「権兵衛狸」


 
あらすじ ある山里の村外れに住んでいる権兵衛さん。年の頃は六十前後、若い時分には極道でならしたが、おかみさんをもらってからは極道も直り、十年ほど前におかみさんを亡くしてからは、気楽な一人暮らしで若い者のめんどう見がよく、「権兵衛はん、権兵衛はん」と慕われ、連中もよく家に遊びに来る。

 今日もわいわい、がやがやと夜遅くまで話していた若い連中も帰り、権兵衛さんは寝酒をあおって、布団にくるまってうとうとし出した。すると表の戸を、ドンドン叩き、「権兵衛はん、権兵衛はん」と呼ぶ声。若い者が戻って来たのかと戸を開けると誰もいない。空耳か、夢でも見たのかとまた布団に入るとまた、「権兵衛はん、権兵衛はん」で、戸を開けると誰もいない。

 これは山に棲むのワルサだと見抜いた権兵衛さん、戸のそばに身をひそめ、狸が「権兵衛はん、権兵衛はん」、後ろ向きで頭をドンドンと叩きつけるのを見計らって戸をガラッと開けると、狸がゴロッと転がり込んだ。大格闘の末、権兵衛さんは狸を組み伏せ、囲炉裏の上の(はり)から吊るしてしまった。権兵衛さんはもう一杯ひっかけ、思わぬ格闘の疲れから朝までグッスリとなった。

 翌朝、近所の者がお早うとやって来た。囲炉裏の上の吊るされた狸を見てびっくり。村人にしょっちゅうワルサをする狸で、皆えらい目に遭っていると言う。狸汁にして、村人全員で食おうなんて言い出した。権兵衛さんそんなことはできないと村人を帰し、狸汁と聞いて震えている狸に話しかけた。「今日は死んだ父っさまの祥月命日で、殺生などでけんわい。逃がしてやるから心配すな」と、狸を下し、ワルサをしないようにと、狸の頭をきれいに刈って逃がしてやった。 さすがに狸も嬉しかったとみえ、あとを振り返 り、何べんもペコペコ、ペコペコ頭を下げながら姿を消した。

 今日も一日が終り、今日は生き物の命を助けたといい気分でくつろいだ権兵衛さん。寝酒をあおって布団に入ろうとすると、ドンドン「権兵衛はん、権兵衛はん」、あれだけ言ったのに性懲りもなくまた来よった。 今度捕らまえたらどうするか見ておれと、権兵衛さん、ガラッと戸を開けると、ヒョイと首を出したが、

「権兵衛はん、今晩は髭(ひげ)を剃っとく なはれ」




   




桂枝雀の『権兵衛狸【YouTube】


 狸ゆかりの地
   

茂林寺山門(赤門) 《地図

居並ぶ狸たちが出迎えてくれる。
千人同心日光道

   

分福茶釜

紫金銅製・周囲4尺・口径八寸・重量約三貫目・容量一斗二升

   やっぱり狸が化けていたというのは本当だった?
   

證誠寺 《地図

童謡『の狸囃子』の寺。

房総往還C

   

狸塚(證誠寺境内)

狸囃子合戦で、腹を破って死んでしまった大狸の供養のために作られたという。

   

狸坂  港区元麻布3−13と2−11の間を南東に上る。坂上は一本松坂下。《地図

昔はこのあたりにも狸が出没したという。

   

狸穴坂  港区麻布台2−1と麻布狸穴町の間を北東に上る。《地図》 ロシア大使館(写真右)の西側に沿う坂。

坂下に狸(まみ・・・雌狸、ムササビ、アナグマ)の穴があった。採鉱の穴という説もある。『観光マップみなと』 

   

火の坂(たぬき坂) 相模原大磯線の水郷田名4-1あたりから大きく曲がりながら東方向に上る。《地図

いたずらがお婆さんにこらしめられ、この坂を転がり落ちて死んだという。別名をたぬき坂ともいう。左は狸菩薩の洞窟。

   

洞窟の狸菩薩

さがみはらの昔話「火の坂たぬき

  狸の蓑山大明神 (四国八十八ヶ所第84番屋島寺境内)

太三郎狸は、佐渡の団三郎狸、淡路の芝右衛門狸とともに日本三名狸で四国の総大将狸。水商売、夫婦円満、子宝、縁結びの神。この狸は屋島寺の住職代わりの時は、屋島合戦の模様を鳴り物入りで演じたという。日清、日露の戦争に多くの乾分(子分)を連れて出征し、大いに働いた後、死んだとかいう話もある。






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