、井上正鐡が伝道した禊教発祥の霊場 鳥居をくぐった左側に井上正鐡の事歴を刻した「教祖の碑」、 社殿の右奥に井上神社と禊教教祖の旧宅がある。 遍照院 「梅栗小学校跡」標石が立つ。 梅田稲荷神社 梅田街道・梅田堀跡(右の歩道) 《地図》 千住の元宿(後述)から続く奥州街道の古道で、 見沼代用水本木堀の分流の梅田堀沿いの道。 梅田と関原との境を流れていて西堀とも呼ばれた 三峰神社 《地図》 小さく祀られている。 右から回国供養塔・庚申塔(寛延3年(1750)・梅田村女講中三十四人の造立)・庚申塔・地蔵。 梅田街道を北上し左折して関原に入る。 旧家の門 関原の地名由来の寺 右の写真の中央は不動像の下に「不動尊道」・左側面に「これより二町」と刻む。 関原通り 関原八幡神社 スダジイと、うばめ樫の木 常唱庵 江戸末期から明治初めに寺子屋が開かれていた。 中曽根神社・中曽根城跡 《地図》 正面は「元木囃子発祥の地」碑だが、元木囃子とは?ここは「本木」だが。 中曽根城跡碑 千葉次郎勝胤の墓は『東京散歩(足立区@)』に記載 城跡ゆかりの小字名の「小屋の内出」は宝寿院あたり、「出戸」には出戸八幡神社がある。 宝寿院山門(嘉永年間(1848〜53)の建造) 御嶽神社 ここも千葉氏ゆかりの神社という。 興野(おきの)神社 《地図》 左の?大イチョウの幹周りは4.42mで区内最大だそうだ。 馬頭観音の小石祠(左) 冬木弁天堂 《地図》 江戸時代の材木商・冬木家の別邸跡という。 江東区冬木の屋敷跡にも冬木弁天堂がある。 境内には入れない。弁天池は枯れているようだ。 田中稲荷神社 冬木屋の別邸内に稲荷神社を勧請したことに創始するという。 吉祥院 《地図》 常念坊 新しい寺かと思ったら吉祥院の別院だった。 氷川神社 いずれも小さく祀られている。 北野神社 豊島清光が北野天満宮から分祀したという。 豊島清光は熊野信仰が篤く、六阿弥陀伝説にも登場する。 出戸八幡神社 中曽根城の出戸(出入り口)に弓矢の守護神として勧請したという。 王子道を南下する。 《地図》 西新井橋(荒川)を渡る。 尾竹橋から隅田川下流方向 下流に「お茶屋の渡し」・上流に「新渡し」があった。 尾竹橋を渡り返し北千住方向へ向かう。 奥州街道の古道の通るこの地は、日光道中の千住宿に対して元宿と呼ばれていた。 境内左側に感旧碑が立っている。 感旧碑 元宿堀跡 《地図》 右は「子育地蔵大菩薩」(天保11年(1840))の標石。 子育地蔵への道標と思ったが、これその物が子育地蔵のようだ。 元宿堰稲荷神社 墨堤(ぼくてい)通り(右)・左の大師道を進む。 日光街道から西新井大師への参詣路の一つだった。 古くは荒川の堤防で、熊谷堤と呼ばれた所。 墨堤通りは、石出掃部亮の築いた掃部堤(かもんづつみ)跡。 この先の森鴎外の撰文という「大正記念道碑」(千住宮元町29)を探すが分からず。 東側の千住中居町公園に移設されたようだ。 千住神社 《地図》 千住七福神の恵比寿神 日光街道千住宿に入る。 慈眼寺 不動院には戊辰戦争に従軍した芸州藩の戦死者供養塔、 千住宿遊女の無縁塔(万延元年(1860))がある。 千住町町役場跡 《地図》 赤門寺(勝専寺)の山門内から 右は閻魔堂 鐘楼は千住宿の「時の鐘」だった。 (現在の鐘は戦時供出後の再鋳) 大橋眼科医院 《地図》 昭和57年の建築というから古くはないがロマンティックだ。 |