「紀州」


 
あらすじ
 徳川家七代将軍家継は幼くして病死、八代将軍の座は尾州徳川継友紀州徳川吉宗のどちらかだ。江戸城での評定の日、尾張藩上屋敷から駕籠で登城する道すがら、鍛冶屋の「トンテンカン、トンテンカン」と槌を打つ音が、尾州公の耳には「テンカトル、テンカトル」と聞こえた。

 評定の席で小田原城主、大久保加賀守が尾州公の前に進み出て「この度、七代将軍ご他界し、お跡目これなく、・・・・・・任官あってしかるべし」と頭を下げた。すると尾州公は意に反して、「余はその徳薄くしてその任にあたわず」と断ってしまった。再度の要請があると思い大人物を気取り、見栄を張って遠慮したのだ。

 すると加賀守は紀州公の前へ行き、同じく「・・・・任官あってしかるべし」と聞く。紀州公も「余は徳薄くして・・・・」と同じ出だしで断ると思いきや、「しかしながら・・・・任官いたすべし」と答え、尾州公の将軍の夢はおじゃん、パアとなった。

 がっかりして江戸城を去って屋敷への帰り道、また鍛冶屋の前を通ると、やっぱり「テンカトル、テンカトル」だ。そうか紀州は将軍職を受ける返事はしたが、「やはり将軍職は尾州公に」と頼みに来るんだろうなんて虫の良いことを考え出した。すっかりその考えに満足して浸っていると、鍛冶屋の親方は真っ赤に焼けた鉄を水の中に勢いよく入れた。
「キシュゥ−」



     
                   『藤原照康刃物工芸』より



古今亭志ん生の『紀州【YouTube】




中央左端に尾張家上屋敷の白壁と火の見櫓がちらっと見える。
市ヶ谷八幡」(名所江戸百景)


   

徳川吉宗生誕地 《地図

貞享元年(1684)10月に、徳川家菩提寺報恩寺のすぐ西にある吹上邸で誕生した。母は側室お由利の方。右に石柱碑と説明板

   

和歌山城

西の丸跡から

   天守閣から紀ノ川・和歌山港
   

和歌山城高石垣

三年坂(手前の通り)・不明門跡

(奥山稲荷神社から)





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