ逃亡。
フローラと若僭王チャーリが別れたポートリーPortree Harbour)」(スカイ島)Map
1747年  クラン族長の権限剥奪、クランの武装蜂起、ハイランド的文化(キルトの着用、バグパイプの演奏など)の禁止の「世襲司法権法」制定(スコットランドのみ適用)→1782年に撤廃
  若王僭称者チャーリの弟ヘンリー、枢機卿となる。 
1754年  ハードウイック婚姻法施行(イングランドでは両親の承諾を得た21歳以上の男女のみに結婚が制限)→グレトナ・グリーン(スコットランド)での駆け落ちカップルが増加、流行。【Map
グレトナ・グリーンへの道」(ヘイウッド・ハーディー作)
  セント・アンドルーズゴルフクラブ設立 【Map】 
1759年  キプロン湾の海戦」で、仏艦隊が英艦隊に敗北→ジャコバイト軍のブリテンへの再侵入ならず。 【Map
1760年 ジョージ2世死去、ジョージ3世即位
スコットランド啓蒙の開花」
ジェイムス・ワット       ニューコメン蒸気機関の改良、普及、商品化  
デイヴィット・ヒューム    エジンバラ出身のイギリス経験論哲学の完成者
ロバート・アダム       アダム様式(Adam style) の新古典主義建築
トマス・テルフォード     「道路の巨人」と呼ばれた、土木技師、建築家。 エジンバラの「ディーン橋」【Map
ジェイムス・ボズウエル   法律家、伝記文学の傑作と評される『サミュエル・ジョンソン伝』の著者
ロバート・バーンズ      スコットランドの国民的詩人、スコットランド民謡の収集、普及にもつとめた。
アダム・スミス         経済学者・哲学者・倫理学者、『国富論』・『道徳感情論』の著者
ウオルター・スコット     詩人・小説家、存命中に国外でも成功を収めた、イギリスで初めての人気作家 
フランシス・ジェフリー    裁判官、文芸批評家、『エディンバラ・レビュー』(Edinburgh Review)の創刊に携わる。
アラン・ラムゼイ        肖像画家、ジョージ3世宮廷画家を務めた。
  アダム・ファーガソン     古典的自由主義の歴史家、道徳哲学者
ジェイムス・マクファーソン  詩人、文芸収集家、叙事詩「オシアン」の発見者、捏造者?
ジェイムス・クレイグ     エディンバラ新市街(ニュータウン)を設計した建築家
  ジェイムス・ホッグ       小説家、エッセイスト、スコットランド語(Scots)と英語の両方で書いた。
1762年 オシアン事件」(贋作・偽書論争)始まる。(「フィンガル刊行」) 「フィンガルの洞窟」【Map
序曲「フィンガルの洞窟」(メンデルスゾーン作曲:初演1832年) YouTube
1767年 エジンバラの「ニュー・タウン」建設開始 【Map】  「アレグサンダー・ネイスミスの絵
1768年  エジンバラで「ブリタニカ百科事典」発行
1775年  アメリカ独立戦争(~1783年)
1778年  ロンドンで「ハイランド協会」設立
1780年代~  スコットランドの産業革命 (~1850年代)→グラスゴーなどの都市に人口流入・過剰、スラム街の発生
1783年  エジンバラ王立協会設立 【Map
1784年  エジンバラに「ハイランド協会」設立
1785年  ニュー・ラナーク」操業開始→2001年世界遺産登録 【Map】 
1789年 フランス革命
1790年  フォース・クライド運河開通 【Map
1801年 アイルランド、連合王国に加わる。(実質的にはイギリスによるアイルランド併合)
1802年 「エジンバラ評論」創刊
1807年  若王僭称者チャーリの弟ヘンリー・ベネディクト・スチュアート死去→スチュアート王家の直系断絶 
1811年  アボッツフォード・ハウスウオルター・スコット邸宅)建設開始(1824年頃完成) 【Map
1812年  グラスゴーでイギリス最初の蒸気客船「コメット号」が進水 
1815年~ ハイランド地方の「土地清掃」(ハイランド・クリアランス・強制立ち退き)本格化
1817年 スコッツマン」(The Scotsman )創刊
1818年  ウオルター・スコット、エジンバラ城で「三種の宝器」を発見 
1820年 ジョージ3世死去、ジョージ4世即位
  「ボニミュアの戦」・・・工員が劣悪な労働条件に抗議して軍と衝突、「ストライキ」の先駆け→3人殺され、3人が死刑
1822年 カレドニア運河開通 【Map
ジョージ4世、エジンバラ行幸ウォルター・スコットにより計画された、17世紀中期以来初の行幸)
1826年 エジンバラ→ダルキース間、鉄道開通(1831年?) 【Map
1827~28年  バークとヘア連続殺人事件」(17人を殺害し、死体を解剖用にエジンバラ医学校に売った)
 イアン・ランキンはジョン・リーバス警部シリーズの「滝」(The Falls) で、この事件について記述している。
1829年  カトリック解放法制定(1678年の「審査法」による差別・排除からの解放)
  メンデルスゾーン、スコットランドへ旅行。翌年、序曲「フィンガルの洞窟」作曲 
1830年 ジョージ4世、ウィンザー城 【Map】で死去、ウィリアム4世即位
1831年  「狩猟法」改正・・・農民の畑を荒らす狩猟動物の保護の規制緩和
1832年 第一回選挙法改正
1835年 オペラ「ランメルモールのルチア」(ドニゼッティ作曲・原作はウォルター・スコットの小説『ラマムアの花嫁』)初演
YouTube(全幕)YouTube(狂乱の場)
1836年  インヴァネス城再建設 【Map
1837年 ウィリアム4世死去、姪のヴィクトリア女王即位
1842年  交響曲第3番(スコットランド)」(メンデルスゾーン作曲)初演
1843年 トーマス・チャーマーズを指導者としてスコットランド国教会から分離してスコットランド自由教会が設立、「教会分裂」
1845年  「救貧法」(Poor Law (Scotland) Act 1845 )制定
1845~49年  アイルランドの「ジャガイモ飢饉」で、スコットランド西部へ移民・難民が流入→スコットランド人との反目・抗争・暴動
1846年  エジンバラ・グラスゴー鉄道、 ノース・ブリティッシュ鉄道開通
1847年 スコットランド一致長老教会が成立
  カレドニアン鉄道開通 「812形蒸気機関車」(1899年導入)
1856年 ヴィクトリア女王、バルモラルに離宮建設 【Map
1859年  グラバー来日→2年後、長崎に「グラバー商会」設立 
  コナン・ドイル生まれる 
1860年  ブレンデッド・ウイスキー(モルト・ウイスキーとグレーン・ウイスキーをブレンド)発売  「スコッチ・ウイスキー
1868年 第2回選挙法改正
  「日本の灯台の父」、リチャード・ブライトン来日
1869年  聖アンドルー大聖堂(インヴァネス)建築  【Map
1872年 スコットランド教育法公布、初等義務教育の開始(5歳から13歳までのすべての子供に初等教育が義務付け)
1873年 動物画家エドウイン・ランドシーア死去  「コミカル・ドッグ
1874年  グラスゴーのネピア造船所で「明治丸」竣工 
1883年 グラスゴー市庁舎(イタリアン・ルネサンス宮殿様式)竣工 【Map
  ロイヤル・ライシーアム・シアター」建設(エジンバラ) 【Map
1884年 第3回選挙法改正・・・農村労働者に選挙権を拡大
1885年 スコットランド省設置(~1999年)
1886年 スコットランド自治協会設立(自治運動)・小作農法成立(小作契約の保証・地代の適正化(「土地法廷」と呼ばれた委員会設置)など)
1887年 スコットランド庁設立
  「日本近代水道の父」、ウイリアム・k・バートン来日
1888年 ジェイムス・ケア・ハーディスコットランド労働党結成
1889年 地方自治法制定・スコットランド大学法制定(スコットランド法
1890年 フォース湾に鉄橋完成(フォース鉄道橋・世界遺産) 【Map
1892年 スコットランド自由教会から自由長老教会が設立(スコットランドの宗教
1893年 ジェイムス・ケア・ハーディを指導者に独立労働党結成
1894年  ウエスト・ハイランド鉄道(West Highland Line)開通  「ジャコバイト号」(The Jacobite
1897年  スコットランド労働組合会議結成(労働党の前身)
19世紀末  4大都市への人口集中・・・グラスゴー、エジンバラ、アバディーン、ダンディーにスコットランドの人口の1/3が集中。 
  菜園文学の流行(~20世紀初頭)
1900年  自由教会と一致長老教会が統合→一致自由協会(United Free Church of Scotland
1901年 ヴィクトリア女王死去、エドワード7世即位
1904年  キングズ・シアター」(グラスゴー)開設  【Map
1906年  キングズ・シアター」(エジンバラ)開設  【Map
ジェイムス・ケア・ハーディ、労働党結成
1910年 エドワード7世死去で、ジョージ5世即位
1914年 第一次世界大戦(~1918)
  アッシャー・ホール」建設 【Map
1918年 女性参政権(30歳以上)
  竹鶴政孝ニッカウヰスキーの創業者)、グラスゴー大学へ留学
1915年 赤いクライサイド」(イギリスの左翼)、活動(~1922)
1919年 グラスゴーを中心にゼネスト(血の金曜日暴動・市庁舎前に10万のデモ隊が集結)
1922年 アイルランド自由国成立
1924年 ジェイムス・ラムゼイ・マクドナルド、スコットランド人として初の労働党内閣首相となる。
1926年 スコットランド担当官、閣僚となる。
1928年 スコットランド国家党(NPS)創設
1929年 スコットランド長老主義教会、再合同
  プレイハウス・シアター」(エジンバラ)建設 【Map
1934年 スコットランド国民党(SNP)創設(スコットランド国家党 (National Party of Scotlandとスコットランド党 (Scottish Partyの合流)
1936年 ジョージ5世死去でエドワード8世即位→アメリカ人女性ウォリス・シンプソンと結婚するために在任期間325日退位。 映画「英国王冠を賭けた恋
1939年 第二次世界大戦(~45年)
1942年 スコットランド産業協議会設立
1946年 スコットランド産業・開発協議会設立
1947年 第一回エジンバラ・フェスティバル
1950年  グラスゴー大学の4人の学生が、スクーンの石ウエストミンスター寺院からスコットランドへ持ち去る。→1952年に回収されてウエストミンスター寺院に戻される。
1952年 ジョージ6世死去で、エリザベス2世即位
1970年 北海油田発見
1972年 スコットランド経済計画局設立
1973年 スコットランド地方行政法制定
EC加盟
1975年 スコットランド開発庁設置
1979年 サッチャーの保守党勝利
「スコットランドの権限移譲を問う住民投票」、否決
1985年  エジンバラ国際フェスティバル」で蜷川幸雄演出「マクベス」上演
1989年 「スコットランド国政会議」結成
1990年  グラスゴーがEUの「欧州文化都市」に選定
1994年  エジンバラ・フェスティバル・シアター」改修オープン  【Map
1995年  エジンバラのオールドタウンとニュータウンが世界遺産に登録 
1996年  「運命の石」(スクーンの石)がロンドンのウエストミンスター寺院から、エジンバラ城へ返還
1997年 ブレアの労働党勝利
「スコットランドの権限移譲を問う住民投票」、可決→スコットランド議会設置と自治が決定
  「黒と青」(リーバス警部シリーズ・イアン・ランキン作の 「タータン・ノワール」(スコットランドを舞台としたハードボイルド的、ゴシック的な犯罪小説) 
1999年 5月、スコットランド議会選挙  「スコットランド議会議事堂
  ウェストミンスターのイギリス議会から新しいスコットランド議会へ権限が委譲  
7月、スコットランド議会開会 ドナルド・デュワー、初代スコットランド首相に就任
2000年 第2代首相にヘンリ・マクリーシュ就任
2001年 第3代首相にジャック・マコーネル就任
2014年 スコットランドの独立を問う住民投票」→反対票が55%を占め、独立は否決
2015年 イギリス議会の総選挙:スコットランドに割り当てられているイギリス議会下院の議員数は59議席
スコットランド国民党-56議席、保守党-2議席、労働党-1議席、獲得
  ボーダーズ鉄道開通・・・ウェイヴァリー(エジンバラ)駅←→ツイードバンク駅Map
2016年 スコットランド議会の総選挙
スコットランド民族党 (SNP) - 63議席 女性党首ニコラ・スタージョン主張)が2014年11月から首相
スコットランド保守党-31議席
スコットランド労働党-24議席
スコットランド緑の党-6議席
スコットランド自由民主党-6議席
2021年 5月6日にスコットランド議会総選挙実施予定  
  世論調査(Opinium社・4月1~6日実施)・・・スコットランド独立支持(51%)・不支持(49%) 
  5/6日の選挙結果 独立派(スコットランド民族党と緑の党)が過半数を獲得して勝利  (The Scotsman
 

     
国旗)                        (国花) アザミ  

国歌



メイ島パフィンAtlantic Puffin ) 【Map


 スコットランドの城


           
 姉妹都市

イースト・ダンバートンシャー州ストラスクライド地方)と余市町(北海道)
グラスゴーと新潟県
エジンバラと京都府
アバディーンハイランド地方)と長崎市


日本スコットランド交流協会


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