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 末田用水を歩く

 
2019年2月22日

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  【ル−ト地図



永代橋(元荒川)・末田須賀堰



末田用水取水口
対岸からは須賀用水が取水している。


樋門から県道48号をくぐって行くが、今は流れていない。
このあたり一帯は工事中で雑然としている。



定杭(寛延3年(1750))
どこも水争いは絶えないようだ。







県道をくぐってきた末田用水(下流方向)



上手橋から下流方向


浄音寺 《地図



末田落(右)分岐地点 《地図



今にも用水に落ちそうな地蔵さん
助けてくれと手を合わせているようだ。

さいたま市岩槻区から越谷市に入る。


久伊豆神社(小曽川) 《地図



六十六部願満
小曽川村講中の建立



砂原新橋から下流方向 《地図
県道から右(南東)方向に離れて行く。



野中薬師橋から下流方向
かなり先に進んでから野中薬師堂に寄るのを忘れたのに気づく。



荻島小学校あたりのポケットパーク


1960年代の末田用水


このあたりは今も2本の流れがある。(右端の柵)



パンジーロード



石造物の覆家


六地蔵は正徳5年?(1715)・馬頭観音?は寛文?年



山王神社の祠(樹木の手前) 《地図


祠内には三猿の庚塔(延享?年?)
鳥居の左は石橋建立(供養塔?)、
その左の庚申塔(文化9年(1812))は道標になっていて、
「西新井村 ?乃しま道」で、西新井はここのすぐ南あたりだ。



石神井神社 《地図
「しゃくじい」ではなく「いしがみい」のようだ。
創建の時期は不明で、明治時代には、西新井村の鎮守だった。
祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)



出羽堀取水口 《地図
左に出羽堀が分岐する。


出羽堀(下流方向)
末田用水は県民健康福祉村の中を流れて行く。


修景の池



JR武蔵野線をくぐって行く。 《地図



万蔵寺・越巻学校開設跡石柱(左)



稲荷神社 《地図
越巻村には2つの稲荷神社があった。
もう1社は『出羽堀・七左ェ門川を歩く』に記載。




庚申塔(元禄13年(1700)建立)
刃傷松の廊下」の一年前だ。



暗渠化の工事が進行中。
いずれすべてが暗渠になるか。



七左ェ門川(上流方向)
手前で末田用水を伏せ越す(くぐる)。



このサギ?は拙者の前を飛びながら案内してくれる
水先案内のようだ。いや餌を獲っているとしつこい親父が
追って来るので前へ前へと逃げ、飛び立っているだけだと。



玩具のような稲荷社と家といったら叱られるか。



三社大神社 《地図





旧中村家(大間野)長屋門 《地図
つい先日『越谷散歩』で見学した。



綾瀬川との合流地点が近づく。



新川排水機場(前方)の先で綾瀬川に合流する。
国道4号から下流は新川というようだ。


綾瀬川合流地点 《地図

出羽堀ポンプ場・出羽堀合流地点(綾瀬川)を通って蒲生駅に向かった。



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