坂道散歩
 街道・古道歩き
 河川・用水路
 歩いた坂
 ブログのTOPへ
             
 東京散歩(音無川跡〜山谷堀)


 
2017年1月10日


日暮里駅(JR京浜東北線)・・・将軍橋(音無川跡)・善性寺・芋坂下・羽二重団子店・・・御隠殿橋跡・・(水鶏橋跡)・・・・御隠殿跡(根岸薬師)・・・根岸三平堂・・・書道博物館(中村不折旧宅)・・子規庵・・・(一本橋跡)・・・(初音橋跡)・・・笹乃雪・・・根岸庚申塔・・・円光寺・・・西蔵院・・・永称寺・・・千手院・・手児奈せんべい店・・・世尊寺・・・西念寺・・・(呉竹橋跡)・・御行の松・不動堂・・・石(下根岸)稲荷神社・・・大空庵・・・猿田彦神社・カンカン森通り・・・薬王寺・・・池田屋敷跡・・・(明治通り)・・・三ノ輪橋跡(音無川・国道4号)・・・浄閑寺・・・三ノ輪児童遊園・・・三ノ輪二交差点・・土手通り・・・(いろは会商店街)・・・吉原大門交差点・・見返り柳・衣紋坂跡・・・日本堤公園・・・(日本堤橋跡(山谷堀))・・・東禅寺・・・春慶院・・・道林寺・・・地方橋(山谷堀公園)・・・地方新橋・・・紙洗橋・・・袖摺神社・・・瑞泉寺・・熱田神社・・・山谷堀橋・禿坂跡・・・正法寺橋・・正法寺・・合力稲荷神社・・・遍照院・・・聖天橋・・・潮江院・・・今戸神社・・本龍寺・・慶養寺・・・待乳山聖天・天狗坂・・今戸橋・隅田公園・竹屋の渡し跡碑・山谷堀水門(隅田川)・・花歌碑・・・(言問橋)・・・東参道・・花川戸公園・・・二天門・浅草寺・仲見世通り・伝法院通り・・鎮護堂・・・・浅草駅(つくばエクスプレス)

  【ル−ト地図

石神井川から音無親水公園あたりで分かれて、荒川区と台東区の境を流れて
山谷堀に入り隅田川へと続いていた音無川(石神井用水)跡沿いを日暮里駅前から歩く。

   
日暮里駅前の太田道灌像・荒川消防署音無川出張所


   
音無川跡(善性寺の塀沿い)・将軍橋




不二大黒天


羽二重団子店(芋坂下・善性寺の向かい側) 《地図
文政2年(1819)開業の「藤の木茶屋」
右角は道標で、正面に「王子街道」・
右側面に「右 いも坂みち」・左側面に「左 根ぎしみち」






このあたりは『荒川区の坂』・『谷中界隈の坂』で歩いている。


御隠殿橋跡 《地図
音無川は荒川区と台東区の境を流れていた。





御隠殿跡(根岸薬師寺)





ねぎし三平堂
「昭和の爆笑王」落語家初代林家三平の記念館



書道博物館 (中村不折旧宅)





子規庵 《地図

「春の水 音無川と 申しけり」(子規)




水鶏(くいな)橋の次に尾久橋通りの竹台高校の南側あたりに一本橋が、
尾竹橋通りとの交差点あたりに初音橋が架かっていた。

音無川沿いから離れ根岸の寺を巡る。


笹乃雪
もとは初音橋の所にあった。



根岸の庚申塔 《地図
左から寛文8年(1668)・元禄16年(1703)・寛文9年の造立・
右端の石祠内は青面金剛庚申塔のようだ。



円光寺(藤寺)
藤棚が見える。本堂脇にあるという禁酒地蔵を見逃した。
根岸円光寺」(『江戸名所図会』)



西蔵院
右に「根岸小学校発祥之地碑」



永称寺



千手院



手児奈せんべい店で「味噌せんべい」を買う。


   
世尊寺:応安5年(1372)創建という根岸では一番古い寺。
福智六地蔵(右)は文久3年(1863))の銘があり、九世神田宗庭の仏画が線刻してある。


庚申塔(延宝2年(1674)


   
西念寺・身代り地蔵(目洗い地蔵)「縁起」には目洗いの由来は書かれていないが。


音無川跡沿いに戻る。

   
呉竹橋跡あたり・右側の旧家
正面は御行の松・不動堂 
呉竹の根岸の里」(『江戸名所図会』


   
時雨岡不動堂・御行の松(3代目) 《地図
「青々と 冬を根岸の 一つ松」(子規)
時雨岡不動堂」(『江戸名所図会』)の御行の松は大木だ。
「霜ののちあらはれにけり 時雨をば忍の岡の松もかひなし」と
室町時代の紀行文『廻国雑記』(道興准后)にも記されている。
上野からここを通って音無川沿いに三ノ輪に至る道筋は古くは鎌倉街道だった。
「時雨の岡」と呼ばれたのは、上野の山下で気象が変わりやすい所だったからという。



ここで行をしていたのは湯殿山の末寺の御日坊だったともいう。


石稲荷神社:神体は石像という。 《地図





大空庵
根岸古寺めぐり」の第二番だが番犬に吠え続けられ早々に退散した。

音無川跡の北側の荒川区に入り、カンカン森通りに出る。


   
猿田彦神社・手水鉢(文化7年(1810)) 《地図


庚申塔(享保13年(1728))
上部に大日如来の種子(梵字)が刻まれている。


「カンカン森」の由来は何か?


カンカン森通り 《地図

右折して音無川跡沿いに出る。

   
旧家の門だけが残っている。 《地図

背面地蔵の薬王寺を過ぎる。『東京散歩(都電荒川線)』に記載


池田屋敷跡 《地図





音無川はJR常磐線の手前で右に曲がって流れていた。



国道4号を直角に横切る三ノ輪橋が架かっていた。
台東区の荒川区の境になっている。 《地図


国道4号を渡った右に荒川区と江東区連名の三ノ輪橋の説明板
左に台東区の説明標柱





浄閑寺の西側の塀沿いを流れていた。





三ノ輪児童遊園
ここを流れていたのだろう。



三ノ輪二交差点あたりで思川が東に分岐し、「橋場の渡し」あたりで
隅田川に注いでいた。『東京散歩(台東区)』に記載


いつも並んでいる天ぷら屋の伊勢屋本店(土手の伊勢屋)
「土手の道哲」西方寺は巣鴨に移転した。(都電荒川線A



見返り柳の?代目がほっそりと立っている。(吉原大門交差点)
ずっと向こうには東京スカイツリーもほっそりと。



音無川は山谷堀へと続いていた。


日本堤橋跡(山谷堀)あたり? 《地図
民家のドアの左は橋の部材の一部か?

日本堤




地方橋から下流は山谷堀公園になっている。
水は流れてはいないが。

   
地方橋・帝都復興事業で昭和4年に改築された。 《地図


山谷堀公園
吉原通いの猪牙船が通った流れはない。



道林寺


   
春慶院・二代目高尾太夫の墓
巣鴨の西方寺にも墓がある。
落語『高尾』は陸奥仙台藩主・伊達綱宗の意に従わなかったために、
三叉
の船中で惨殺されたという逸話からの噺。


仙台の瑞鳳寺には「高尾門」がある。『仙台市の坂@


江戸六地蔵東禅寺





地方新橋



袖摺神社 《地図





紙洗橋
このあたりには浅草紙の生産所があり、「冷やかす」という言葉が生まれた。


   
瑞泉寺・庚申塔(元禄14年(1701))





熱田神社
山谷熱田明神社」(『江戸名所図会』
東日本大震災で玉垣の一部などが倒壊したそうだ。
神も仏も当てにはならないということか。





エスペランサ靴学院 《地図
エスペラント語学院かと思っていた。



山谷堀橋・禿坂跡



正法寺橋
橋際にあった正法寺の毘沙門は、昔は縁日で賑わい、
その夜店は言問橋際から寺内まで続いていたという。


正法寺
現代的なビルでドアは鏡張りになっていて入りにくい。
縁日・夜店などは全く想像できない。


   
合力稲荷神社


「他に類を見ない足で持ち上げた石・・・」とあるが、
他所の力石も足で持ち上げている。『中山道(桶川宿)』の稲荷神社の所に記載。


   
吉野橋・山谷堀公園



聖天橋



潮江院
初代三笑亭可楽の墓がある。



今戸神社
縁結び・沖田総司の墓・招き猫・浅草名所七福神
などが売り物のようで参拝客が多い。



慶養寺
山谷堀 今戸橋 慶養寺」(『江戸名所図会』


   
天狗坂(待乳山聖天境内への石段だが、普段は閉まっている)
開いていて上り下りできた時の写真。『台東区の坂A



待乳山聖天

   
巾着と二股大根
夫婦和合と商売繁盛で、古くから花柳界などで深く信仰されてきた。

待乳山聖天宮・今戸橋


今戸橋跡






竹屋の渡し碑


明治時代の竹屋の渡しの写真



   
山谷堀水門・隅田川(竹屋の渡し跡) 《地図

隅田公園内を通って行く。



二天門通り



(新)姥が池


「石枕」伝説は前述の『廻国雑記』にも記されている。浅茅が原では
「人めさへかれてさびしき夕まぐれ 浅茅か原の霜を分けつつ」と詠んでいる。



   
助六歌碑・履物問屋街発祥碑




   
二天門・右に手水鉢





浅草寺境内を抜けて行く。

   
鎮護堂(おたぬき様)・幇間塚





浅草演芸ホールの前を通って、つくばエクスプレスの浅草駅に出た。





アクセスカウンター