左方のびっくりガードに迂回する。 ![]() びっくりガードをくぐる。 ![]() 「雑司が谷いろはかるた」(びっくりガードの壁」 《地図》 ![]() かるたは「卒塔婆(そとうば)も鎌倉も木村も弦巻川の橋の名」らしい。 卒塔婆橋は法明寺参道前、鎌倉橋は鎌倉街道(中の道)との交差地点、 木村橋は清立院前の石橋供養塔のあたり、 南坂橋は南坂を下った弦巻通りに架かっていた橋だろう。 西武線のガードをくぐり、明治通りを横切る。 ![]() 参道に入る。 《地図》 ![]() 法明寺参道 満開間近で、露店も準備OK ![]() くねった道は弦巻川の流路跡か。 このあたりが鎌倉橋跡(鎌倉街道中の道との交差地点)だろう。 この先、大鳥神社〜木村橋供養塔〜南坂橋跡〜弦巻通り〜小篠坂下までは、 『都電荒川線A』で歩いた道とほぼ同じで略す。。 ![]() 弦巻稲荷神社 《地図》 ビルの間に挟まれ肩身が狭く、窮屈そうに鎮座しているが、 弦巻の名をしっかりと守っているか。 この先の弦巻川は首都高5号池袋線と講談社の裏側の間あたりを 流れていたようだが道はなく、しばらく音羽通りを進み、 弦巻川跡に下っている坂を上り下りする。
旧音羽町3丁目から上る坂。 江戸時代から高速道路下を流れていた弦巻川にさらす抄紙(紙すき)場があった。 明治20年代にも79軒と盛んだったが、昭和10年に1軒、終戦直前に閉鎖された。 ![]() パリ外国宣教会 ![]() 桂林寺 ![]() 鉄砲坂 《地図》 江戸時代、的場(鉄砲の射撃練習場)があった。 ![]() カテドラル関口教会(正面の塔)
鳥尾家が私財を投じて開いた坂.。 ![]() 関口台公園 マレーシア大使館(現在は渋谷区南平台)の跡地
![]() 音羽児童遊園の人工水路
旧音羽7丁目と6丁目から上る坂。途中に石段の所がある。 ![]() 目白新坂(目白通り) 明治になり開かれた坂。別名を椿坂、椿山の旧跡に上る坂。 ![]() 目白坂(清戸道) 《地図》 目白坂『江戸名所図会』
江戸川橋の少し上流側で、暗渠の弦巻川が神田川に合流(右) 最後の方は弦巻川跡歩きというより、坂道散歩になってしまったが、 ここを終点とし地下の江戸川橋駅に下りた。
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