「水神」


 
あらすじ 怠け者で遊び好きな屋根職人杢蔵(もくぞう)。女房には愛想をつかされて逃げられ、乳飲み子を抱えて困ってまごまごするばかり。今日は三囲神社の縁日、あてもなく赤ん坊を抱いて人混みの中を歩いていると、ろくにお乳も飲んでいない赤ん坊が腹を空かせて泣き出した。まるで火の玉のよう、最後の力をふり絞って泣いているようだ。

 どうしようもなくおろおろするばかりの杢蔵を見兼ねて、境内で小さな店を出している二四、五の器量のいい年増のが近づいて来て、「ちょいとお兄さん、赤ん坊病気なの?・・・あらまあ、お腹が空いているんじゃないですか」と、赤ん坊をひったくるように抱いて、お乳を飲ませ始めた。

 飲むは飲むはゴクンゴクンと音がするように飲んだ赤ん坊は腹がくちくなると、すやすやと寝てしまった。杢蔵、「どうも有難うございます。おかげで助かりました。あっしは杢蔵といいますが、お内儀さんはなんというお名前で・・・」

お幸 「・・・あたしは、・・・こう(幸)、と言うんですの」、杢蔵が赤ん坊を引き取ろうとすると、

お幸 「これからどうなさるんですの?お乳がなければまた困るでしょう。・・・あたしのところへおいでなさい」、見ず知らずの人の家になんてとんでもないと遠慮する杢蔵だが、お幸は赤ん坊を抱いたまま水神の森に入って小さな小綺麗な家に入った。

 それからというもの本当の家族同様の生活が始まった。お幸は毎日、赤ん坊を抱いて商いに行く。杢蔵も寝坊なんかしていられずに、親方のところへ行って仕事をもらう。もともと腕はいいからどんどん仕事が増えてやりがいも出来て、小金も貯まって来た。

 子どももすくすくと育って早や、四年が過ぎたある日の朝、いつもは早く起きて寝顔など見せたことがないお幸がまだ寝ている。疲れているんだろうと布団を掛け直して、ふと身体を見ると、うっすらと水に濡れたの羽、そう言えばお幸は、「決して寝姿を見ないでくれ」とは言ってはいたが。

 杢蔵はびっくりはしたが、こういう話は聞いたこともあり、何せ俺を立ち直してくれ、子どもを大きくしてくれたのはみんなこの鳥のお蔭と、そっと布団から離れて隣に部屋に行こうとする。

 すると、「お前さん、今あたしの姿を見ましたね」、嘘のつけない杢蔵、「ああ、ちょっとだけ、見た」
お幸 「そうですか。もう隠してはいられませんからお話します。私はこの水神様のお使い姫の雌鳥です。・・・お使いを果たさず遊んでばかりいて神様に五年間、人間の女にされてしまいました。・・・あたしは決してあなたが嫌いになったわけではありません。しかしもう姿を見られたからには一緒にいることは出来ません。もとの鳥の姿に戻らなければなりません」

杢蔵 「そんなこと言わないでくれ、お前がカラスやスズメの化身であろうが構わねえから一緒にいてくれ」

お幸 「有難う、お前さん。それほどあたしのことを思ってくれるなら・・・これを着ると羽根が生えてお前さんも鳥になれるんですよ」と、黒い羽織のような物を差し出した。杢蔵がためらっていると、お幸は飛び立とうとする。すがりつく杢蔵を後に鳥に返ったお幸は大空へ飛び立って行った。

 ふと気づくと家はなく杢蔵は石灯籠に寄り掛かって、子どもがそばで寝ているだけ。子どもを連れて元の小梅の家に行って見ると、家の中は水神の森の家と同じで、綺麗に片付き三人で今まで暮らしていたまま。

 近所のおかみさんに聞くと、「怠け者でしょうがなかったお前さんが急に働き者になって・・・みんな褒めてるよ、偉いよお前さんは」、あの鳥の女房、お幸の姿は、はたの人間の目には見えなかったのだ。

 杢蔵は蔭の身になって尽くしてくれたお幸に会いたさがつのるばかり。あの羽織を着て鳥になろうかと思ってもなかなかふん切りがつかない。そうこうしているうちに、杢蔵の評判を聞きつけたもとの女房がひょっこりやって来た。昔の優柔不断の杢蔵とは違って、家に戻りたいと言うのきっぱりと断って追い返す。

 お幸のことを忘れようと、なお一層働いて稼ぎ続けて月日も経って行った。十二の時に商家に奉公に出した子ども年期(ねん)が開け、その店の娘に想われて養子となった。

 一人になった杢蔵はたびたび息子に会いに行くが、養子の息子はだんだんいい顔をしなくなる。寂しくなって杢蔵の足はおのずから三人で楽しく暮らした水神の森へ向かう。見上げた空にはカラスたちが舞っている。お幸からもらった鳥になれるという黒い羽織を着て羽ばたくと、すーっと、大空高く舞い上がった。「おお~、飛べる、飛べる、お幸~、お幸~・・・」


        




屋根職・屋根葺き(職人尽絵詞)


三遊亭圓生の『水神【YouTube】



隅田川神社
かつては鬱蒼とした「水神の森」に覆われていて「水神社」と呼ばれていた。


水神の森(「名所江戸百景の下部」)

水神の森

「木母寺・梅若塚・水神宮(左下)・若宮八幡」(『江戸名所図会』)



三囲神社

三囲稲荷社



小梅銭座跡 《地図
元文元年(1736)から裏面の上部に小梅村の「小」の文字が入った
「寛永通宝」を鋳造していた。杢蔵の元の家あたり。






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