「がまの油」
★あらすじ 昔の縁日は出店、見世物で賑やかだった。中でもがまの油売りは幅をきかせて人気があった。黒紋付きの着物に袴姿で、白鉢巻きに白だすき掛けで脇差を差し、ひからびた蝦蟇蛙(がまがえる)を台の上に乗せ、脇の箱にはがまの油が入っている。さあ、がまの油売りの口上の始まりだ。
「さあさ、お立会い。御用とお急ぎでない方は、ゆっくりと聞いておいで。遠目山越し笠のうち、物の文色(あいろ)と理方がわからぬ。山寺の鐘は、ごうごうと鳴るといえども、童子来たって鐘に撞木(しゅもく)を当てざれば、鐘が鳴るやら撞木が鳴るやら、とんとその音色が分からぬが道理。・・・・・
手前、大道に未熟な渡世をいたすといえど、投げ銭、放り銭はもらわないよ。しからば、なにを稼業にいたすかといえば、手前持ちいだしたるは、これにある蝦蟾酥(ひきせんそ)四六のがまの油だ。そういうガマは俺の家の縁の下や流しの下にもいるというお方があるが、それは俗にいうおたま蛙、ヒキ蛙といって薬力と効能の足しにはならん。手前持ち出だしたるは四六のガマだ。四六、五六はどこでわかる。前足の指が四本、後足の指が六本、これを名づけて四六のガマだ。
このガマの棲める所は、これよりはる〜か北にあたる、筑波山の麓にて、おんばこという露草を食らう。このガマの獲れるのは五月に八月に十月、これを名づけて五八十(ごはっそう)は四六のガマだ。このガマの油をとるには、四方に鏡を立て、下に金網を敷き、その中にガマを追い込む。ガマは、おのれの姿が鏡に映るのを見ておのれと驚き、たら〜り、たらりと油(脂)汗を流す。これを下の金網にてすき取り、柳の小枝をもって、三七、二十一日の間、とろ〜リ、とろりと煮つめたるがこのガマの油だ。
赤いは辰砂、椰子の油、テレメンテエカにマンテエカ、金創には切り傷、効能は、出痔、イボ痔、はしり痔、横根(よこね)、雁瘡(がんがさ)、その他、腫れ物一切に効く。いつもは一貝で百文であるが、今日はお披露目ため小貝を添え、二貝で百文だ、お立ち合い。
がまの油の効能はまだある。切れ物の切れ味を止めるという。手前持ち出だしたるは、鈍刀たりと言えど、先が切れて元が切れぬ、なかばが切れぬという代物ではない。ごらんの通り、抜けば玉散る氷の刃だ、お立合い。お目の前にて白紙を一枚切って御覧にいれる。一枚の紙が二枚、二枚が四枚、八枚、十六枚、三十二枚、春は三月落花の形。比良の暮雪は雪降りの形。
さて、お立合い、かほどに切れる業物(わざもの)でもガマの油を塗る時は白紙一枚容易に切れぬ。この腕も切れない。刀の油を拭き取る時は触ったばかりで、このくらいに切れる。だが、お立合い、切れても心配いらぬ。ガマの油を一つつける時は、血はぴたりと止まり痛みも去って治る」
実演付き口上が終わって一人ががまの油を買い出すと、つられて我も我も買わなきゃ損損と今も昔も群衆心理は変わらない。けっこうな売り上げにホクホク顔のがまの油売りはなじみの居酒屋でけっこう飲んでさっきほどの所を通りかかると、まだ人が出て陽も高いので、もう一丁儲けようと欲を出し店を開いた。
自慢の口上を始めるが酔いが回って、ろれつが回らない。「四六、五六はどこでわかる。前足の指が二本、後足の指が八本、・・・・・」で、見物人から「八本ありゃ、タコじゃあねぇか」、「このガマの棲める所は、これよりはる〜か南にあたる高尾山の麓にて」で、四六のガマを南方へ移住させてしまった。
危うい手つきで紙を切り、がまの油を腕に塗って刀を押し当てた。
がまの油売り 「さ、このとおり、叩いても・・・・切れた!どういうわけだ?」
見物人 「こっちが聞きてぇや」
がまの油売り 「驚くことはない、この通りがまの油をひとつつければ、痛みが去って血がぴたりと・・・・止まらねえなぁ・・・・。二つつければ、今度はぴたりと・・・・あれ、まだ止まらないね。かくなる上はいくらでもつけて薬の重みで血を止める。・・・・・あれ、止まらないぞ、とほほ、お立会い」
見物人 「どうしたんでぇ」
がまの油売り 「お立会いの中に、血止めはないか」
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蝦蟇の油売り(『北多摩薬剤師会』)
★三遊亭圓生の『がまの油』【YouTube】
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