「ちしゃ医者」  桂枝雀

 
★あらすじ★
 医者にもいろいろあります。藪医者、寿命医者、手遅れ医者、葛根湯医者。なんで藪医者かというと、風(邪)で動くからだそうです。
大きな病気の時には呼ばれず、風邪ぐらいの病気の時にお呼びがかかり動き出すので「藪」といいます。

夜更けに藪医者の周安先生の所へ、あるじの容態が急変したので見てくれと使いの者がくる。
周安先生の付き人の久助は、うちの先生の手にかかったら直る病人も手遅れになってしまうからやめてほかの医者にかかるように説得する。
使いの者はお宅の先生が藪医者なことは重々知っているが、かかりつけの医者は遠くて間に合わず、今にも死にそうな病人の枕元に医者がいないのは世間態が悪いので藪でも、医者のかっこうをしていればいいから、ぜひ来てくれと言う。

玄関先のやりとりを聞きつけた周安先生は、病人の所へ行くという。
駕篭を使いの者と久助でかついで出かける。
途中で、病人の家の者が、あるじはもう死んだので医者は要らなくなったと知らせに来る。
あるじの使いの者は駕篭を放って帰ってしまう。

仕方なく、周安先生と久助で駕篭をかついで戻り始めると、お百姓と出会う。
お百姓に駕篭をかつがせ、先生は肥え桶を抱えて駕篭に乗る。
しばらく行きある家のそばまで来ると、お百姓はここで一軒汲んでくると言いその家に寄る。
家には耳の遠い婆さんがいて、お百姓が、駕篭の中には「医者がいる。」と言うのを「ちしゃがある。」と聞き違え、駕篭に手を入れ中をまさぐる。
中で寝ていた周安先生、いきなり顔を撫で回されびっくりして思わず足を跳ね上げたので、婆さんはそのに胸を蹴られて倒れてしまう。
そこへ婆さんの息子が、飛んで来て怒って先生になぐりかかる。

まあまあと久助が二人の間に割って入る。

久助 「先生のにかかって喜ばなきゃあきませんで。」

息子 「なんで、喜ばなきゃならん」

久助 「うちの先生のにかかってみなはれ、命がないがな。」



   


 
★見聞録★ 昭和60年のTBSテレビ「落語特選」からの収録です。枝雀の落語は見る要素がかなり入ります。
身振り、手振り、顔の表情などがおかしさを倍増します。
この噺にも駕篭に乗ったり、かついだり、肥え桶をかかえたりする動作がふんだんにあり笑わせます。

婆さんが医者をちしゃと聞き違え、駕篭の中に手を入れたのは、昔はお百姓は肥えを汲んだ家にお礼の野菜を置いて行ったからです。
夏の医者」のさげにも「ちしゃ」が出てきます。

枝雀が亡くなったのが、平成11年、60才でした。油が乗りきり、まだこれからという時でがっくりしました。
「笑い」を理論的に探求、追求し過ぎてうつ病になったという人もいます。
見ている方、聞いている方はこれで充分なのに、演じている本人はまだまだでいつも上を求め、納得しなかったのでしょうか。
何事にも、まあこれくらいでいいやと思う私などは、自殺のおそれは皆無でしょうか。

ちしゃとは、【萵苣】 「キク科で葉はやや苦味と甘味があり野菜として栽培される。葉は根生し、幅が広く、結球するものとしないものがある。
日本で古くから栽培されたものはカキジシャという結球しない種類で、下の方から葉をかき取って用いる。結球性のタマジシャは明治以後輸入され、レタスと呼ばれ普及した。ほかにタチジシャ・サラダナなどがある。チサ。[季]春。」(三省堂大辞林)



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