「たらちね」

 
あらすじ 八五郎が長屋の大家に呼ばれて行くと縁談話という。年は二十で、器量は十人並み以上、夏冬の着物もそろえているという、まことに結構な話だが、うま過ぎる話だと半信半疑で、
八五郎 「そんな女が、あっしのようなところへ来るには何か訳あり、疵(きず)でもあるんじゃねぇですか?」

 大家は「一つだけ疵がある」、やっぱりと八五郎、「夜中に首が伸びて行灯(あんどん)の油をなめるとか、寝小便をするとか」、大家が言うにはもとは京都の公家の出で、言葉使いが丁寧過ぎると言う。

 この間、風の強い日に出会った時も、「コンチョウハドフウハゲシュウシテ、ショウシャガンニュウシテ、ホコウナリガタシ」、つまり「今朝は怒風激しゅうして、小砂眼入して歩行成り難し」と、挨拶され返す言葉もなかったと言う。

 そんなことなら屁の河童、平気の平左、ぞんざいなべらんめえ言葉の自分と似たようなものでちょうどいいと八五郎は大乗り気。思い立ったが吉日と、その日のうちに大家の仲人で祝言となり、仲人は宵の口で大家は帰って行ってしまった。

 さて嫁さんの名前は?八五郎が聞くと、「自らことの姓名は、父はもと京都の産にして姓は安藤、名は慶三あざなを五光。母は千代女と申せしが、わが母三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴の夢を見てはらめるが故に、たらちねの胎内を出でしときは鶴女と申せしがそれは幼名、成長の後これを改め清女と申しはべるなりい〜」で、聞きしに勝る難敵だ。

 烏カァ〜で夜が明けると、枕元で両手をつき、
嫁さん(清女) 「あ〜ら、わが君」と起しに来た。寝ぼけながらも自分のことだと分かった八五郎は、「わが君の八公」だなんて仇名をつけられるからやめてくれと交渉だ。

嫁さん 「しらげのありかはいずこなりや」で、何でこんな朝っぱらから白髪探しかと思いきや、米櫃(こめびつ)の場所を聞いていると分かって一安心。そこへ岩槻ねぎ売りがやって来た。

嫁さん 「こ〜れ、門前に市をなす男(おのこ)、一文字草を朝げのため買い求めるゆえ、門の敷居に控えておじゃれ」で、思わずねぎ売りも平伏だ。ようやく味噌汁ができて、

嫁さん 「あ〜ら、わが君。日も東天に出御ましまさば、うがい手水に身を清め、神前仏前へ燈灯(みあかし)を備え、御飯も冷飯に相なり候へば、早く召し上がって然るびょう存じたてまつる、恐惶謹言

八五郎 「飯を食うのが恐惶謹言なら、酒なら依って(=酔って)件の如しか」


      


立川談志の『たらちね』(延陽伯)【YouTube】


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