「帯久」

 
あらすじ  瓦屋橋東側の瓦屋町三丁目呉服屋泉屋与兵衛は、町内の世話もよくするし、温厚な人柄で人望も厚く店はたいそう繁盛している。一方、二丁目角の呉服屋帯屋久七(帯久)は、一癖ある陰気な男で、店も、「売れず屋」という仇名(あだな)がついている。

 ある年の暮、帯久が「二十両用立てて欲しい」と泉屋に来た。人のいい泉屋は無利息・無證文で用立てる。しばらくして帯久は二十両を返し、三十両借りる。二十日ほどで返し、五十両借り、二十日ほどで返した。その次には百両を借りに来た。泉屋は今度も無利息無証文で貸す。

 大晦日の蔵屋敷の役人などが来て忙しい時に、帯久が百両を返しに来る。泉屋は確かに百両を受け取るが、急な用で番頭に呼ばれ百両を置いたまま部屋を出る。
帯久はその金を懐(ふところ)に入れて帰ってしまった。後で気がついた泉屋だが、自分の不注意、今年の厄落としとあきらめてしまう。

 年が変わり、帯屋は「景品付き商売」という新アイデアで客を集め儲け始める。一方の泉屋はケチがつき始め、娘のお花、女房がたて続きに死に、子飼いの番頭が店の金を持ち逃げする。店も銭亀という相撲取り崩れが放火した瓦屋町の大火で全焼する。悪運の強い帯久の店は火の手から免れた。

 住む家も家族も失った泉屋は前年に別家させた番頭の武平の家でやっかいなって寝込んでしまった。武平も商売をしくじって今は五丁目の裏長屋住まいだ。武平の所で十年間の長わずらいしたが、やっと病気が抜けたのが、数えの61歳、還暦の本卦帰りの年。もう一度、武平に泉屋の暖簾を上げてもらおうと、武平が止めるのも聞かずに帯久の店へ百両を返してもらいに行く。

 泉屋は帯久からさんざん罵倒されたあげくに、眉間を割られて放り出される。あまりの仕打ちの口惜しさに、店に火をつけようとした泉屋は帯久から訴えられて捕えられ、奉行所のお白州へ引き出され、大坂西町奉行松平大隅守のお裁きが始まる。

 むろんそれまでのいきさつ、泉屋与兵衛と帯久とのことなどを同心、与力に十分に調べさせている奉行は帯久に、「大晦日で間違いが起こらぬものでもないと、改めて持参いたそうと百両を持ち帰ったのを忘れておったのではないか」と再三鎌をかけ、「忘れた」と言い逃れが出来るよう誘導するが、帯久は絶対に返したと白(しら)を切る。

 奉行は帯久に右手を出させ、人指し指と中指を紙で巻いて張り付け、判を押す。「これは物を思い出す呪い(まじない)である。封印を破る時は家は撤収、所払い申しつけるぞ」ときつく言い渡す。帯久は紙が破れればえらいことになるというので、飯も食えず、風呂にも入れず四日もすると音を上げて出頭して、確かに百両持ち帰って忘れてしまいまだ返していないと白状する。

 帯久に百両を返させた奉行は、「十年間の利息としてあと百両を出せ」と命じる。帯屋の番頭が用意していた五十両を受け取った奉行は、「残りの五十両は、月賦にするか、年賦にするか」と聞くと、けちな帯久は年賦にするという。

 仔細を書類にさせた奉行は、「泉屋与兵衛、火つけの大罪は免れなれぬ。そちを火あぶりの刑に処す」で、帯久は、「さすが名奉行、こんがり焼いたっておくなはれ」と大喜びするが、

奉行 「ただし、刑は泉屋が残金五十両を受け取った暁に行うぞ」

あわてた帯久 「今すぐ五十両払いますから、火あぶりにしてください」

奉行 「黙れ!今さら何を申す!」と帯屋をきつく叱り飛ばし、

奉行 「泉屋与兵衛、そちは今何歳になる」

泉屋 「六十一でございます」

奉行 「六十一とは本卦(本家)じゃな」

泉屋 「いえ、別家に居候しております」


      



白木屋呉服店(歌川国貞
越後屋(現・三越百貨店)、大丸(現・大丸百貨店)と並び江戸三大呉服店の一つ。


桂米朝の『帯久【YouTube】

   九之助橋 《地図

瓦屋町1丁目と島之内1丁目を結ぶ橋。
東側が泉屋と帯屋があった瓦屋町で、瓦の窯や土取場があり、瓦生産が行われていた。
西側は九之助町で、銅吹所を始め鋳物屋、鍛冶屋などが多く、工業の町という感じだった。
   大坂西町奉行所跡(松屋町筋のマイドームおおさかの所) 《地図
   

お白洲跡(世田谷代官屋敷)  《地図



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