「たがや」  三遊亭円楽


 
★あらすじ★ 両国の川開きの花火見物で、両国橋の上は大変な人出でで身動きがとれない。
花火が打ち上がるたびに、「玉屋アー」「鍵屋アー」の掛け声が上がる。
「橋の上玉屋玉屋の声ばかり なぜか鍵屋と言わぬ情(錠)なし」の歌にもあるように、玉屋の掛け声が多い。

橋の上を通りかかったのが桶のたがを抱えたたが屋。押されたはずみに、たががはずれて馬で通りかかった武士の笠を飛ばしてしまう。
たが屋は平謝りに謝るが、怒った武士は手打ちにすると言う。

いくら謝っても許されないたが屋は、「切るなら、切れ」と開き直る。伴の侍が、刀を抜いて切りかかってくるのを、たが屋は体をかわして刀を奪い切り倒す。
次の侍も切りつけてきたが誤って欄干に刀を食い込ませてしまった所に、たが屋は切りつける。こうなると、群衆は皆、たが屋の味方で馬上の武士に悪口雑言、小石なんかをぶつけはじめる。

馬から降りた武士は槍を取り、たが屋めがけて突き出した。たが屋は刀で槍先を切り落としてしまう。
槍先のない槍ではやりくりがつかず、武士は槍を放り出す。やりっぱなしというやつだ。
武士が刀を抜こうとしたがたが屋のほうが早かった。刀を横にはらうと、武士の首が中天高くスポーン。

見ていた群衆 「たがや−」

 収録:昭和59年4月
NHKテレビ



        


 
★見聞録★ この噺の原型は、落ちの所ではたが屋の首が飛んだそうです。
「増補落語事典」(東大落語会編)では、この落語を「町人の武士に対するレジスタンスを現した落語の一つ」と解説しています。
一方、「落語百選・夏」(麻生芳伸著)は、「漫談講談調のご都合主義でいただけない。(中略) このたが屋の行為はスタンド・プレーであり、英雄にこそなれ庶民と同じ立場に立つことはない。(中略) 少ない嫌い噺の例である。」としています。
そんなに大上段に構えてこの噺を論じる必要はないと思うのですが。たが屋の首が飛ぶよりも、武士の首が飛ぶ方が庶民感情には合うし、落語らしく笑えるでしょう。
またこの後、たが屋がどうなったかなんてことも考えるのは野暮というものです。

*「たが」とは、「桶の周囲にはめ、その胴が分解しないように押えつけてある、金や竹で作った輪。(三省堂の大辞林)

花火屋の「鍵屋」は、日本橋横山町で、万治元年(1659)の創業。
「玉屋」は、文化7年(1810)に鍵屋から独立し両国広小路に開業した。
両国橋の上流が玉屋。下流が鍵屋で花火を競った。玉屋は天保14年(1843)に火事を出し、江戸から追放になった。見物人は鍵屋の花火が上がっても、「玉屋ア−」とほめたがった。『東京落語地図』(佐藤光房著)





「たがや」(「明治物売図聚楽」三谷一馬より)


金原亭馬生(10代目)の『たがや【YouTube】




東都名所 両国花火ノ図」(広重画)





江戸自慢三十六興 両こく花火


   両国橋と隅田川
万治3年(1660)に武蔵国(写真左)と下総国(写真右)に架けられた橋。

両国の川開きは享保18年(1733)、前年の全国的凶作による死者の慰霊と悪疫退散を祈願して隅田川で催された水神祭の余興に始まるとされる。水質汚濁、交通事情の悪化等で昭和36年が最後となる。昭和53年、隅田川花火大会として再開された。『東京落語地図』



両国花火(名所江戸百景・広重)



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