「牡丹灯籠②」


 
あらすじ 今夜も新三郎との逢瀬を楽しみにやって来たお露さんだが、家の回りにはお札が貼ってあって入れない。家の中からは新三郎の読経の声が聞こえてくる。

お米 「萩原様のお心は変わってしまわれました。心の腐った男はお諦めなさいませ」と慰めるが、お露はとても諦めきれないと、さめざめと泣くばかり。

 お米は孫店の伴蔵のところへお札をはがしてくれるように頼みに行く。はじめは幽霊を怖がり、恩ある新三郎のところへ出る幽霊のいう事なんぞは聞けないと、断り続けていた伴蔵だが、女房のおみねから、「幽霊から百両の金を取ってお札をはがしておやりね」とそそのかされて、

伴蔵 「お札をはがして萩原様のお体にもしものことがあったら、私ども夫婦も後の暮らしに困りますから、百両の金を頂ければすぐにお札をはがしましょう」と、幽霊と掛け合う。

 お米は百両の金と引き換えに、お札はがしと新三郎が肌身につけている海音如来像を盗み取ることで交渉は成立。おみねは家に籠りっきりの新三郎を、垢だらけで不潔だと言って行水させて、その隙に伴蔵が金無垢の海音如来を抜き取り、その代わりに粘土の不動像を忍び込ませた。海音如来はほとぼりの醒めたころ、売り払おうと庭に埋めた。

 その晩、やって来た二人の幽霊、
お米 「ここに百両お持ちいたしました。どうかお札をはがしてくださいまし」、伴蔵は幽霊にお足があるのかと訝しがって金を確かめるが、ちゃんと本物の小判だ。

 早速、伴蔵は幽霊たちを引き連れて新三郎の家へ行き、お札を全部はがしてしまった。喜んだお露さんは伴蔵に礼を言って裏窓からすぅ~と、家の中に入って行った。

 その夜は幽霊の手引きをした後ろめたい気持ちもあり、まんじりともせずに夜明けを迎えた伴蔵は、おみねと近くの白翁堂遊斎を連れて新三郎の家に様子を見に行く。

 しんと静まり返って戸を叩いても、新三郎様と大声で呼べども答えず、中へ恐る恐る入って行くと、新三郎は虚空をつかみ、歯をくいしばって物凄い苦悶の表情で息は絶えている。その首に髑髏(どくろ)が、しっかりとかじりついている。

 三人とも腰を抜かすほどびっくりして、白翁堂が新三郎の身に着けている海音如来を探すと、これが泥の不動に変わっている。

白翁堂 「伴蔵、てめえを疑るわけじゃねえが、ちょっと人相を見せろ」、あわてて拒む伴蔵の様子から、こやつ怪しいと睨んだが、逃がしてはいけないと思ってそれ以上は追及はせず、新幡随院の和尚に頼んで新三郎をお露の墓の隣へ葬ってやった。

 伴蔵はすぐにここを引き払うのは怪しまれると思ってしばらく経った頃、伴蔵の故郷の日光街道栗橋宿へと引っ越して行った。

 伴蔵は馬方の久蔵に頼んで一軒の家を買い、荒物の関口屋という店を出す。二人して一生懸命に働いて店は繁盛し、奉公人も何人も置くようになると、伴蔵は上等な服を着るようになり金使いも荒くなる。

 そのうちに栗橋宿の料理屋の笹屋で、年増の別嬪な酌取女にぞっこんになる。足繁く通うようになり、金にものを言わせてこの女と怪しい仲になる。

 この女こそ飯島平左衛門の妻女が死んで女中から後添いに居直ったお国だ。平左衛門の娘のお露さんとはなさぬ仲で、お国を嫌ったお露さんは柳島の別荘で暮らすようになったいういきさつがあった。

 お国は隣家の宮野辺源次郎と密通し、二人で企んで平左衛門を殺して逐電し、お国の故郷の越後の村上に向かったが、親元の家は絶えこの地へ流れて来たというわけだ。源次郎は平左衛門から受けた疵が痛んで土手下の粗末な家に二人で暮らしている。

 伴蔵に女ができたことをうすうす感づいたおみねは、久蔵に酒を飲ませて酔わせて、お国のことを洗いざらい喋らせてしまう。

 おみねは帰って来た伴蔵にお国ことを問い詰める。始めはしらばっくれていた伴蔵だが、久蔵から聞いた証拠をつきつけられてついに白状する。二人は口論となり、怒った伴蔵はおみねに拳を上げる。

 おみねは泣きながら伴蔵が幽霊と取引して百両をもらってお札をはがし、海音如来を盗んだことを大声で喋り始める。あわてた伴蔵は謝って、二人だけで越後の新潟あたりへ行ってやり直そうと持ちかけ、おみねを手首を取って引き寄せて仲直り。「女房の角をへのこでたたき折り」で、夫婦とは不思議なもんだ。

 翌日、幸手の祭りに二人で出かけその帰り道、夜も更けて土手あたりまで来ると伴蔵は、おみねに土手下に海音如来を埋めてあると欺き、掘り出すから見張っているよう言い、暗い中をおみねの後ろへ回って腰に差した脇差をそっと抜いて、おみねの肩先目がけて切り込んだ。

 怪談牡丹灯籠のお札はがし、栗橋宿でございます。






栗橋宿本陣跡池田家 《地図

日光街道(栗橋宿→野木宿)』


脇本陣跡虎屋?



幸手宿本陣知久家跡 「説明板
うなぎの「義語家」(幸手市中1-8)
三遊亭圓朝は牡丹灯籠の取材旅行で「旅館あさよろず」に泊まったようだ。

日光街道(粕壁宿→幸手宿)』


幸手権現堂桜堤 「説明板
昭和初期に廃川となった権現堂川(今は権現堂調節池)の堤。



        

665(2018・2月)




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