「雁風呂」


 
あらすじ 諸国漫遊の水戸黄門の一行が東海道の遠州掛川宿の茶店で休んでいると、松に雁(かりがね)が描かれている屏風が黄門様の目に止まった土佐将監光信の作とまでとは分かったが、「松に雁」の意味が分らない。
 そこへ上方風の町人が二人やって来て屏風絵を見て、「これは雁風呂だ」と話し始めた。伴の喜助が、「・・・二本差した侍で判らん奴が多いんでっせ。武士ゆうたかて鰹節にもならん、眼があっても節穴同然・・・」と、大声でけちょんけちょんに武士をけなしている。

 これを聞いた黄門様は格さんに、「あの者たちにこの絵解きをするよう、ここへ呼びなさい」と申し付ける。主人の男は「恐れ多いこと」と断るがついには断り切れずに黄門様の前で、雁風呂の由来話を始める。「秋に常盤の国から渡って来る雁(かりがね)は、柴をくわえて飛び、疲れるとこれを海に落として羽を休める。函館まで飛んで来た雁は浜辺の一木(ひとき)の松の根元に柴を落として、日本国中を飛び回る。この柴をしまっておいて、春になって松の根元に出してやると、雁はこれをくわえて常盤の国に帰る。あとにはたくさんの柴が残るが、これだけの雁が日本で死んだのだと、供養のためこの柴で風呂をたき、旅人の疲れをいやしてやった。紀貫之の歌に秋は来て春帰り行く雁(かりがね)の羽交(はがい)やすめぬ函館の松、これが函館の雁風呂でございます」

 黄門様はすっかり感心し、姓名を尋ねると、お上より御取り潰し(闕所(けっしょ)処分)となった、大坂の淀屋辰五郎せがれの辰五郎で、柳沢美濃守に用立てた三千両を返してもらうため江戸に向かう途中という。

 小汚い爺さんが「恐れ多くも先の副将軍、水戸光圀公であらせまするぞ」で、驚いて土間に飛び下がった黄門様は辰五郎に、「・・・もし柳沢家で三千両下げ渡しなき時は、江戸の上屋敷に願い出れば三千両を下げ渡す・・・」という目録に印を押して与えた。驚いて喜んで平伏して目録を押し頂く辰五郎をあとに、黄門様一行はお発(たち)になる。辰五郎はその後ろ影をずっと伏し拝んでいる。

喜助 「旦那、柳沢様で払わなんだら水戸様のお屋敷に行って・・・どっち道、取りっぱぐれのない三千両・・・、雁風呂の話一つで三千両とは、高い雁(かりがね)ですな」

辰五郎 「そのはずじゃ、貸金(かしがね)を取りに行くのじゃ」




        



三遊亭圓生の『雁風呂【YouTube】


   掛川城
   

清水銀行掛川支店 《地図

山内一豊の妻の内助の功の逸話のレリーフ。 
説明板

 

掛川駅(北口)

新幹線停車駅で唯一の木造駅舎だそうだ。ただし北口だけ。

淀屋橋
(土佐堀川)
  淀屋の屋敷跡
(淀屋橋南詰西側)
  立待岬(函館)から津軽海峡、函館市街





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