「五百羅漢」


 
あらすじ 昔、本所に五百羅漢羅漢寺があった。元禄年間の建立で、本所五つ目に移り、明治になって本所緑町に移り、さらに目黒不動の隣に移った。これは本所五つ目にあった頃のお噺。

 当時、本所五つ目の五百羅漢にちなむ川柳に、「五つ目は男やもめが五百人」、「釈尊は施主ばかりでも五百人」、「羅漢寺に儲かるという仏なし」(尊者(損じゃ)ばかりという洒落)などがあり、本所のらかんさんと人々から親しまれていて、羅漢寺の僧は♪「本所ぉ~五つ目ぇ~、五百ぅ~羅か~ん」と節をつけ、幟をかついで托鉢に回っていた。

 本所五つ目の小間物屋惣兵衛さんは、姉さん女房のお里さんと二人暮らし。仲は睦まじいが子どもはなく、いつも重い荷物を背負って得意先を回っている。

 ある時、お里さんが病で臥せってしまった。旦那は付きっきりで看病していることも出来ないので女中を雇ったのだが、すぐに二人はいい仲になってしまった。

 病人の勘は鋭く、すぐにお里さんは感づいて悔しくてしょうがない。起きて二人の間に割って入れもせず、そのうちに髪の毛が全部抜け落ちて坊主頭になってしまった。さらに女中の腹に子ができ、生まれる寸前にお里さんは可哀想に死んでしまった。

 親の因果が子に報い・・・、怪談話っぽくなってきたが、この子の頭は全く毛がなく、生えても来ない。女中はそのまま後妻に居直ったが、お里さんの三周忌に、何を悟ったのか、お里さんの夢でも見て悩まされているのか、「おかみさんに申しわけのない、悪いことをした」と、仏壇に燈明を上げて熱心に拝んでいると、燈明の火が髪の毛に燃え移って、すっかりやかん頭、坊主頭になってしまった。

 商売から帰って来た惣兵衛さんがこれを見て、「お里といい、今の女房といい、子どもまでも毛がないのはわたしの普段の行いのせいなのだろうか」と、反省したのか、もうこんな化け物屋敷みたいな家にはいられないと思ったのか、二人を置き去りにして逐電してしまう。

 残された後妻は乳飲み子を抱え暮らして行けない。後妻さん、子どもをおぶって、幟を立てて家々を托鉢、もらいに歩いた。「♪本所ぉ~五つ目ぇ~、五百ぅ~やか~ん」



五百羅漢堂(『江戸名所図会』)
ここ(本所五つ目)から明治時代に本所緑町に移り、
さらに目黒不動の隣の五百羅漢寺に移った。
ここの跡地には奥多摩町氷川より祥安寺が移転、昭和11年羅漢寺と改称した。

本所五つ目の羅漢寺のこと』(高村光雲



五百羅漢さざゐ堂
さざゐ堂



五百羅漢(一部)(宗円寺) 「説明板
松前藩主14代章廣が文政8年(1825)宗円寺に納めた。
室町末期から江戸末期に制作されたもの。 『小樽市の坂③



五百羅漢の坂(坂の途中迂から小樽港、石狩湾方向) 
宗円寺(五百羅漢)の前を通りさらに上る。《地図



羅漢山山頂(247m) 「説明板
釈迦と文殊菩薩、普賢菩薩、十六羅漢
鐘撞堂山・円良田湖






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