★あらすじ 讃岐の金比羅参りをすませた喜六と清八、船で室津に渡り、山陽道に出て東に向かい播州巡りをしながら大坂に帰って行く。
清八 「あれが明石城や」
喜六 「へぇ~、小さいお城やなぁ」
清八 「土地の人が聞いたら怒るで」
喜六 「大きい城や、植木鉢の上に置いたら・・・」、明石の宿場通りを抜けて北へ、人丸神社へ向う。
清八 「この道標を左に行けば忠度塚と腕塚神社があるんや」
喜六 「腕塚ってなんやねん?」
清八 「岡部六弥太に右腕を斬り落されたという平忠度(ただのり)の右腕を祀っていて、腕・腰の病にご利益あるんやそうな」
喜六 「忠度はん、六弥太の嫁はんにただ乗りして右腕斬られたんやろか」
清八 「そんアホな、源平合戦の時の話や・・・ここ右行けば休天(やすみてん)神社や。大宰府へ左遷される途中の菅原道真公がこのあたりで休んだんやそうや」
喜六 「学問はずっと休んでいるさかい、寄らんとこ」
清八 「ここが人丸さんの麓や、これが延命水の亀の水や。日本二水、天王寺さんの亀の水とここだけや。この水飲んだら三年寿命が延びるちゅう水や。額に”万代も尽きせず飲めや亀の水 清き流れに御手を洗うて”とあるやろ」
喜六 「大した水やなぁ、この水飲んだら三年寿命延びるんやろ、死にかけたらこの水飲んで三年延びて、ほでまた死にかけたらこの水飲めば不老長寿やがな」
清八 「そやないわ、寿命が三年延びるっちゅうことや。この石段も日本二坂やで。もう一つはやっぱり大坂や。大坂高津の西坂、あれが三下り半。人丸さんのこの坂 が七下り半の縁切り坂、離縁状坂、去り状坂、あんまりゲンのええ坂やないね。夫婦(みょ~と)が手をつないで上がると、縁が切れるっちゅうぐらいやなぁ」 、石段を上って、
清八 「ここが月照寺、・・・これが”船形八房の梅”じゃ」
喜六 「誰が植えてん?」
清八 「大石内蔵助が植えたとも、間瀬久太夫が植えたとも言うようやなぁ」、人丸神社の境内に入って、拝殿でお賽銭を入れて手を叩いて拝んで、
喜六 「あぁ、出はった。神さんが出はったが、・・・えらい愛嬌のある神さんやなぁ。 わいが笑たら向こぉもニコニコッと笑いはんねやが・・・、何じゃ見覚えのあるよぉな顔やが、神さんにしてはちっと貧相な・・・」
清八 「アホ、正面の鏡にお前の顔が写ったんねやないか」、裏へ回って、
清八 「これが火除け塚で、”ほのぼのと足の元まで火は来ても 明石といえばすぐに人丸(火止る)”、明石はこの歌があるために昔から大火事は無いというくらいやで」
喜六 「清やん、お前何でもよぉ知ってるなぁ」
清八 「これが有名な盲杖桜や。 昔、筑紫の国から座頭さんが、京都へ官を受けに船に乗って来なはったやが、明石の浦まで来て風待ちをすることになったんや。朝顔日記の浄瑠璃のサワリにも”泣いて明石の風待ちに”という文句があるがな。 風待ちの間に皆が人丸さんへ参詣に行くと言うので座頭さんも一緒について来たんや。皆は明石の浦の景色を見て、えぇ、景色やなあと感心しているが、座頭さんには見えへんから口惜しがったなあ」
喜六 「座頭さんなら、口欲しからんで、目欲しがるもんやで、えらい勘違いやで」
清八 「勘違いはお前や。座頭さんはどうしても景色が見とうて、自分一人、この地に残って七日七夜断食して人丸さんに祈ったんや。願上りに時に、”ほのぼのとまこと明石の神なれば ひと目を見せよ人丸の塚”と詠んだんや。ほたら不思議なことに目ぇがパッチリと開きよった。それも束の間、また閉じてしもうた。ひと目がいけなかったと、今度は” ほのぼのとまこと明石の神 なれば われにも見せよ人丸の塚”で、バッチリ目が開いた。そしてついていた杖を突き刺してお礼を言って帰ったんや。その杖が桜の木になってな、芽が出て花が咲く。目出度い不思議なことでこれが”盲杖桜”という名が付いたんや。考えると歌の理といぅものは恐ろしぃなぁ」
喜六 「わては質(ひち)の利のほうが恐ろしいで」
清八 「ここは絵馬堂や」
喜六 「この中のこの猿、よぉ描いたるなぁ」
清八 「へえ、お前でも分かるか。あんまりよぉ描いたぁんので、この猿が額から抜け出してな、夜な夜な田畑を荒らした。ほで村の人が困って金網をこしらえてこの額へ張り付 けんや。それからこっち、この猿は出て来なくなったんや」
喜六 「この猿の絵描いたんが人丸さんか?」
清八 「なんやお前、人丸さんが誰か知らんでお参りしてたんか。柿本人磨呂ちゅうて歌の神様、”和歌三神”のひとりや。ある時、人丸さんに朝廷から、”家(や)の中の雪”という難題が下がった。人丸さんにはこんなのは朝飯前で、”天窓を閉め忘れたか南無三宝 荒神松に積る白雪”、朝廷は天晴であると褒めておいて、”石の袴”とまた難題をつきつけよった。人丸さん、こんなもん屁の河童と、”仰せなら石の袴も縫いもせめ 真砂の糸を給われや君”、あとで一休さんもパクッたか、一休さんをパクッて人丸さんの歌にしたんやろか。まあ、まだ朝廷の嫌がらせは続いて、”焚かぬ火の灰”と来やがった。人丸さん、これが歌に出来なくて七日七晩悩んだ末、”このぐらいのことが歌にならん。これではわしも世の末じゃ 生きておる甲斐がない”」と、明石の浦へ入水に行ったなぁ」
喜六 「明石の浦に雑炊吸いにか?」
清八 「じゅすい、海に入って死ぬことや。すると近くで釣りをしていた白髪の老人が近寄って来て、” なに故、入水をするのじゃ?”、”焚かぬ火の灰”の歌がでけんために死ぬ”と言うと、”わしは人丸とは歌詠みの名人と聞いておったが、このくらいのことが歌にならんよぉでは、まだまだ歌道に暗いなぁ”と言って、”わしなれば「夜もすがら」と言うわい”と、人丸さんの肩をちょいと叩いて笑っている。ここまでヒントをもらえば後は簡単だ。”夜もすがら川辺にもゆる蛍火の 明くれば草に灰かかるらん”」と詠んで礼を言おうとすると、老人は小舟に乗って朝霧の中を淡路島の方へ行ってしまっている。
人丸さんあれは日頃信ずる玉津島明神に違いないと、”ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島かくれ行く船をしぞ思う”」と、感謝を込めて老人を見送ったというのや」
気が合って仲のいい二人は舞子へと進んで行った。
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