「雪てん」(雑俳)
★あらすじ 横町の隠居の所へやって来た熊さん、「ご隠居は毎日何もしないで退屈でしょうね」、
隠居 「退屈しのぎに句を詠んでいる。初雪や・・・」
熊さん 「ああ、あれですか。”初雪やきゅうり転んで河童の屁”ってやつ」
隠居 「そんな句があるかい。”初雪や何が何して何とやら”と、見たとおりのことを言えば、それで句になるんだ」
熊さん 「じゃあ、”初雪や方々の屋根が白くなる”てえのはどうです」
隠居 「見たさま過ぎるね、少し色気をつけて、”初雪や瓦の鬼も薄化粧”」とか、雪を言わずに雪を連想させる、”猿飛んで一枝青し峰の松”」とな。また手近で一句やろうと思ったら”初雪や狭き庭にも風情あり”と」
熊さん 「あっしのとこは庭はねえから、”初雪や他人(ひと)の庭ではつまらない”」
隠居 「初雪や犬の足跡梅の花」
熊さん 「初雪や馬の足跡お椀四つかな」
隠居 「”初雪や”と言ったら後へ”かな”とは言えないんだ。”初雪や(雪の朝)二の字二の字の下駄の跡”、これはすて女という女の子が六歳の時に詠んだ句だ」
熊さん 「”初雪や一の字一の字一本歯の下駄の跡”、これは行者の歩いた跡だ」
隠居 「そんなのは駄目だ。”雪の日に坊主転んで手毬(てまり)かな”」
熊さん 「雪の日に大坊主小坊主一緒に転んで頭の足跡お供え餅かな」
隠居 「頭の足跡ってのは駄目だ。初雪は積もるほどは降らないから”初雪やせめて雀の三里まで”、”初雪や子供の持って遊ぶほど”」
熊さん 「”初雪や塩屋転んであっち舐めこっち舐め”、”初雪やこれが砂糖なら大儲け”、”初雪やこれが塩なら・・・”」
隠居 「金儲けなんてのは俗でいけない。”雪の日やあれも人の子樽拾い”」
熊さん 「あっしのは”雪の夜やせめて玉だけ届けたい”」、「何だいそれは」、「大雪で吉原の女のとこへ行かれない。閑(ひま)でお茶を挽いているだろうからせめて玉代だけ届けてえ、情があるでしょう」
客 「ええ、御免ください。根岸の如月庵から参りました者で、先日頂戴した獣詠みの狂歌ができましたので、不出来ではございますがご覧くださりますように」
隠居 「わざわざ恐れ入ります。では早速拝見いたしましょう。”子鼠が阿漕にかじる網戸棚たび重なりて猫に挟まれ”」、なるほど結構ですが、ちと天にはなりませんな」、「”ぽんぽんが痛いと嘘を月の夜に鼓の稽古休む小狸”、面白いですが天にはなりませんな」
熊さん 「えぇー、初雪や・・・・」
隠居 「熊さん、ちょっと待ってておくれ」、「ええと、お次は”深山路は人も行かねば徒(いたずら)に憂し年月を送る狼” なかなかですが天にはなりかねますな」
熊さん 「えぇー、初雪や・・・・」
隠居 「待っておくれよ熊さん、今すぐだから。お次は”狩人が鉄砲置いて月を見ん今宵は鹿(確)と熊(隈)もなければ”、よくできておりますが天にはなりませんな」
客 「恐れ入りました。ではこれをどうぞ」
隠居 「”狐をば野干(薬缶)というは茂林寺の分福茶釜狸なりけり”、”飼う人の恩を魚の骨にまでよく噛み分けて門(かど)守る犬”、うぅーん、これも天にはなりませんな」
熊さん 「初雪や二尺余りの大鼬(おおいたち)この行く末は何になるらん」
隠居 「うん、これなら天(貂=鼬)になるだろう」
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▼「深山路は・・・」と、「飼う人の・・・」は蜀山人の狂歌というから”天”にならないのはおかしいが、サゲにつなげるためだろう。
▲この噺は別名で「雑俳」ともいう。 |
分福茶釜・狸のやかん?(茂林寺)
『千人同心日光道⑥』
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