坂道散歩
 街道・古道歩き
 歩いた坂
 ブログのTOPへ
             
 東海道@
(日本橋〜六郷土手駅)

 
日本橋駅(地下鉄銀座線)・・・日本橋(日本橋川)・・・京橋・・・銀座・・・新橋・・・日比谷神社・・・芝大神宮・・・金杉橋(古川)・・・西郷・勝会見の地・・・札の辻・・・元和切支丹遺跡・・・御田八幡神社・・・高輪大木戸跡・・・願生寺・・・稲荷神社・・・桂坂下・・・高輪神社・・・柘榴坂下・・・八ツ山橋・旧東海道・・品川宿・・・鮫洲八幡神社・・・涙橋(立会川)・・・天祖諏訪神社・・・浜川神社・・・鈴ヶ森刑場跡・大経寺・・第一京浜国道・・(大田区)・・・平和島口交差点・・旧道・・・美原通り・・・王森稲荷神社・・・徳浄寺・・・内川橋(内川)・羽田道分岐地点・・・第一京浜国道・・・夫婦橋(呑川)・・・(京急空港線)・・・六郷田無道分岐地点・・・北野神社・・六郷の渡し跡(多摩川)・・・六郷土手駅(京浜急行線)

  【ル-ト地図


     日本橋(日本橋川)

江戸五街道の起点・日本の道路の始点。
上に重たそうに首都高が被さっている。大阪の道路の起点の高麗橋も同様だが。


日本橋雪晴(「名所江戸百景」・歌川広重)

     日本橋
(歌川広重・東海道五十三次)

橋を渡る大名行列と、魚河岸
で仕入れた魚を売りに行く行商の魚屋。

江戸名所図会

絵本江戸土産」広重画)

     「日本橋魚市場発祥地の地」碑
・乙姫像 「説明板」

日本橋並ニ魚市全図

江戸名所図会』(魚市)

    東京市道路元標

下は日本国道路元標(レプリカ)で、本物は道路の中央に埋めれれている。 


里程標

     滝の広場

江戸時代の罪人の晒し場
現在は日本橋船着場の「双十郎河岸」

    「名水白木屋の井戸」碑・
漱石名作の舞台」碑
(コレド日本橋裏)

「日本橋通一丁目略図」(名所江戸百景)
右が白木屋(現コレド日本橋)

     
京橋親橋(明治8年(1875))



京橋


京橋親柱(大正11年(1922))
煉瓦銀座之碑・ガス灯


銀座発祥の地碑(銀座役所趾)碑


新橋親柱と銀座の柳二世
新橋・汐留橋』(江戸名所図会)

JR山手線のガードをくぐって行く。


日比谷神社(鯖稲荷) 《地図


芝大神宮

芝大神宮・『江戸名所図会』(飯倉神明宮



尾崎紅葉生誕の地(後ろは稲荷社)


金杉橋から古川

金杉橋

     
西郷・勝会見之地碑 《地図
落語『芝浜

     
札の辻交差地点



リボリアンティークスビル



元和切支丹遺跡 《地図





御田八幡神社
『江戸名所図会』(三田八幡宮



高輪大木戸跡の石垣 《地図




「東都名所」高輪全図(歌川広重)
左下の道の両側に大木戸の石垣がある。今と違って海が近い。

『江戸名所図会』の高輪大木戸



願生寺牛供養塔


高輪神社


高輪海岸の石垣石

 高輪


八ツ山橋、京浜急行の踏切を渡り、東海道品川宿へ入る。


東海道品川宿のはなし』(品川区)

     問答河岸跡碑(左)

かつて海岸先に波止場があり、三代将軍徳川家光が東海寺に入る時、出迎えた沢庵和尚と問答をした。
将軍「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」
沢庵「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」

そばに古ぼけて読めない説明板が立っている。


品川宿・『江戸名所図会』「品川駅

     
土蔵相模跡(左のコンビニの所・昔の写真) 《地図


流民叢塚碑(右)・板碑等保管堂(左)
法禅寺




一心寺(品川の不動様・東海道七福神



品川宿本陣跡(聖蹟公園)


品川橋(目黒川)から荏原神社(右)
北品川宿と南品川宿の境の橋で
江戸時代には境橋と呼ばれていた。


品川寺(ほんせんじ)・江戸六地蔵の一番

  
梵鐘(品川百景): 慶応3年(1867)パリ万国博
出品後に行方不明になり、昭和5年(1930)スイス
から返還された「洋行帰りの鐘」で、ジュネーブ市
との友好のきっかけとなった。
  
大イチョウ:幹回り5.35m、樹高25m、推定樹齢
約600年の古木で幹や枝からは多くの乳が垂れ
ている。

『江戸名所図会』「品川寺


海雲寺

     


平蔵地蔵尊(右・海雲寺境内)



鮫洲八幡神社 《地図

鮫洲海岸


 
涙橋(浜川橋)から立会川:かなり汚れている。
  


天祖諏訪神社


浜川神社


鈴ヶ森刑場跡 《地図




火灸台(右)・磔(はりつけ)台(左)

     

落語『鈴ヶ森


大経寺(処刑者供養寺)


     

美原(三原)通り:品川宿と川崎宿の間の宿としてにぎわった。 《地図
     


王森稲荷神社 《地図
東海道の一本西側の通り





徳浄寺



餅甚(享保元年(1716)創業) 《地図



内川橋(内川) 《地図
渡って左に羽田道が分岐する。



一里塚の立て札(左)(大森東2-1あたり)
このあたりは日本橋から三里目


夫婦橋から呑川

東六郷三丁目交差地点で六郷田無道が分岐する。
六郷神社前から当初の東海道の道筋が伸びている。
六郷田無道B』に記載。


北野神社(止めの天神) 《地図


六郷の渡し標柱(北野神社境内)
「日本橋へ四里半」と書かれているようだ。



六郷の渡し跡あたり(説明板

歌川広重の『川崎 六郷渡舟』・『江戸名所図会』(六郷渡場


  東海道Aへ続く


アクセスカウンター