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左官の長兵衛の長屋のあった本所達磨横町
(墨田区吾妻橋1丁目) |
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吾妻橋(正面)の東詰めのウンコビルあたり一帯が細川家下屋敷で、中間部屋の賭場で長兵衛はいつも負けていたのだろう。「本所絵図」の吾妻橋東岸に細川能登守、右端に水戸殿(隅田公園)がある。 |
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隅田公園
文七が五十両を置き忘れた水戸屋敷があった。(墨田区向島1丁目) |
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枕橋から北十間川
《地図》
文七が五十両盗まれたと思った所。以前は大横川の分流点までを源森川といった。花川戸の町内から枕橋への渡しがあった。浅草側では枕橋の渡し、本所側(こちら)では山の宿の渡しといった。 |
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長兵衛が吉原の佐野槌から借りた五十両を持って達磨横町へ帰る途中にある待乳山聖天。(台東区浅草7丁目) |
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身投げしようとする文七を長兵衛が助け、五十両を与えた吾妻橋から隅田川)。
吾妻橋は落語では身投げの名所で、『唐茄子屋政談』・『星野屋』・『佃祭』・『身投げ屋』などにも登場する。
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