「芝浜」  桂三木助(三代目)

 
★あらすじ★ 裏長屋に住む棒手振りの魚屋の勝五郎は、腕はいいが酒好きで怠け者。
朝早く女房に起こされ、しぶしぶ芝浜の魚河岸に仕入れに行く。

 女房が時刻を間違えたため、魚河岸はまだやっていない。浜で夜明けの風景を見ながら待っていると、革の財布が落ちているのを見つける。一目散に財布を持って長屋に帰り、中身を数えると82両入っている。 昨日の残りの酒を飲んで寝てしまう。(また起きて友達を呼んで酒、肴の散財をする。)

 翌朝、女房に起こされ仕事に行くように言われる。昨日の82両はと聞くと、「なに馬鹿なことを、夢を見たんだろう」と言われる。財布を拾ったのが夢で、友達を呼んで散財したのが本当の事だと言われ、すっかり反省、改心し仕事に励む。もともと腕はいいので、信用もつき、評判も上がり、お得意もできる。

 3年で表通りへ魚屋の店を構えるほどになった。大晦日に女房が3年前のことを打ち明ける。勝五郎は、女房を叱りつけるどころか礼を言う。女房のすすめで、断っていた酒を飲むことにする。お燗をつけた酒を女房に茶碗についでもらい、口をつけるところで、
勝五郎 「よそ、また夢になるといけね



        


 
★見聞録★
  昭和62年のNHKラジオ「語り芸の世界」で放送された噺を聞きました。
三代目桂三木助は、昭和36年に他界しています。演じられたのがいつかは不明です。「芝浜」といえば、三木助の名が出てくるほどです。噺をうまくまとめ、テンポよいものにしています。それでいて、芝浜の夜明け頃の情景などを見事に描いています。女房も亭主を救ったえらい良妻風にとはしないで、軽く、嫌味の無い女性のように演じています。この噺は、三遊亭円朝が、「酔っ払い」「芝浜」「革財布」で作った三題噺とされています。その後改良が加えられ、今のような洗練された噺になったようです。三木助は五代目柳家小さんと大変仲が良かったそうですが、59才の若さで他界しました。息子の四代目三木助は大成することもなく、44才で世を去りました。三代目の存在が大き過ぎたのでしょうか。

*棒手振りとは、三省堂の辞書によると「魚や野菜などを天秤棒で担ぎ、売り声を上げながら売り歩く人。江戸では特に、魚市場と料亭の仲立ちになって魚の売買をする人をいった。」とあります。 『三井越後屋と棒手振』(江戸食文化紀行)

*時の鐘 女房が時刻を間違えたことを、勝五郎は時を告げる寺の鐘で確認します。
三木助はこの鐘を増上寺の鐘として話しています。「増上寺の鐘はどこで聞いたんだ。」というくだりがあります。「切通しの鐘はどこで聞いたんだ。」と演じる噺家もいます。
この切通しの時の鐘については、愛宕1丁目の青松寺とする説(『落語地名事典』と、芝公園3丁目の切通坂にある青竜寺とする説(『今昔東京の坂』)があります。 
江戸名所図会(青松寺)




魚屋(「江戸商売図絵」三谷一馬より)


古今亭志ん生の『芝浜【YouTube】       


   魚河岸、雑魚場があった芝の浜跡。

今の本芝公園、芝浦公園辺り。(JR田町駅北側)
新幹線が走り、頭上にモノレールが通る。 《地図
   江戸時代の地図

上の写真付近は海岸線だった。(本芝公園内の説明板に記載されている。」
   切通坂 《地図

「切通しの鐘はどこで聞いたんだ」で登場する、
「時の鐘」があったとされる青竜寺は、坂下近くの左側。


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