「三十石」(東の旅O)

 
あらすじ 京の名所見物をして伏見街道を南に向かう喜六清八伏見人形の店に入る。
饅頭食い」という子どもの人形は、一休さんのとんち話みたいな人形だ。「虚無僧人形」は船酔いのまじないになるとか。清八は「赤牛人形」と「虚無僧人形」、喜六は「牛乗り天神」と「饅頭食い人形」を買って、伏見の宿三十石船の船着き場の寺田屋の浜へとやって来た。

 女の子が、「どちらさんもお下りさんやおへんかいな、お下りさんやおへんかいな」と客を引き、 喜六に向かって、「そこの顔の色の悪いお方、あんた下らんか?」、喜六は「今んとこ大丈夫」なんてとんちんかんな返事。舟が下るのと腹が下るのと間違えているのだ。

 舟が出るまで船宿の二階へ上がらされる。二階の大広間では、碁を打つ人、将棋を指す人、銭勘定をする大阪の商人(あきんど)などで賑やかだ。喜六はせっかく綺麗に包装された赤牛の伏見人形の包みを開けてさわっているうちに角をポキンと折ってしまう相変わらずのドジ。

 そのうちに船宿の番頭が乗船名簿を書きに来る。役場へ出すので、てんごはやめてくれと言う。この間は、二人連れの旅人の名が聖徳太子と坂上田村麻呂で叱られたと念を押し、名前を聞き始めた。

 まず最初は「今橋通り二丁目、鴻池善右衛門」とおちょくられる。次は住友だ。番頭がふざけては困ると言うと、上本町の屋の吉だとかわされる。次は、おいどんは西郷隆盛ならぬ西郷低盛と、こけにされぱっなしの番頭は、男は後回しにして女の乗船客に取り掛かるが、「わらわは照手姫」、塩辛みたいな顔をした婆さんが「みずからは小野小町」で男よりは上手だ。高野山弘法大師、円光大師などと続き、番頭の帳面は目茶苦茶になった。

 船頭が大きな声で船出の合図をすると、二階から「ぞろぞろ、ぞろぞろ・・・・・・・・・・」と下りて、船に「ぞろぞろ、ぞろぞろ・・・・・・・・・・」と乗り込んで行く。

 土産を売る女の子が、「おちり(ちり紙) にあんぽんたん(砂糖のかかった菓子)、ちょっとそこのあんた、あんぽんたん」に、喜六は「じゃがましぃ、そっち行け!」、自分があんぽんたんと言われたと思ったのだ。やっぱりアンポンタンだ。

 すぐに船は一杯になり、立錐の余地もないほどになる。すると船頭が「お女中をもう一人乗せてくれと」言ってきた。「もう乗れん」と乗客はみな断るが、中に一人「お女中」と聞いて三十前後の年増と勝手に思い込み、喜六、清八顔負けの助平心を出した男がいる。自分の膝の上に向かい合せに乗せて、大阪までの船旅を楽しむという妄想・夢想家だ。

 船頭が「お女中」の荷物を先に渡すと男は大事そうに頭の上に吊るす。今度はお女中だ。浮かれている男の所へ、「はいはい、はいはい、親切なお方、 どなたさんでござりますかいなぁ」とお婆さんの登場だ。男の夢は川の藻屑となった。さらに追い打ちをかけるように、さっきの荷物は尿瓶(しびん)代わりの焙烙の器で一度使用済み。お婆さんはまた用を足したいというので男はあわてて頭の上から下ろそうとして、落としてパッチンと割れてしもうた。

 さあ、舟が出た。船頭さんは、「やれ〜 伏見中書島(ちゅうしょじま)なぁ〜 泥島なぁれどよぉ〜(よ〜い) なぜに 撞木町(しゅもくちょう)ゃな 薮の中よ (やれさよいよい よ〜い) 」、「やれ〜 の町にもなぁ〜 過ぎたるものはよぉ〜 (よ〜〜い) お城櫓にな 水車よ (やれさよいよい よ〜い)」と舟歌だ。

 土手か女な子が「勘六さん〜、大阪行たら、小倉屋の鬢(びん)付け買ぉて来てや〜」、
船頭は「何をぬかすぞい、お前らの頭に小倉屋の鬢付けが似合うかい、牛の糞(くそ)でも なすくっとけ」と手厳しい。

「やれ〜 奈良の大仏さんをな 横抱きに抱ぁ〜いてよ (よ〜い) お乳飲ませたおんばさんがどんな大きなおんばさんか一度対面がしてみ〜たいよ〜 (やれさよいよい よ〜い)」

 くらわんか舟が近づいて来る。この舟の船頭はその昔に徳川家康の命を助けたとかで、悪口、お構いなしで、口が荒いので有名だ。
「おぉ、食らわんか、食らわんか!くらわんか餅にゴンボ汁・・・よう食らわんか、ワレ!食うなら銭が先じゃ!食らわんなら早よ、船を出せ、船頭!」、と威張っている。

舟は下って枚方(ひらかた)の手前あたりで夜が明けた。川面は朝もやで真っ白だ。

「やれ〜 ここはどこじゃとな 船頭衆に問ぉ〜えばよ (よ〜い) ここは枚方な鍵屋浦よ (やれさよいよい よ〜い)」

舟の中、乗り合いはみんな、夢の中でございます。三十石は夢の通い路でございました。



                                          (『東の旅@』〜O了)


    


 本来のサゲは、乗客の一人が五十両入りの胴巻がないことに気づく。枚方の手前あたりで下りた男が怪しいと睨んだ船頭が、上りの船頭たちと協力して盗んだ男を捕まえる。乗客はお礼に船頭に五両やる。盗んだのは京都大仏前の蒟蒻屋の職人の権兵衛で、大津からずっと付け狙っていたのだ。
船頭「蒟蒻屋の権兵衛が骨折り損のくたびれ儲けで、船頭に五両の金が入るやなんて、これがほんまの権兵衛蒟蒻、船頭(辛度・しんど)が利じゃ」だが、権兵衛蒟蒻、しんどが利を説明しないと分かりにくいし、「三十石」の単独の落語のサゲとしてはまだしも、「東の旅」の話の締め括りとしては、いささか唐突過ぎるのでは。
 桂米朝は「蒟蒻を作るには桶の中の蒟蒻を足でグイグイと踏んで灰汁(あく)抜きをします。一日中、踏み続けている、そのしんどい労働が日当になる、を生むというわけです。それから転じて、骨折り損のくたびれ儲けというような意味に使われました。「しんどい目をしただけが収穫であった」ということでしょう」(米朝落語全集第四巻)と言っている。



三十石船と煮売茶船の「くらわんか舟」(広重画)


桂枝雀の『三十石【YouTube】


   伏見人形の丹嘉

寛延年間(1748〜50)創業

   魚三楼 《地図

格子戸に鳥羽伏見の戦の弾痕が残る。
   伏見の旧家
   

長建寺 《地図

撞木町、中書島の遊女たちの
信仰を集めた弁財天の寺。かつての中書島遊郭の一角にある

 
撞木(しゅもく)町廓入口 
地図
大石良雄(内蔵助)が仇討の計画をカモフラージュするために遊んだ遊郭跡。
落語『天河屋義平』・
山岡角兵衛

豊臣秀吉が伏見城を築いた頃に開かれ伏見城落城後に一時廃絶したが、江戸時代に盛り返し繁盛した。中書島遊郭と張り合っていた。
   寺田屋の前の寺田浜から濠川(宇治川派流)を行く十石舟
   伏見港公園 《地図

   

三十石船(旅館月見館の玄関前) 《地図

宇治川を巡航していた木造船を引き上げて、当時の資料から復元したもの

   

淀城跡 《地図

   

鍵屋資料館 《地図

枚方宿の淀川三十石船の船待ち宿としても繁盛した旅籠

  八軒家浜(大川・旧淀川) 《地図

伏見からの下りの三十石船の終点で、ここが喜六・清八の「東の旅」の終着地。ここから熊野街道を南下し、安堂寺橋近くの長屋へ戻ったのだろう。
現在は観光船が発着し、川沿いに遊歩道ができ、川の駅「はちけんや」もオープンしている。




八けん屋着船之図(浪花名所図会)
船の中に喜六と清八がいる?


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