都電荒川線沿いを王子駅から三ノ輪橋駅まで、初詣を兼ねながら歩いた。 好天で春のような暖かい半日だった。 カラフルで様々な車両が行き交っている。 現在は4種類(7000形・8500形・8800形・9000形)の車両が運行しているそうだ。 梶原駅から梶原商店街を北に向かう。 商店街入口近くに「都電もなか」の「菓匠 明美」がある。《地図》 江戸時代にこの地域を領有していた水野家の本郷の屋敷内から 当地の小泉家が勧請してきたと伝えられている。 眼病平癒と火防祈願の地蔵尊として広く信仰を集めている。 毎月3日、13日、23日が縁日。 白山神社(北区堀船) 福性寺は豊島八十八ヶ所霊場の57番 後背の左に「六あミだ左一番目道」 白山堀公園 《地図》 舩方山延命寺 《地図》 船方神社の別当寺だった。豊島八十八ヶ所霊場の44番 荒川区に入る。 めがね橋・スワン池から下町都電ミニ資料館 冬休み中の好天で親子連れでにぎわっている。 平成12年まで運行していた6000形の車両 ライトが1個なので「一球さん」の愛称で親しまれていた。 レンガ塀の残る通り 《地図》 煉瓦工場のレンガを使い、あらかわ遊園が遊園を囲む塀を造った。 地蔵寺 《地図》 阿弥陀三尊来迎図を線刻した夜念仏供養板碑(文明15年(1483))がある。 豊島八十八ヶ所霊場の第20番 尾久八幡神社 初詣でにぎわっている。 碩運寺(寺の湯跡) 《地図》 熊野前駅・上は日暮里舎人ライナー 阿遮院 豊島八十八ヶ所霊場の63番 慈眼寺(朝日薬師) 《地図》 本尊の朝日薬師如来は眼病や産婦の乳の出がよくなるなどの 霊験があるといわれ、特に女性の信仰を集めていた。 豊島八十八ヶ所霊場の65番 原稲荷神社 阿弥陀三尊の線刻がある庚申塔を見逃した。 泊船軒 《地図》 「山吹の塚」も気づかず。 荒川二丁目駅 旧三河島汚水処分場喞筒(ポンプ)場施設(国重文) 三河島水再生センター内 《地図》 敷地内に武蔵野合戦の慰霊の妻夫塚があったようだ。 荒川自然公園の下を走る都電荒川線 荒川自然公園の白鳥池 荒川遊園のスワン池では白鳥の姿を見かけなかったが。 荒川区役所の西側を通り、明治通りに出た。 明治通り北側から移設されて三峯神社と同居している。 不動明王像には左耳が無く、耳の病などにご利益があると伝えられ、 穴を開けたお椀を奉納する慣わしがあるそうだが、 お椀はなく湯呑み茶碗が並んでいた。 『三河島御不動記』(山東京伝) 地蔵堀の石地蔵 《地図》 この地蔵も地蔵堀から移設された。 千住間道に入り日光街道方向に向かう。 間道といっても今は広い車道だ。 《地図》 千住製絨所→東京スタジアム→荒川総合スポーツセンターとなった。 日光街道の手前で右折し、円通寺の裏手を通って行く。 ジョイフル三の輪商店街 「ドロボー侵入禁止」の路地 国道4号に出てJR常磐線をくぐった台東区との境に、 国道を直角に横切り音無川が流れ、三ノ輪橋が架かっていた。 音無川は浄閑寺の西側を流れ、山谷堀に入り隅田川へと続いていた。 音無川跡(上流方向・右は浄閑寺) 《地図》 浄閑寺(投込寺) 門前左側は小夜衣供養地蔵尊 「浄閑寺の史跡」 侠客濡髪長五郎・本庄兄弟・ 豕塚(いのこづか)と小夜衣供養地蔵尊は、『投げ込み寺のいろいろな物語』で。 新比翼塚と谷豊栄、盛紫の墓は、明治18年10月1日に吉原の品川楼で心中した遊女・盛紫と 内務省役人・谷豊栄を供養する塚と二人の墓だそうだ。 江戸五色不動の一つ 以前訪れた時は不動像は拝めなかった。 梅林寺 寿永寺 下谷七福神の布袋尊 薬王寺の背面(うしろむき)地蔵尊(新しい地蔵の後ろ) 《地図》 背面地蔵尊
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