★あらすじ 腰元彫りの横谷宗珉の弟子の宗三郎、勘当されて諸国を流浪して三年目に紀州熊野にやって来た。
無一文のくせに熊野権現の前の旅籠の岩佐屋に逗留して酒ばかり飲んでいる。怪しんだ岩佐屋の主人に宿賃も払えないことを明かす。主人は宿賃の代わりに何か仕事をしてもらおうと聞くと腰元彫りの彫金の職人だというので、小柄に彫ってある虎を見せてもらう。すると主人は彫り方は上手いが、この虎は死んでいるという。なんと宗三郎は師匠にも同じことを言われ、修業して来いと勘当されたのだ。
宗三郎は腰元彫りを見る目のある主人に、自分の師匠になってくれと頼む。宗三郎は彫ったものをそのつど主人に見せて行く。主人は、「虎はすごく、兎は可愛く、馬は早く見せなければだめだ」なんて批評する。そのうちに宗三郎の腕の技量も、主人の評価も上がって来た。
ある日、岩佐屋に泊まった紀州和歌山藩のお留守役の木村又兵衛が、彫金師のいることに気づく。岩佐屋の主人は宗三郎のことを話し、その技量を褒めて売り込むと、又兵衛は殿様に伺って注文を取るように計らってみようと約束した。
そしてまもなく、殿様から那智の滝の図を刀の刀の鍔に彫るよう仕事の注文が来る。喜んだ主人は、水垢離、潔斎してからこの仕事に打ち込むように勧めるが、宗三郎は気楽な様子で、仕事始めの祝いに酒を飲んでから一気に彫り上げると言って、主人の言うことなどさらさら聞く耳を持たない。
さあ、四日ほど経って仕上がった。宗三郎は百両ぐらいで売れるという。そうしたら全部主人にやるなんて自信たっぷりの言い様だ。主人が手に取って見ると、さすがは上手いものだ。これならば殿さまも満足してお買い上げになるだろうと、勇んで登城する。
さっそく松兵衛から殿様の手に渡ったが、かような物を当家に置けない、と畳にポイッと放り出した。そして、もう一度彫るようにと命じた。
帰った主人からこの話を聞いた宗三郎、こんなはずじゃない、当てがはずれたと思ったものの、相変わらず酒を飲んでまた彫り出した。また主人がお城に持っていくと、今度は殿様、かような不出来な物と庭の池に投げ込んでしまった。
だが、ありがたいことにもう一度彫らせるようにとのこと。主人は宗三郎の慢心と緩んだ根性を怒り、自分は宗三郎が上手く彫れるようにと、毎日、水を浴びて祈っていたことを明かして、もう愛想が尽きた、見込みのないやつは出て行けと堪忍袋の緒を切った。
すると、宗三郎は、はいそうですかとおとなしく出て行ってしまう。店の者を追いかけさせると、これから那智の滝に打たれて、滝の姿を心に残し、二十一日間の断食をして仕事にかかると言う。これを聞いた松兵衛も一緒に断食を始めた。
二十一日が経ち、この世の人とは思えない姿で帰って来た宗三郎は、部屋にこもって一心不乱に仕事にかかる。むろん酒などは一滴も口にするはずもない。
七日後に那智の滝を彫った鍔が仕上がる。この鍔が殿さまに納まらなかったら腹を切るという、決死の自信作だが、主人が見ると前より出来が悪いようにしか見えない。
さあ、登城して松兵衛に見せても、これはと首をひねっている。仏の顔も三度まで、松兵衛が仕方なく殿様に見せると、”できた、これは名作”だと、喜んでお褒めの言葉。なんとこの鍔には霧が吹いており、鍔を置いた下の紙が濡れていると言う。芸術家もここまでこないと本物ではないのだろうか。
宗三郎は紀州家のお抱えとなり、すぐにこのことを江戸の宗珉に手紙を出すと、病の床に臥せっていた宗珉は大そう喜んで二代目宗珉を宗三郎に譲った。紀州家の祖の徳川頼宣が南龍院というので、その一字を取って一龍斎横谷宗珉として、長く紀州へその名前を留めたという名人の出世話の一席。
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