「走り井餅」(東の旅N)


 
あらすじ
 大津の宿を後に、喜六と清八の二人連れは逢坂峠を越え京を目指す。
逢坂の関跡で一休みの二人、古来、蝉丸や清少納言らに歌われた歌枕の地だが、「花より団子」、「歌より餅」の二人で歌などとは無縁だ。
ここで道連れになったと、この先の茶店で走り井餅の食べ比べをして、負けた方が勘定を払う賭けをしようということになる。歌では勝負にならないが、食べることなら誰にも引けをとらない二人はすぐにOKし、走井のそばの茶店に入り、いざ食べ比べだ。

無芸大食の喜六は食べることでは三人並み以上だ。餅を飲み込むような早さですぐに侍とは差がついた。これを見てあせった侍は餅をほうばり過ぎて、しゃっくりが出始めて止まらずに、あえなくギブアップとなった。

勘定は払わされるは、しゃっくりは止まらないはで散々の侍は茶店を出て、また二人と歩き始めた。
すると木の陰から菰(こも)を被った乞食が「父の仇、尋常に勝負、覚悟」と飛び出して来た。
おどろいた侍は、「仇を討たれる覚えなどない、人違いであろう」と笠を脱ぎ捨てた。

乞食 「旦那、しゃっくりが止まったでしょ、だったら一文おくれ」


     


大津宿での『こぶ弁慶』(東の旅M)からの続です。

   

逢坂

「武内宿禰、精兵を出して追ふ。たまたま逢坂に遭ひて破りつ。故、其の処を号けて逢坂といふ」『日本書紀』

神功皇后の将軍・武内宿禰がこの地で忍熊王とばったりと出会ったことに由来するという伝承の坂名。

   

関蝉丸神社

歌舞音曲、諸芸事の神、逢坂の関の守り神の蝉丸を祀る。

   

逢坂の関跡 

「逢坂山関址」碑、
百人一首の「これやこの  行くも帰るも  別れては  知るも知らぬも  逢坂の関」(蝉丸)

「夜をこめて  鳥のそらねは  はかるとも  よに逢坂の  関はゆるさじ(清少納言)

「名にしおはば 逢坂山の さねかずら 人にしられで くるよしもがな」(三条右大臣)の歌碑が立つ。 

   走り井餅茶店あたり 《地図

「走井」があり東海道の旅人は、ここで渇きをいやし、茶屋で「走り井餅」を味わった。

大正・昭和期は画家橋本関雪の別荘地だった。今でも「走り井」からは水が湧いている。




走り井茶店(大津・広重画)


   三条大橋

東海道五十三次の終着地。
喜六・清八は京の名所見物をして、伏見街道を南進し、伏見から三十石船で大阪の八軒家浜まで帰る。




三条大橋(広重画)






表紙 演目表へ 次頁へ