「浜野矩随(はまののりゆき)」

 
あらすじ 父親は名人といわれた刀剣の付属品の腰元彫り師だったが、息子の浜野矩随は、足元にも及ばないへたくそで、父親が死んでからは、得意先からどんどんと見放され、芝神明の骨董屋の若狭屋甚兵衛だけが、矩随のへたな作品を義理で一分で買ってくれるだけ。今は八丁堀の裏長屋での母親と細々と暮らしている。

 ある日、矩随が馬を彫って持って行くと、若狭屋は「足が3本しかないではないか」と怒り、手切れの五両をやるから、母親に渡してお前は吾妻橋から身を投げるか、松の枝に首をくくって死んでしまえと冷たく言い放った。

 そこまで言われた矩随は死ぬ覚悟を決め、母親に無尽に当ったと言って五両を渡した。矩随の様子から若狭屋での一件を見抜いた母は、「死んでおしまいなさい」と突き放し、その前に形見に観音様を一体彫ってくれと頼む。

 母親からも見捨てられたと思った矩随は、水垢離をしてこれが最後の作と、一心不乱にまる四日間、観音像を彫り続けた。隣の部屋では母親が一生懸命に念仏を唱え続けていた。彫り上がった観音像を母親に見せるとその出来栄えの良さに驚き満足し、若狭屋に持って行って三十両で引き取ってもらえという。そして矩随に碗の水を半分飲ませ、残りは自ら飲んで見送った。

 矩随はおそるおそる観音像を若狭屋へ持って行くと、一目見た若狭屋が「まだ父親の作が残っていたのか」と見間違えたほどの立派な観音像だ。三十両で買い取るという若狭屋は観音像の足裏に「矩随」の銘があるので、「何でこんなことをしたんだ」と怒る。

 矩随は母とのやりとりからの顛末を話すと、若狭屋も納得、碗の水のことを聞いて水杯とピンと来た若狭屋は急いで家に帰れという。八丁堀の裏長屋に駆け戻った矩随だが、母親は手首を切ってこと切れていた。

 これをきかっけにして開眼した矩随はさらに精進し、後に父にも劣らぬ名人と言われるようになったという一席。



聖観音菩薩立像(MOA美術館
(浜野矩随作ではないが)


古今亭志ん朝の『浜野矩随』の【YouTube】



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