「幽霊飴」

 
あらすじ ある夜、珍皇寺門前の六道の辻飴屋の戸を叩く音がする。店の者が出てみると、やせた青白い女が、「えらい夜分遅うにすみませんが、飴を一つ売っていただけませんか」と、一文銭を差し出した。「はい、どうぞ」、女は礼を言って大事そうに飴を持って、音もなく店から出て行った。

 次の日も夜中にやって来て一文銭を出して飴を一個買って行く。後ろ姿を見送って、
飴屋の主人 「どうもあれはただもんやないな。あの女が入って来ると一緒に冷気が入って来るようで身体が震えてくる」

 女は六日間続けて飴を買いに来た。女が店を出た後で、
主人 「あしたも一文銭持って買いに来たら、あれは人間で安心やが、あした銭持って来なかったら人間やないで」、「なんでですねん」

主人 「人間、死ぬ時には、三途の川の渡し賃として六道銭というて銭六文を棺桶に入れるんや。それを持って飴買いに来たんやないかと思うんや。そやさかい、七文、八文も銭が続きゃ、あれは人間ちゅうことや」

店の者 「あした銭持って来なんだら追い返しまひょか」

主人 「そんなことすれば祟りがあるぞ。このあたりは六道の辻いうて、あの世とこの世の境目、冥界への入口ともいわれておる。謡曲の「熊野」(ゆや)にも愛宕の寺も打ち過ぎぬ 六道の辻とかや げに恐ろしやこの道は 冥途に通うなるものを 心ぼそ鳥辺山煙の末も うす霞むと語られておる。あした女が銭を持って来なくても飴はあげなさい。きっと冥界から毎晩通って来なければならない事情があるのだから、けっして粗略にしてはならんぞ」

 次の夜は戸締りもしないで待っていると、音もなく入って来て、
女 「実は今日はおあしがございませんが、飴を一ついただけまへんやろか」

主人 「よろしいおます。銭は今度持ってきて来ておくなはれ」と、飴を渡して店の者にこっそりと女の後をつけさせた。

 女は脇目もふらずに、三年坂から二年坂を上り、高台寺の墓地へと入って行った。そして一つの新しい塔婆のところまで来ると、その女の姿はかき消すように見えなくなってしまった。

 寺に顛末を話してそこの墓を掘って見ると、お腹に子どもを宿したまま死んだの若い女の墓で、土中で子どもが生まれ、母親の一念で飴を買いに来て、それで赤子を育てていたのだ。

 幸いにも飴のおかげか、赤子はまだ生きていた。子どものない飴屋の主人夫婦がこの子を引き取り、大事に育てた。

 のちにこの子は立派に成長して、飴屋夫婦に孝行を尽くし、高台寺の坊さんになって飴で育ててくれた母親の供養したという。

 母親の一念で、一文銭を持って飴を買って墓の中で子を育てていたという、それもそのはずで、「こおだいじ(高台寺・子を大事)




「子育て幽霊」(福娘童話集



高台寺境内から台所坂 《地図
北政所(豊臣秀吉夫人)、「ねね」の創建



高台寺墓地



開山堂



二寧(年)坂 《地図



三年(産寧)坂 《地図



六道の辻碑(六道珍皇寺門前)
落語では飴屋はこの門前となっているが、実際は西福寺前にある。



六道の辻碑(西福寺



幽霊子育飴「みなとや」 《地図



幽霊子育飴


 飴買い幽霊・子育て幽霊ゆかりの地
(金沢・東京・長崎・常陸太田・静岡・沖縄)


あめや(飴屋)坂  《地図
森山2丁目の森山小学校の前から城北大通り(国道159号)を横切り光覚寺へ上る坂。

 
 飴買い幽霊の伝説:藩政期初期のころ、光覚寺の門前の坂の飴屋に毎夜、飴を買いに来る女がいた。ある夜、「今夜が最後」と言い残し店を出て行った。店の主人が後をつけて行くと女は坂を上って光覚寺の墓地に入り、新しい土饅頭の前で消えた。それは子をはらんだまま急逝した若い母親の土饅頭だった。
 翌朝、役人や家人と掘り返してみると柩の中で男の子が生まれていた。赤子は元気だったが、一緒に埋めた六文の銭は一文も残っていなかった。母親の霊が坂を下りて、銭が無くなるまで赤子のために飴を買いに行ったのだ。それ以来、光覚寺の門前坂を「あめや坂」と呼ぶようになった。後に、男の子は立派な高僧になったという。(「サカロジー金沢の坂」より

金沢市の坂⑥


あめかい地蔵尊(光覚寺裏の墓地)



俵屋(小橋町2-4)
天保元年(1830)創業のあめ(飴)屋。あめや坂の「飴屋」とは関係ないが。



光福寺 《地図

中原街道①


ゆうれい地蔵福寺)
赤子を残し死んだ母親の幽霊が地蔵となって飴を買って赤子を育てたという、



ゆうれい坂(坂上方向)  《地図
民話「飴屋の幽霊(産女(ウグメ)の幽霊)」の舞台、光源寺へ上る坂
長崎市の坂②



光源寺
光源寺に残る「産女のゆうれい」の木彫り像。(「長崎坂づくし」所載) 
この像は毎年8月16日に開帳される。「産女の幽霊井戸」が
一覧橋から興福寺に向う途中(麹屋町の泉屋第二ビルそば)にあるという。




赤子塚民話の碑 「碑文



十王坂 『常陸太田市の坂

 十王坂に伝わる「だんご屋の幽霊」伝説:「山吹の里」と呼ばれていたこの坂あたりのだんご屋に毎日、日暮れになるとやつれた女がだんごを買いに来た。ある日、だんご屋のあるじはこの女の後をつけて行くと寺が並んでいる寂しい所あたりで女は消えてしまった。するとどこからともなく赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。その声は墓地の土の中から漏れてくるので掘って見ると、赤ん坊が手足を動かしていた。赤子の母親が幽霊となってだんごを買いに来て、赤子にだんごを食べさせていたのだ。この赤ん坊は生まれながらにして頭髪は真っ白だった。子供に恵まれないだんご屋夫婦はこの子を育てることにした。この子は無事成長し、極楽寺の住職となり、白頭和尚と呼ばれた。その墓は新宿町の極楽寺跡の裏山にあり、白頭和尚入寂塚として今に伝えられている。『おおた坂物語』より 



「幽霊」ではないが子育飴「元祖扇屋」
元祖小泉屋」もありややこしい。
小夜の中山夜泣石伝説

詳しくは『東海道藤枝宿→掛川宿)』



七つ墓 「説明板

沖縄県の坂③


700(2018・3)




表紙へ 演目表へ 次頁へ