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 東京散歩
新宿糀谷村用水・南前堀・北前堀・松葉用水・旧呑川)

 
 2018年6月19日

蒲田駅(JR京浜東北線)・・・(環八通り)・・・御園踏切・・・蒲田電車区(六郷用水蛸の手跡)・・JR跨線橋・・・新宿糀谷村用水跡・・・新宿稲荷神社・・・妙泉寺・・・(京急本線)・・・(第一京浜国道・東海道)・・・(環八通り)・・・十王堂・・・(糀谷駅)・・・糀谷地蔵堂・・・三徳稲荷神社・・(浜竹用水跡)・・・浜竹天祖神社・・・(産業道路)・・・羽田道交差地点・権助橋跡・・・南前堀緑地・・・旭橋・・・南前堀水門・海老取川・・・北前堀・・北前堀水門・・北前堀緑地・・・北前橋・・・北前堀排水場跡・・・(産業道路)・・・松葉用水跡・・・妙幸寺・・・安泰寺・・・久遠寺・・・夫婦橋(呑川)・・・夫婦橋親水公園・・清水橋・・・旧呑川緑地・・・堀之内三輪神社・・・(産業道路)・・・昭和橋・・・呑川橋・羽田道交差地点・・・呑川水門・大森避難橋(平和島運河)・・・昭和島駅(東京モノレール)

  【ル−ト地図


蒲田駅西口
このあたりに設置された街頭テレビに群がって、
父と力道山の試合を見たのは半世紀以上も前のことよ。
戦後の雑踏、ごった煮の感じだった蒲田西口商店街
すっかり変わってしまって歩く気にもなれない。



蒲田電車区(操車場) 《地図
六郷用水の「蛸の手」跡で、ここから何本もの用水が分流していた。



蛸の手から現在地へ流れて行くのが新宿糀谷村用水



新宿糀谷村用水跡
蛸の手からここへ流れて来ていた。 《地図




テジャバラ(手蛇腹?)
ジャバラ(足踏み水車・『六郷用水』)




新宿糀谷村用水跡を下流方向に進む。
浜竹用水へ続き、南前堀に流れて東京湾に落ちていた。



新宿稲荷神社 《地図



蛇行跡のくねった道を行く。



京急本線をくぐり、東海道(第一京浜国道)を横切って行く。

糀谷駅前沿いを通って行く。


 十王堂 《地図



OIDE通り商店街が流路跡のようだ。 《地図



糀谷地蔵堂(左の小祠)


享保元年(1716)の造立?




三徳稲荷神社
浜竹村の鎮守として創建されたようだ。



このあたり(西糀谷3)は浜竹村で浜竹用水と呼ばれていた。
明治12年に麹谷村、浜竹村、下袋村は合併して新たな麹谷村となった。
大田区の町名
今も浜竹図書館・浜竹荘などがある。


浜竹天祖神社

産業道路を横切って行く。


羽田道交差地点(左から右へ)・権助橋(浜竹用水)跡 《地図


羽田道標柱側面の説明板


羽田道(羽田方向)



ここから南前堀緑地となる。 《地図
正面は南前堀排水場跡




人工水路(せせらぎ?)だが水を流していない。



緑地が終わった首都高羽田線下の旭橋から。
この先の南前堀水門で海老取川に注ぐ。



南前堀水門・海老取川 《地図
このあたりは『呑川を歩くA』でも歩いている。



海老取川を少し上流に向かう。



左から北前堀が流れ込む。
北前堀を遡る。



北前堀水門 《地図


水門のそばから下流(海老取川)方向


水門から上流方向
すぐに北前堀緑地(正面)となる。



北前堀緑地


北前橋をくぐる。


人工水路の水は雨水か?


北前堀排水場跡の先で緑地は終わり、松葉用水跡へと繋がって行く。



松葉用水の蛇行跡の道


呑川の夫婦橋の少し上流から松葉用水は取水していた。



呑川下流方向(夫婦橋から)
左岸を下り、清水橋から東蒲中学校を迂回して旧呑川跡(緑地)に向かう。





ここから旧呑川緑地が始まる。《地図



マンホールから勢いよく流れる水音が聞こえる。






大森・海苔乾し(昭和大東京百図絵版画・昭和12年)



堀之内三輪神社





呑川橋をくぐる。
ここも羽田道との交差地点



水があると涼しく感じる。
この先で緑地は終わり、左に迂回する。



大森東避難橋(平和島運河) 《地図
昨日、大阪で震度6弱の地震があったばかりだ。


呑川水門(避難橋から)


避難橋から首都高羽田線・羽田空港方向
避難橋を渡って昭和島駅に向かった。




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