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 立会川(跡)を歩く

 2017年3月20日

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  【ル−ト地図



碑文谷池(弁天池・碑文谷公園) 

立会川の水源の一つで、ここを起点とし勝島運河まで行く。


   
弁天堂・弁財天の写真(旗本神谷氏の奉納の像か)


碑文谷公園記





立会川跡を行く。 《地図

目黒通りを横切る


桜並木もそろそろ開花時か

立会川は碑文谷八幡宮からの流れと合流し、東に流れていた。
流路跡は緑道になっている。《地図

   
碑文谷八幡宮




   
すずめのお宿緑地公園
正面は旧栗山家住宅




旧栗山家住宅
江戸時代に旧衾村(ふすまむら)の年寄職を代々務めた栗山家主屋を移築。


   
高木神社・庚申塔道標(天明8年(1788)):環七通り沿いから移設されたもので、
右側面には「池上道」・左側面には「品川 大森道」などと刻まれている。





宮前橋跡から立会川緑道を進む。




   
円融寺山門・仁王門



   
釈迦堂(国重文)・阿弥陀堂





円融寺参道前から碑文谷八幡宮方向(昭和7年夏)
前方奥に鳥居の一部が見える。



清水池からの流れ跡との合流地点 《地図

緑道は終わり、西小山駅・江戸見坂通りを横切って行く。
流路跡は立会道路(延長4760m)となっている。


西小山桜並木通り(立会道路)
ここも桜まつりの提灯が下がっている。


小山八幡神社
荏原七福神の大黒天

   
境内の2本シイの大木(樹齢約150年)



摩耶寺
釈迦の生母の摩耶夫人像を祀っている。
荏原七福神の寿老人



荏原南公園の下は荏原雨水調整池になっている。





中原街道を横切る。 《地図



東急池上線で行き止まり、左方の踏切へ迂回する。



立会川児童遊園の流路跡を行く。

荏原町駅で東急大井町線を横切る。


このあたりの立会道路も緑道風になっている。


平間道と交差する。 《地図



上神明天祖神社
荏原七福神の弁財天


   
蛇窪大明神(厳島弁財天)


ありふれた由来話だが参拝者(見物客?)が並んでいた。



東海道新幹線・西大井駅(JR横須賀線))をくぐる。



相慈寺
吉野の金峯山寺の東京別院で「首から上の守り神」脳天大神



一本橋交差点 《地図



大井蔵王権現社
ここも参拝者が多い。荏原七福神巡りか?
図らずも今日は4か所の荏原七福神に立ち寄った。



大井町駅に突き当たり、右方の品川道踏切を渡る。

池上通りを横切る。


緑道風の立会道路を南下する。《地図



薩摩藩抱屋敷跡(関ケ原公園あたり一帯) 《地図





この月見橋下から流れが始まる。 《地図

 
桜橋付近から下流方向(左)
上流方向の月見橋の垂れ幕下から流れ出るが、
本来の流れの水ではない。総武線のトンネル内に湧き出る地下水を
配水管により立会川へ送水し、月見橋下から放流している。





昭和橋から下流方向



龍馬像 《地図
立会川繁栄会





仲町稲荷神社



浜川橋(泪橋)・旧東海道 《地図
橋を渡って東海道を行けば鈴ヶ森刑場跡に出る。





立会川河口近く(正面は勝島運河)

   
汚い水で大丈夫? 水鳥たちは「早くきれいにしてね」と言っていた。

このあたりは土佐藩の鮫洲抱屋敷跡で、屋敷地内に浜川砲台を築いた。


勝島運河

ここを終点とし、立会川駅に向かった。



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