「花見の仇討」  林家正蔵(八代目)

 
★あらすじ★  長屋の4人組の仲間。花見の趣向で見物人を驚かそうと、仇討ちを計画する。段取りはこうだ。
飛鳥山の桜の下で仇役の金さんが煙草を吸っている所へ、巡礼兄弟役のよしさんと吉さんがやって来て名乗りを上げ、仇討ちの立ち回りを始める。
まわりに大勢の見物の人垣ができたところで、六部姿の六さんが現れ、止めに割って入り、酒、さかな、三味線、太鼓で総踊りという趣向だ。

早速稽古をし、準備万端。
翌日、六部役の六さんが叔母さんの所へ三味線を借りに行くがあいにく留守。叔父さんが六部姿を見て本当に四国に行くと思い込み、六さんを引き留める。
いくら「花見の趣向」で六部姿をしているのだと言っても、耳の遠い叔父さんは「相模から四国か」と聞こえる始末。
六さんの持っていた酒を二人で飲み始めたが、叔父さんの方が強く、六さんは酔って寝込んでしまう。

巡礼役の二人は飛鳥山の近くで二人の侍と出会い、仇を探しているのだと話してしまう。
朝早くから飛鳥山に来ている仇役の金さん、待ちくたびれているところへやっと巡礼姿の二人が到着する。
いざ、手はずどおり仇討ちの茶番の立ち回りを始めるが、なかなか止め役の六部が出てこない。
すると、さきほどの侍が現れ助太刀をするという。
侍が刀を抜いたので3人とも逃げ始める。

 「逃げるには及ばん。勝負は五分と見えた」

巡礼役 「肝心の六部が見えねえ」

     

飛鳥山の桜

 

★見聞録★ 晩年は彦六を名乗っていた、先代の林家正蔵です。
ゆっくり、もったりした、波打つというか震えるような語り口がなつかしいです。
登場人物の色分けが鮮明でなく、一本調子に聞こえますが、筋立てはしっかりしていて、矛盾がありません。
芝居噺も好きなようでよく演じていましたが、やっぱりこの噺のように笑い多い落語の方が面白く、客も喜んだでしょう。

円生(六代目)は、噺の舞台を上野の山にしていましたが、江戸時代は鳴り物入りの花見は上野の山ではできなかったので、飛鳥山の方が適地でしょう。
花見時、目立ちがり屋の江戸っ子はいろんな趣向を考え、遊んだのでしょう。
六部役の六さんは、酒、さかな、三味線などを運び、止めに入るだけのつまらない、損な役だと文句を言っていましたが、結局のところ、叔父さんの家で酒を飲み、酔って寝てしまって趣向こわしの騒ぎにも巻き込まれず、一番の得役だったような気がします。

【六部(正式には六十六部)とは、『法華経を六十六部書き写し、日本全国六六か国の国々の霊場に一部ずつ奉納してまわった僧。鎌倉時代から流行。江戸時代には、諸国の寺社に参詣する巡礼または遊行の聖。白衣に手甲・脚絆(きゃはん)・草鞋(わらじ)がけ、背に阿弥陀像を納めた長方形の龕(がん)を負い、六部笠をかぶった姿で諸国をまわった。また、巡礼姿で米銭を請い歩いた一種の乞食。六部。』 (三省堂の大辞林)


三遊亭圓楽(5代目)の『花見の仇討【YouTube】

音無川の桜(JR王子駅前)

   六石坂を望む
飛鳥大坂の坂上から、西ヶ原一里塚の方へ上る本郷通り。

東京都設置の【坂標】には、『東京府村誌に「坂上に租六石を納る水田あり、故に云う」 この道は岩槻街道(旧日光御成道)で、飛鳥山の前へと続いているために花見時などには賑わいをみせた。』とあります。
   西ヶ原一里塚 《地図

日光御成道の二番目の一里塚。(本郷追分の次)

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