「九州吹き戻し」


 
あらすじ 遊びが過ぎて親から貰った財産を使い果たした喜之助。「幇間(たいこもち)、上げての末の幇間」で、野幇間などをやっていたが、上手く行かずにわずかな金を懐中(ふところ)に夜逃げ同然で江戸を抜け東海道を西に向かった。

 京、大坂にも留まることなく、九州へ渡ってたどり着いたのが肥後は熊本城下。旅籠はいくつもあるがどこも喜之助を誘わない。服装(みなり)で懐中はすっかり読まれている。すると行燈に旅籠「江戸屋」の文字が目に入った。空腹と懐かしさで飛び込んだ喜之助。その夜は風呂、酒、料理を楽しみ、長旅の疲れもあってぐっすりと寝た。

 翌朝、江戸屋の主人が喜之助の部屋に来る。もとは湯島同朋町大和屋の主人で喜之助とは旧知の遊び仲間。江戸屋も江戸から流れ流れてここ熊本で出直し、旅籠を始め繁盛しているという。

 喜之助は江戸屋の勧めで、料理人として働くことになる。料理はもとより、帳付け、客引き、掛取りと店のことなら何でも器用、達者にこなす喜之助。その上、幇間よろしく客を喜ばし、喜之助さん、喜之さん、喜之どん、と引っ張り凧、江戸屋にはすっかり信用され、重宝がられて、早や、三年が過ぎた。

 ある日、得意客のお供で阿蘇見物から帰った喜之助は、祝儀を主人に渡す。江戸屋の主人は「お前さんから預かっているお金、全部で幾らぐらいあると思う」、「さあ、三、四十両というところでしょうか」、主人「さすが以前は若旦那、鷹揚だなあ、偉いなあ、何と百両だ」

 主人はもう少し辛抱すれば江戸屋の暖簾分けをするから、この地に留まって親戚付き合いをしようと誘う。少し考えて来ると言って、二階へ上がった喜之助。もう江戸へ帰ることなどとうに諦め、思ってもみなかった喜之助だが、百両あれば江戸に帰れる。ふつふつと望郷の念が湧いて来た。

 そうなるともう居ても立ってもいなれないほど江戸が恋しく帰りたくなる。打ち明けられた江戸屋の主人も諦めざるをえない。主人は奉加帳を回して二十両を集めてくれ、餞別として五両を包んでくれた。しめて百二十五両だ。喜之助はもう江戸へ帰った後のことばかり考えて、気が高ぶって寝られない有様だ。

 夜明け前に江戸屋を飛び出し、熊本城に別れを告げ、二里半ほど西の百貫の港へと急いだ。江戸へ荷を運ぶ船に、「母親が病気で急いで帰らねばならない」と頼み込むと、荷船に客を乗せるのは天下の御法度だが、親孝行に免じて乗船がOKとなった。雲一つなく、真っ青で穏やかな海、”待てば海路の日和かな”の船日和。船は一路江戸を目指して進んで行く。

 喜之助の面白おかしい話は船乗りたちに大受けで、一行は和気あいあいこのまま江戸に着きゃあよかたが・・・。好事魔多し、油断大敵か、玄界灘に差し掛かった頃、遠くに黒い雲が現れたかと思うと、すぐに空全体に広がって突風が吹き始めた。

 土砂降りの雨と稲光、大波で船は右に左に大揺れで、喜之助はもう生きた心地もない。そのうちに帆柱が根元から折れてしまった。「荷打ちだ!」で、船を助けるため荷を海中へ放り込み、後は海神様、金毘羅様、水天宮様、宗像大神様、ポセイドンにネプチューン、手当たり次第に祈るしかない。

 二日二晩、木の葉のごとく翻弄された船はドーンと大音をたてて島に打ち上げられた。
ここは燃えて火を吐く桜島。喜之助は肥後熊本から薩摩まで、江戸からさらに遠くへ吹き戻されてしまった。



  
菱垣廻船「浪華丸」(復元)


 湯島同朋町(どうぼうちょう)は文京区湯島三丁目のうち。同朋というのは御坊主を監督する役職。頭を丸めているが僧職ではない。同朋町はこの幕府御坊主衆を含めた同朋の住居地。
立川談志は根津八重垣町としているが、それは架空の地名。


立川談志の『九州吹き戻し【YouTube】



樽廻船『江戸時代の海運』(「日本食文化の醤油を知る」より)





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