「苫ヶ島」

 
あらすじ  紀州藩の祖の徳川頼宣公、江戸表から東海道を上り、大津の先の追分で京街道(東海道五十七次)に入り、大坂の高麗橋の先で紀州街道に出て南下、堺、岸和田を通って無事、♪紀州の殿様、お国入り和歌山城へと着いた。

 早速、家中一同が登城してお目通りとなった。
頼宣 「家中一同の者、出仕大儀。江戸表にて予の領内に苫ヶ島(とまがしま)と申すところありと聞き及んだが、その島はいずれにある?」

家老 「ご城下西南に当たって、西は阿波の海に続き、東は加太の岬。昔より人畜寄るところにあらず。禽獣諸鳥の棲所と相なりおりまする。その昔、頼朝公の御世、岡部左門は弓の道にすぐれておりましたが、慢心出でこの身を害せんと自らを戒め、出家となって諸国行脚の途中、南海に船を浮かべ風雨激しゅう中を一つの島に着く。岩上に眠るところ観世音現れたり。夢覚めてみれば、左門の前に一体の観世音あり。乗りし船のにて御堂を築き、この観世音を安置し奉るゆえ、苫ヶ島と名づけたると伝え聞きおります」

頼宣 「予は近く、苫ヶ島において狩をもよおしいたすぞ」

家老 「昔、真田安房守、島の木材を切ろうと、杣人十九人を入れましたる折り、神罰仏罰、十九人、残らず死したりとござります」

頼宣 「だまれ!神社仏閣破却いたせば、神罰仏罰はあるべきはず、そこに住居する鳥類、獣類を射取るに、何の罪やあろう。一刻も早く、用意をいたせ」、鶴の一声で如何としがたく、狩の日を決めて準備万端、殿さま一行は苫ヶ島に狩に出掛けた。ところがその日に限って獲物が一 匹も出で来ない。そのうちに一天俄かにかき曇り、雷が鳴り大雨が降り出した。

 蝦蟇(がま)ヶ淵と言う所にさしかかると、大蛇が大口を開け、真紅の舌を出し、鎌首もたげて一呑みと、殿様めがけて突進して来た。

頼宣 「誰かある!あの大蛇を射って取れ!」、大蛇の迫力に家来どもはみな尻込みするばかり。

家来 「拙者は幼少の頃より、長虫は大嫌いでござる。あの大蛇を射取れとの仰せなら、殿に禄をお返しいたし、町はずれで芋屋でもいたすでござる。当今、芋は貫目いかほどのものでござろう」なんて、転職を考える情けない家来もいる。

 すると末座に控えていた牧野弥兵衛、紀伊家に伝わる、静の一振という、身と穂が四尺、柄が四尺、都合八尺と言う薙刀を、りゅうりゅうと打ち振り、大蛇に近づくと、その口に縦閂(かんぬき)にあてがった。さすがの大蛇もあんぐり口を開けたままで困っている。

牧野 「邪性のもの、耳あらばかっぽじってよっくうけたまわれ。・・・ここにわたらせたもうは・・・紀伊大納言頼宣公なるぞ・・・この牧野弥兵衛が静流の薙刀の斬れ味を試してくれん。汝、見事、受けられるものなら、受けてみよ、ええ!」 、

 弥兵衛はんと大蛇、組んずまろびつ戦ったが、なにせ、相手は大きな、超ヘビー級の大蛇、弥兵衛、力づくではかなわんと気転を利かせて、大蛇が伸びてくるのを、体をかわしてやりすごす。大蛇が振り向くところを、手を伸ばして薙刀をはずすと、その石突き大蛇の鼻柱を叩いた。

 みるみる大蛇の鼻から血がドクドク、涙がボロボロ。弥兵衛、逃げようとする大蛇の首筋を、ひっつかむ。逃げようとすると大蛇の首筋の鱗が三枚はがれ抜けた。 まじないと言うのは、不思議なもので、大蛇の鼻血がピタリと止まった。



     


サゲは首筋の毛を三本抜くと鼻血が止まるという、まじないにかけたもの。

苫ヶ島は、紀淡海峡の友ヶ島の中の沖ノ島の別名といい、この噺は友ヶ島の「深蛇池の大蛇伝説」をもとにしているようだ。《地図



和歌山城(西の丸跡から)

熊野古道(紀伊路・和歌山城下)』


天守閣から紀ノ川・和歌山港


589(2017・12)




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