三ヶ島葭子(当社神官の子女)歌碑 「はるのあめ けぶるけやきの こずえより おりおりつゆの かがやきておつ」 金仙寺 右は樹齢約150年というしだれ桜 ここを砂川堀歩きの起点とする。 《地図》 上流方向(右) このあたりは段差がいくつもある流れになっている。 秋葉神社は意外とミニだった。 《地図》 下流方向 大イチョウがそびえている。 寺山橋で砂川堀に合流するようで、砂川堀の水源の一つだろう。 薬王寺 川沿いは歩けず左(西)に迂回する。 石橋供養塔 慈眼庵(狭山観音霊場第32番) 《地図》 畑に残る雪 所沢がこんな田舎?とは思わなかった。 右は下流方向だが川沿いは歩けない。 馬頭観音(明治3年) 右側面は石橋供養塔 自然の流れのようだ。(下流方向) 石橋供養塔 右に車道を進むと不動橋だ。 大きく北方向に迂回し、若狭3丁目交差点から誓詞橋に出る。 誓詞橋には騎馬の軍兵が彫られている。 《地図》 鎌倉幕府倒幕に向う新田義貞がここで軍兵から忠誠の誓詞を取ったという伝説がある。 「小手指ヶ原古戦場跡」・「白旗塚」・「誓詞橋の碑」などは、『所沢市の坂C』に記載。 狭山茶畑も寒々しい。 所沢西高(右)沿いの流れ 砂川堀第一調整池 《地図》 正面奥は東上線の線路と車庫 第三調整池 砂川堀は東上線の下をくぐって行く。 かなりの水量だ。下流の下富調整池の堤防は、 今年8月の台風9号による大雨で決壊した。 地下水路を通って再び姿を現した砂川堀。(右) しだれ桜が両岸から被さる流れ 《地図》 小手指公園の手前で暗渠になる。 小手指公園の下を流れている。 小手指公園を出ると緑地風になり、その先で流れが復活して境橋(国道463号)をくぐる。 地下約100mから水を汲み上げて噴水池から流して、 下流の循環ポンプで戻している。砂川堀(雨水幹線)の水ではないのだ。 せせらぎ水路沿いを行く。 味気ない砂川堀の流れとなる。 西武新宿線をくぐって行く。 《地図》 ここまでとし新所沢駅に向かった。
この歩道の下を流れているのだ。 《地図》 前方の「しまむら」の先で右に曲がって行く。 改道記念碑・馬頭観音(右・天保2年(1831))・ 四国坂東秩父回国供養塔(左) 《地図》 と言いたいところだが、マンホールの蓋を見よか。 車止めがあり一般道ではない。 《地図》 ここにも「砂川堀」のマンホールの蓋がある。 新河岸川との合流地点から「9km」地点だ。 車道の向こう側下からやっと流れが現れる。 下富調整池(右)の台風9号による堤防決壊箇所 《地図》 神明社 《地図》 多聞院 狛犬が鎮座している。 三芳町に入る。 多福寺雑木林 「三富開拓之地農民之菩提寺」標石が立っている。 元禄の井戸 銅鐘 穀倉(天保10年(1839)の建築と推定されている) 寺籍台帳に物置小屋と記載されているそうだ。 永久保三橋から上流方向 関越道をくぐって行く。 ここは三芳町・畑の向こうに立派な長屋門 永代橋から下流方向 右は川越街道をくぐった流れ。 右は弁天の森公園、左は「なんぽの道」・東原親水公園 ここあたりはポケモン探しの連中が歩いていた。 氷川橋あたりから下流方向 ここあたりは高層マンションが立ち並んでいる。 調整池 旭橋から下流方向 《地図》 暗渠となって東上線をくぐって行く。 弁天橋交差地点から苗間神明神社に寄る。 苗間神明神社 《地図》 神木のケヤキ それほどの大木とも思えないが。 燈明台(明治時代に奉納) 高さ6mで屋根以外、すべてをレンガで積み上げている。 渡戸橋から下流方向 《地図》 国道254号をくぐって行く。 蛇島遊水池が川の両岸下に広がっている。 左:左の樋門と右のトンネルを通って新河岸川に流れ込む。 右:新河岸川の対岸から(2016年11月20日撮影) |