「文七元結」 

 
あらすじ 本所達磨横町の左官の長兵衛は腕はいいが、博打にはまってしまい家は貧乏で借金だらけで、夫婦喧嘩が絶えない。見かねた娘のお久吉原佐野槌に自分の身を売って急場をしのぎたいと駆け込む。

 佐野槌からお久が来ていると知らされた長兵衛は女房のボロ着物を着て佐野槌へ行く。
女将 「お前いくらあったら仕事にかかれるんだい」

長兵衛 「実は細川様のお屋敷に仕事に行っている時に、ちょいと手を出したのがやみつきで、義理の悪い借金こしらえちまって、・・・四十五、六もありゃ・・・」

女将 「じゃあ、五十両あれば・・・」

長兵衛 「そりゃあもう、五十両あれば御の字なんで・・・」

女将 「じゃあたしが貸してあげよう。あげるんじゃないよ貸すんだよ。それでいつ返してくれるんだい」

長兵衛 「・・・来年の七、八月頃には必ず・・・」

女将 「それじゃ来年の大晦日までは待ってあげよう。それまではこの娘(こ)は預かるだけにしよう。だけど大晦日が一日でも過ぎたらこの娘は見世に出して客を取らせるよ」

お久 「お父っつぁん、もう博打だけはよしとくれ・・・」

 大金を懐にした長兵衛は大門から見返り柳を後に、道哲を右に見て、待乳山聖天の森を左に見て、山の宿花川戸を過ぎて吾妻橋まで来ると若者が身投げをしようとしている。

 長兵衛がわけを聞くと横山町鼈甲問屋、近江屋の手代の文七水戸屋敷から集金の帰り、枕橋で怪しげな男に突き当たられ五十両を奪われたという。長兵衛はなんとか思い留まらせようとするが、文七はどうしても死ぬと言う。ついに、

長兵衛 「どうしても五十両なきゃ死ぬってぇのか・・・どうせ俺にゃ授からねえ金だ、てめえにくれてやりゃあ、持ってけ!」と、財布を前に置いてこの五十両を持っているいきさつを話す。

文七 「そんなわけのあるお金をあたくしは頂くわけにはまいりません」

長兵衛 「俺の娘は何も死ぬわけじゃねえんだよ、見世へ出して客を取らせりゃいいんだ。おめえは五十両なきゃ死ぬってえから、やるんだよ」、押し問答の末、長兵衛は五十両を文七に叩きつけ走り去ってしまった。

文七 「あんな汚いなりをして、五十両なんて持ってるわけがあるものか。やると言ったからしょうがなく石っころなんか入れてぶつけて行きやがった」、ひょいと財布の中を見てびっくり。もう見えなくなった長兵衛の方へ両手を合わせて伏し拝み、

文七 「ありがとうございます。・・・おかげさまで助かりました・・・ありがとうございます」

 文七が店へ帰ると主人も番頭もまだ寝ないで待っていた。文七が五十両入った財布を差し出すと、二人とも怪訝そうな顔をする。半七が奪われたと思った金は文七が水戸屋敷で碁を打った時に碁盤の下に置き忘れていて、屋敷からわざわざ届けられていたのだ。文七は吾妻橋での一件について話すと主人もようやく納得した。

 翌朝、近江屋の主人が文七を連れて五十両を返しに来る。長兵衛の家では昨晩から夫婦喧嘩が続いている。
長兵衛 「・・・だから嘘じゃねえんだよう、やったんだよ」

女房 「だから、何処のなんてえ人にやったんだい」

長兵衛 「そんなこたぁ聞くのが面倒くせえから、そいつに金ぶつけて逃げて来たんだ」

女房 「金ぇぶつけて逃げるなんて、いい加減なことばかり言いやがって・・・」、そこへ近江屋が入って来る。鼈甲問屋と聞いてここは家が違うと言う長兵衛に、近江屋は表から文七を呼び寄せ、昨晩の五十両の顛末を語って、

近江屋 「・・・したがいまして昨夜、お恵み頂きました五十両、ご返済にあがりました次第で・・・」、すると長兵衛はいったんやった金は今さら受け取れないと言い張り出した。

 ボロを着ていて人前に出られずに、ぼろ屏風の後ろに隠れていた女房が受け取れと袖を引っ張り、近江屋も受け取ってくれないとこの金のやり場に困ってしまうと言うので、長兵衛はしぶしぶ五十両を受け取った。

 近江屋は今後は長兵衛と親戚付き合いがしたいと申し出て、角樽と酒二升の切手を差し出し、
近江屋 「お肴をと思いまして、御意に召すかどうかは分かりませんが、ただ今、ご覧に入れます・・・」、長屋の路地に駕籠が入って来て、中から出て来たのがお久だ。文金の高島田に綺麗な着物で、すっかり化粧した姿は錦絵から抜け出たよう。

お久 「お父っつん、あたしこのおじさんに身請けされて、もう家に帰ってもいいんだって・・・」、この声を聞いて隠れていた女房もたまらなくなって出て来て、お久とすがり合って泣き出した。

 文七とお久は結ばれ、麹町貝坂元結屋の店を開いたという「文七元結」(ぶんしちもっとい)の一席。
 

      



元結屋(「江戸商売図会」三谷一馬より)


古今亭志ん生の『文七元結【YouTube】
   左官の長兵衛の長屋のあった本所達磨横町
(墨田区吾妻橋1丁目)
   吾妻橋(正面)の東詰めのウンコビルあたり一帯が細川家下屋敷で、中間部屋の賭場で長兵衛はいつも負けていたのだろう。「本所絵図」の吾妻橋西岸に細川能登守、右端に水戸殿(隅田公園)がある。
   
隅田公園

文七が五十両を置き忘れた水戸屋敷があった。(墨田区向島1丁目)
   枕橋から北十間川 
地図

文七が五十両盗まれたと思った所。以前は大横川の分流点までを源森川といった。花川戸の町内から枕橋への渡しがあった。浅草側では枕橋の渡し、本所側(こちら)では山の宿の渡しといった。
   長兵衛が吉原の佐野槌から借りた五十両を持って達磨横町へ帰る途中にある待乳山聖天。(台東区浅草7丁目)
   身投げしようとする文七を長兵衛が助け、五十両を与えた吾妻橋から隅田川)。

吾妻橋は落語では身投げの名所で、『唐茄子屋政談』・『星野屋』・『佃祭』・『身投げ屋』などにも登場する。

隅田川八景「吾妻橋帰帆」(広重)


宮戸川吾妻橋(「絵本江戸土産」広重画)
右上は源森川(現在の北十間川)で枕橋が架かっている。


   文七とお久が結ばれて、元結屋を開いたという麹町の貝坂

千代田区平河町2丁目。
この付近に貝塚があったらしい。


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