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 東京散歩(都電荒川線A


 
 2017年1月30日

王子駅前駅(都電荒川線)・・・飛鳥大坂・・飛鳥山公園・・・本智院(滝野川不動尊・身代地蔵尊)・・・東京歯科衛生専門学校・・・庚申塔道標・・・(豊島区)・・・妙行寺・・善養寺・・清厳寺・・良感寺・・・大都映画巣鴨撮影所跡(朝日中学校跡)・・・正法院・・西方寺・・盛雲寺・・・(国道17号)・・・旧中山道・猿田彦大神(庚申塚)・・・庚申塚駅(都電荒川線)・・・延命地蔵堂・・・明治女学校跡・・・大日堂・・・(都電荒川線)・・・法浄寺・・・折戸通り・・・滝不動・巣鴨平民社跡・・・傷兵院跡(巣鴨公園)・・・子安天満宮・・・大塚駅(JR山手線)・・・大塚三業通り・・・東福寺・・・天祖神社・・・大塚台公園・・・(春日通り)・・・造幣局東京支局跡・・・(首都高5号池袋線)・・本教寺・・・本立寺・・・威光稲荷堂・・・法明寺・・玄静院・・観静院・・(弦巻川跡)・・・雑司ヶ谷鬼子母神堂・・・本納寺・・・大鳥神社・・(都電荒川線)・・・宝城寺・・石橋供養塔(弦巻川跡)・清立院・御嶽坂・・・宣教師通り・・旧宣教師館・・・本浄寺・小篠坂・・・弦巻通り・・清土鬼子母神・・・菊池寛旧宅跡・・・三角寛旧宅・・・南坂橋跡あたり・南坂・・・稲荷坂・・富士見坂下・・・豊川稲荷社・・・仲之橋(神田川)・・・新目白通り・・・早稲田駅(都電荒川線)

  【ル−ト地図



王子駅前駅から早稲田駅まで沿線沿いを歩く。
北区〜豊島区〜文京区へと進んで行く。
今日は気温が20度位まで上がって、昼間は上着がいらないほどの陽気だった。


   
JR王子駅の下、飛鳥大坂を走る都電荒川線


   
飛鳥山公園に上る飛鳥山モノレール(あすかパークレール)
2009年から運行しているのに知らなかった。
かたつむりに似ていて愛称は「アスカルゴ」だそうだ。

飛鳥山


飛鳥山公園沿い


滝野川不動尊(本智院) 《地図
右の祠が身代地蔵尊・奥が大日如来?の祠。

   



東京歯科衛生専門学校 《地図
日本庭園をもつ邸宅跡地に建設。第1回北区景観賞受賞


正面の分岐点左は庚申塔道標(元文5年(1740))で、「これより右王子道」で今来た道・
「これより左弁天道」で、松橋弁財天(『石神井川を歩くA』)への道。右は馬頭観音 《地図

北区から豊島区に入る。

   
妙行寺・魚河岸供養塔(右端)・うなぎ供養塔


お岩様(四谷怪談)の墓
新宿区左門町に「於岩稲荷田宮神社」と「於岩稲荷陽運寺」が、
中央区新川にも「於岩稲荷田宮神社」がある。
(『新宿区の坂@』と『落語散歩』にも記載)


妙行寺はもとは四谷鮫河橋南町にあり、御家人の田宮家もそこにあって檀家だった。


赤穂浅野家瑤泉院の供養塔(左)
瑤泉院の祖母高光院の供養塔(中)
浅野大学長広の夫人の蓮光院の墓(右)



善養寺
江戸三大閻魔の一つ







大都映画巣鴨撮影所跡 《地図
跡地の朝日中学校も廃校となり、「にしすがも創造舎」が校舎などを利用しているが、
その事業も縮小しているようだ。(活動は2016年12月をもって終了)
これもお岩様の祟りかも?



西方寺
浅草聖天町にあって「土手の道哲」と呼ばれた寺で、二代目高尾太夫の墓がある。
二代目高尾は落語の『高尾』・『反魂香』のモデルで、墓は浅草の春慶院にもある。


   
庚申塚(左)・巣鴨地蔵通商店街入口 《地図
巣鴨庚申塚(『江戸名所図会』)




   
延命地蔵堂 《地図
左の写真の左端が延命地蔵(江戸時代初期?)・中が題目塔・右が徳本名号塔。
右の写真の左が馬頭観音、右が地蔵庚申塔で
「是より小石川おたんす町之ミち」と道標も兼ねていた。





明治女学校跡 《地図




   
大日堂(右)・大日如来像 《地図
奥の地蔵などの祠の前に明暦2年(1656)の庚申塔が立ち、
祠内に大日堂を建てた春海上人の石碑と伝えられるものがある。




都電荒川線を横切り、折戸通りへ出て南へ大塚駅方向に進む。

   
滝不動堂・石造不動明王立像(再建) 《地図
かつてここを流れていた谷端川沿いにあって移設され、平成11年に元の位置あたりに戻った。
ここはJR大塚駅前で昔は川が流れていたとは想像もできない光景だが。



滝不動のビルの一画あたりに巣鴨平民社があったようだ。(北大塚2-14)
幸徳秋水が明治41年10月から翌年3月まで居を構えていた。
大逆事件の時に、そこが共同謀議の場所とされた。
その当時は谷端川も流れていたのだろう。
幸徳秋水の墓は高知県四万十市にある。『四国遍路道(高知県M)


傷兵院旧址碑(巣鴨公園)
日露戦争での傷病兵の廃兵院跡で、後に傷兵院に改称されたそうだ。
もとは松平播磨守の屋敷で東都一のもみじの名所だったという。



子安天満宮
春っぽさを感じる。



大塚駅前駅あたり



大塚三業通り 《地図
昔この近くに勤めていたことがある。その頃も花街の面影は消えつつあった。


   
東福寺
石段下近くの右の道標には、「右 大塚 向 巣鴨監獄 左 巣鴨庚申塚」
巣鴨監獄(巣鴨拘置所の前身)は東池袋のサンシャインシティの所にあった。
道標の上の植え込みの中に「疫牛供養碑」がある。
明治43年に牛乳搾取業巣鴨支部が建てたそうだ。



都電沿いに戻る。

   
天祖神社・昭和20年3月10日の東京大空襲で被災した夫婦イチョウ


   
大塚台公園のSL

春日通りを横切って行く。

   
造幣局東京支局跡 《地図
昨年の10月にさいたま市局に移転した。
古い石垣が残っている。もとは何が建っていたのだろうか?跡地はどうなるのか?

首都高5号をくぐる。


本教寺
服部嵐雪・歌川豊春の墓があるが入口が分からず。


   
本立寺神木隊戊辰戦死之碑
榊原高尾(六代目高尾太夫)の墓を探したが分からず。


   
威光稲荷堂(法明寺の諸堂の一つ)・このあたりは『鎌倉街道(中の道A)』で歩いている。 《地図



法明寺

   
蕣(あさがお)塚(文政9年(1826))
酒井抱一の朝顔の絵と、「蕣や くりから竜の やさすがた」 富久
富久は彫金師で「藪そば」の雑司ヶ谷店の主人・戸張喜惣次の俳号

梵鐘は寛永21年(1644・正保元年)の鋳造で、享保17年(1732)の再鋳。
鐘銘には「寛永廿二甲申十二月・・・」とあるそうだ。



観静院
雑司が谷七福神の弁財天

弦巻川跡を横切って行く。


雑司ヶ谷鬼子母神堂

   
境内の江戸時代から続く駄菓子の川口屋は、「川口の飴は照り降りなしに売れ」と詠われた。
雑司ヶ谷七福神の大黒天


大イチョウ




   
本納寺月花塚には二首の狂歌が蜀山人の筆で刻まれている。


   
大鳥神社・雑司ヶ谷七福神の大黒天


弦巻川暗渠化記念碑(昭和7年)
大鳥神社北側を西から東へ弦巻川が流れていた。
周辺は宅地化が進み、川は汚れ悪臭を放っていた。
「公衆衛生ノ根本的解決」のために弦巻川は暗渠化された。

都電荒川線を横切る。


宝城寺
左は「祈雨日蓮大菩薩」塔



御嶽坂(左は清立院)・右は木村橋供養塔(享保18年(1733))で、
木村家によって木橋から石橋によって架け替えられた。
正面には「南無妙法蓮華経」と刻まれている。
後ろに小さな白鳥稲荷がある。
手前右方向に弦巻川が流れていたようだ。



清立(せいりゅう)院
雨乞いと皮膚病(かさもり(瘡守)薬王菩薩安置)の祈願寺として尊崇された。

清立院 日親堂 請雨松 宝城寺」(『江戸名所図会』)
絵の下方を左から右へ弦巻川が流れている。

   
雨乞の松・雑司ヶ谷七福神の毘沙門天



宣教師通り 《地図


雑司ヶ谷旧宣教師館
区内最古の木造洋風建築



本浄寺
甲州身延山七面の像を祀る。

小篠坂を下って文京区に入る。


清土鬼子母神堂 《地図

   
星跡の清水(三角井戸)が(雑司ヶ谷)鬼子母神尊像出現地という。
その手前左が涼月塚で、「此の道に出て涼しさよ松の月」の芭蕉句碑(文化9年(1812))
右が雑司ヶ谷七福神の吉祥天
大イチョウの根元の道標(文政6年(1823))には、
「これより右みのぶ山ひながた七面堂きしも神出現道」で、七面堂は本浄寺のこと。
もとは鬼子母神堂の裏の弦巻川沿いに立っていたようだ。

清土 星の清水」(『江戸名所図会』)
(中央右に井戸があり、左方を弦巻川が流れている)


湧き水の古釜(清土鬼子母神と弦巻通りの間の小道)



菊池寛旧宅跡 《地図
昔、菊池寛をフランキー堺が演じる映画『末は博士か大臣か』(1963年製作)を見たことがある。
『恩讐の彼方に』の耶馬渓の青の洞門を訪れたのも大昔のことよ。





三角寛旧宅
山窩(サンカ)の研究者

   
南坂:北方向に上り、清立院前の木村橋供養塔へと通じている。
「雑司が谷がやがやお散歩マップ」に載っている坂。
清立院か雑司ヶ谷霊園の南の坂ということか? 《地図
坂下あたりには弦巻川の南坂橋が架かっていたようだ。

もう4時過ぎでさすがに寒くなってきた。
都電沿いには戻らず南坂の坂下の商店街を南方向に進み、
稲荷坂を下って神田川を渡り早稲田駅に出た。


稲荷坂
このあたりには宿坂・のぞき坂などの急阪が並んでいる。



仲之橋(神田川



早稲田駅


 都電荒川線@




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