「風の神送り」

 
あらすじ 昔は風邪が流行ると張りぼての人形を作って、それを風の神に見立てて、お供え物をしたりして賑やかに、「風の神送ろ」と囃した立てて、川へ放り込んで後をも見ずに逃げて帰って来るという風習があった。

 町内の若い者が揃って何かと相談相手になってくれる親爺のところへやって来る。「町内の半分も風邪にやられてまっしゃろ。ほいで風の神送りをやろうという話が出ましたんで」、
親爺 「昔から弱身につけ込む風の神ちゅう言葉がある。普段から風邪がつけ込む隙を与えんことが肝心や」と説教し、「風の神送り、そらええこっちゃが、何ぼかの金が要る。お前らの仲間で積金でもあるのんか」

 むろん積金なんて洒落たものはあるはずもなく、親爺は町内を回って金を集める帳面を作る。親爺は親切にも金集めの先頭に立って町内を回り始める。最初の黒田屋では天保銭五枚を出してくれた。親爺は「ありがとさんでございます。おい、帳面方、黒田屋様、天保十枚と」、「えっ、五枚やで、親爺さん」、「初筆(しょふで)が肝心や、さくらで仰山書いとくのやがな」と、金集めのコツを教える。

 親爺がいると順調でこのまま進めばよかったが、家に用事があるからと使いが来て、親爺は若い者たちを残し家に戻った。残された連中は親爺がいないと不安で頼りなく心細いが、金を集めなければ張りぼても作れないので、連中だけで回り続ける。

 次はまだ藪にもならない竹の子医者のところだ。風邪が流行っているお陰で患者にありつけ、やっと親子三人、飯を食えるようになった矢先に、風邪を退散させる風の神送りなどに金など出すはずもないが、順番で回るしかない。医者はやっぱり「いらざることをなされるな」と、眉をひそめたが意外にも波銭三枚、十二文を出してくれた。

 次は町内で有名なお妾(てかけ)さんの家だ。「・・・風の神送りをしたいと・・・どうぞひとつお志をと、町内にお願いに上がっとりまんおで」、「手前どもは女ばっかりで勝手がわかりませんので、・・・これでひとつよろしゅうお頼う申します」と、何と一分銀の大金を差し出してくれた。

 次もこんな調子ならいいのだが、町内一のケチの十一屋だ。「・・・悪い風が流行っとりまんので、町内で風の神送りをやろうちゅうことに・・・・」、「うちでは誰も風邪なんかひきまへんで。だが町内のつき合いじゃしようがない。さあ、これ持って帰んなはれ」と言って差し出したのがたったの二文。怒った若い者が「馬鹿にしやがって、・・・二文や三文の銭ならこっちからくれてやるわい」と銭をたたき返そうとした。

 ちょうどその時、親爺さんが戻って来て若い者をいさめ、十一屋に向かって、「・・・二文でも天下の通用のお宝。お志があればこそ下されます、勿体ないこって。・・・これだけの御身代の十一屋さんから二文の金を頂いたんでは申し分けの立たんお家もございますので、このお金は風の神送りの済むまでこちらさんでお預かり願います」と下でに出て、「・・・こら!、預けとくのは銭だけやないで。喧嘩もついでに預けとくのじゃ。・・・」とケツをまくった。

 若い者は拍手喝采、俺にも言わせてくれと前に出るが、頓珍漢なことばかり言って引き下がる始末だ。中には「火消壺の中にばば(糞)たれしてやった」、「井戸の中に油徳利二本放り込んだ」なんて手荒な連中もいる。

 親爺は長居は無用と残りの家々を回った。けっこうな金が集まり、連中は空き家に集って材料を買って大きな張りぼての人形を作り、祭壇を作って人形を祭り、お供えをして、「どうぞ風の神様、退散をしてください」と祈る。

 さて日も暮れてきて連中は鉦(かね)や太鼓、三味線で囃し立てて、人形を川へ流しに行く。「風の神送ろ、風の神送ろ・・・」、大勢で川まで行くと、橋の欄干から放り込んで、後をも見ずに逃げて帰って行った。

 その夜、川下で魚を獲っていた男の四ツ手網に、何か重たい物がかかった。引き上げて見ると、張りぼての風の神送り人形。大勢の人の思いで、精が入ったものか、網の中からズーッと立ち上がった。
漁師 「何やお前は」

人形 「わしは風の神や」

漁師 「ああ、それで夜網(弱身)につけ込んだな」



   
 風の神送り(事の神送り)行事
オトコガミ・オンナガミ人形
伊那谷のコト八日行事



桂米朝の『風の神送り【YouTube】




一分銀・天保通宝・寛永通宝(上が波銭の4文・下が1文)

江戸時代の物価と現代の貨幣価値






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