境内の庚申塔(寛永16年(1639)・区内最古)・石造地蔵立像(延宝8年(1680)) ここで日光御成道と板橋道(鎌倉街道中の道(西回り))が合流する。 仙甚橋跡? 《地図》 新河岸川の支流でも流れていたのか? 塀の脇に放置された?道標(文化9年(1812))の左側面に 「これより志も村みち」で、志茂村道(下村道・ふるみち)を行く。 辻稲荷神社 境内に入れず。手前に辻稲荷大明神の石碑が立っている。 左の順礼碑道標(寛保3年(1743))の台座に「右下村」 三猿の庚申塔(元禄6年(1693)) 延命地蔵 《地図》 八雲神社 日光御成道岩淵宿の鎮守 レトロチックな黒田機器東京工場事務所(昭和9年建設) 《地図》 熊野神社 白酒祭 神木の梛(なぎ)の木 旧本殿 庚申塔(宝暦7年(1757)) 下の右手に鈴、左手に数珠を持つ。 台石にはユーモラスな三猿 中世からの道という志茂銀座通りの下村(志茂村)道 「ふるみち」で鎌倉街道の一つだろう。 南下して北本通りに出る。 北清掃工場 専福寺 庚申塔道標 《地図》? 「右下むら□」と刻むそうだが風化していて読めない。 自性院 《地図》 右側面に「左 下むら 右 王子 みち」・ 左側面に「右十條道」で、西進する道は環七通り沿いの「十条・板橋道」 如意輪観音像(元禄4年(1691))には、「現當二世安楽処」と刻まれ、 「現」は現世で「當」は来世だそうだ。 北本通りに出る。 堂内に「観音塚之由来記」がある。 装束稲荷神社 《地図》 社殿の左側が装束榎 『江戸名所百景』 落語『王子の狐』 日光御成道の王子大坂(地蔵坂)を上る。 日光御成道名残りの杉か? 庚申塔(南橋児童公園の北隅) 《地図》 左は万治2年(1659)の造立で、自衛隊駐屯地の門前にあった。 公園の西側は鎌倉街道中の道(東回り)で、この先で日光御成道に合流する。 陸上自衛隊十条駐屯地の北側を西に向かう。 観音堂 《地図》 馬頭観音と庚申塔(説明板には天保15年とあるが、 「北区 郷土の歴史・文化マップ」には天保4年と記載。 十条駅南口のJR埼京線の踏切を渡って行く。 姥ヶ橋陸橋交差点 姥ヶ橋は稲付川に架かっていた橋 庚申塔道標には、「これより右王子」・「これより左川口」で、 王子道(今歩いてきた道)と十条・板橋道との合流地点。 十条・板橋道(環七通り沿い)を東に向かう。 道標「是より 南い 」・「東 仲 東い 」 「い」の下は「たばし」か? 北ノ台スポーツ多目的広場(北ノ台小学校跡)の隅に移設(放置?)されている。 《地図》 御嶽神社 《地図》 庚申塔(宝暦4年(1754)) 《地図》 右の旧道に入る。《地図》 旧道はJR埼京線で途切れる。 富士見橋から埼京線 スダジイの右後方に庚申塔道標(天明4年(1784))) 左側に「是よりいたばし道」と刻む。《地図》 もとは東側の旧道の入口にあったという。「天王の一本杉」と呼ばれたという老杉は見当たらず。 ここまでとし、日光御成道を北上する。 清水坂を下る。《地図》 八幡山児童遊園の所が清水坂貝塚跡のようだ。 真正寺坂下の庚申塔道標(明和6年(1769)) 《地図》 「左これよりいたはしみち」で、日光御成道(岩槻街道)と中山道を結ぶ道筋。 付近の稲付村の人々は「しんしょう昇る」と縁起をかついでこの坂を上ったそうだ。 坂の北側に真正寺があった。 中坂下、静勝寺坂の坂下を通り赤羽駅に出た。
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