「道灌」 立川談志
静勝寺の坂 《地図》 静勝寺は太田道灌が築いた稲付城跡にあり、 この丘を道灌山@という。『北区の坂道』 道灌堂(静勝寺境内) 太田道灌の木像を安置する。 道灌山坂 《地図》(北区と荒川区の境) 「道灌山」 道灌山A(「絵本江戸土産」広重画) 道灌坂 《地図》 太田道灌が豊島泰経を討った切通しに因む名。 近くの道灌橋公園に道灌橋の碑がある。 道灌坂 《地図》 このあたりは、近くに兜塚や夢見ケ崎など 太田道灌にまつわる史跡があり、道灌山と呼んでいる。『鶴見の坂道』 丸山城址公園 「説明板」 《地図》 平安時代の終わりから鎌倉時代にかけてこのあたりを支配していた、 糟屋有季の居館跡と伝える。 その後の発掘調査で室町時代後期の資料が多く発見され、 15〜16世紀に城として機能していたことが確認され、 太田道灌が主君の扇谷上杉定正に殺された「上杉館」(糟屋館) という見方も有力となった。 『大山街道(愛甲石田駅→こま参道入口)』 太田道灌の墓(胴塚) 「説明板」 前の2本の松の切り株は道灌の四十九日の供養に 詩僧・万里集九(ばんりしゅうく)が植えた松と伝え、 明治半ばまでは立派な松が2本聳えていたという。 万里集九は『梅花無尽蔵』で、「道灌は兵書・史伝・小説・歌集など 数千函の蔵書を持ち、また家集十一を作っていた」と言っている。 |