「明石飛脚」

 
あらすじ 足が速く韋駄天の異名をとる。大阪の商家から急ぎの手紙を飛脚代わりに明石まで届けてくれと頼まれる。大阪から明石まで十五里ほどと聞き、足には自信がある。礼もはずむというので、「よろしゅおます」と引き受け、飛脚の出で立ちですぐに西に走り出した。

 だいぶ走って、男「ここは何という所だす?」、「ここは西宮だっせ」、男「大阪から明石まではなんぼおますやろ」、「十五里と言いますな」、男「まだ十五里か」でまた走り出す。

男 「ここは何処でっしゃろ」、「三宮です」、男「大阪から明石までは何里で・・・」、「十五里と聞きますが・・・」、男「まだ十五里・・・」と走り出す。

男 「ここは何処で・・・」、「兵庫ですがな」、男「大阪から明石までは・・・」、「十五里・・・」

だいぶ日が傾いてきて、
 男 「ここは何という所で」、「ここは須磨だっせ」、男「大阪から明石までは何里おまっしゃろ」、「十五里やがな」、男「とほほ、まだ十五里や言うてるがや」で、また走り出す。

 男 「ここは何という所で」、「このあたりは舞子だす」、男「舞子でっか。・・・大阪から明石までは十五里か」、「その通りや」、ほいほいと男はまた走り出す。へとへとに疲れて日の落ちる頃、明石の町に入って来て、人丸さんの境内の飛び込んで茶店の床几の上で、ぐーっと寝込んでしまった。

茶店の婆さん 「もう店じまいするよって、そんな所でめてもろたら困ります」

男 「ああ、すんません、ここは何処だっしゃろ」

茶店の婆さん 「ここは人丸さんですがな」

男 「人丸さんてえと?」

茶店の婆さん 「明石の人丸さんでっせ」

男 「明石!、ここは明石だっか。走るより寝ている方が早かった」


 
                       韋駄天像(西光寺

 この噺は大分県の縁無坂縁起(橋坊主和讃)に似ている。
小倉から中津街道を宇佐八幡へ向かう老婆が、「ここらからいか程あるか」と聞いたのを、人々は「小倉から」と聞き違え、いつでも、どこで聞いても「十八里」という答え。
老婆は悲しいかな八幡様にはいと諦めて来た道を引き返して行った。
文京区の坂A』の無縁坂の所に記載。


  

西宮神社 『西国街道C


三宮神社地図
神戸事件発生の地」碑が立つ。
山陽道(西宮駅→神戸駅)』



新川運河(兵庫運河の一つ)
山陽道(神戸駅→朝霧駅)』



須磨寺



「源平史蹟戦の濱碑」から須磨の浦 
一の谷から西一帯の海岸は「一ノ谷の戦い」の激戦地で、
「戦の濱」と言われ、須磨浦公園の東端に石碑が立つ。
一ノ谷の逆落としがあった旧暦2月7日早朝には馬のいななきが聞こえるとか。




舞子公園の明石海峡大橋の真下から



明石宿(大蔵谷宿) 《地図》 
山陽道(朝霧駅→加古川駅)』
江戸時代には山陽道屈指の宿場として栄えたという。




人丸神社(柿本神社) 《地図





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