「二十四孝」

 
あらすじ 長屋の大家が喧嘩の絶えない辰吉を呼び入れる。隣家と喧嘩の間に入った女房をなぐり、女房をかばった母親を蹴飛ばしたという。大家はそんな親不孝のやつはこの長屋には置けない、店(たな)を明け渡せとせまる。仕方なく辰吉は料簡を入れ替えて親孝行するという。

 大家は「孝行をしたい時には親はなし。されど石に布団は着せられず」と、唐土(もろこし)の24人の親孝行の二十四孝の話を始めた。

 「王祥は継母が寒中にが食べたいというので池に行き、氷に上に突っ伏した。氷が少し融けて鯛が2匹出て来た。親孝行の威徳で、天の感ずる所となったのだ。王裒(おうほう)は母親がが嫌いだったので、母の死後も雷が鳴ると着物を脱いで墓石に着せた。

 孟宗は病気の母が冬に(たけのこ)が食べたいというので竹藪に行ったがむろん筍は生えていない。天を仰いで落涙すると雪の地面が盛り上がり、掘ったところ筍が2本出てきた。これも親孝行の威徳で、天の感ずる所だ。

 呉猛の家は貧しく蚊帳が買えなかった。呉猛は父親が蚊に刺されないようにと、父親に自分の着物を着せ、自分の体に酒を塗って裸で寝た。すると天の感じる所で呉猛も蚊に刺されなかった。

 日本にも親孝行の話はある。美濃国に小佐治という木こりの若者がいた。酒好きな父親に酒を飲ませたいが買う金がない。ある日、山奥で木を切っていると、酒の匂いが漂ってきた。匂いの方へ行くと滝に出た。この滝の水が酒だった。ふくべに入れて持ち帰り、父親に飲ませた。これが養老の滝で、時の帝の耳に入り年号も養老に改まったという」

 大家からさらに親孝行すればお上から褒美がもらえると聞いた辰公、早速、親孝行に取り掛かろうと長屋に戻る。途中、喧嘩して家を飛び出してきたという友達に二十四考の話をするが、つけ焼き刃なんとかで、筋が通らないとんちんかんな話になってしまう。

 長屋に戻って、寝ている婆さん(母親)を起し、これから親孝行すると言って酒を持って来させる。体に塗るつもりだったが、もったないと言ってなめ始め、はては全部飲んでしまって高いびきで、夜明けまでぐっすりだ。

 母親に起こされた辰公、蚊に食われていないことが分かると、天の感ずる所と自慢げに、

「どうだ、蚊帳なんかなくたって、蚊なんか一匹も出なかったろ」

母親 「馬鹿なこと言うんじゃないよ、あたしが夜っぴき仰いでたんだから」


    



立川談志の『二十四孝【YouTube】





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