「こぶ弁慶」(東の旅M・前半は『宿屋町』) 桂米朝

 
★あらすじ お伊勢参りをすませた大阪の清八、喜六の気楽な二人連れが大津宿に着く。近江屋やら若狭屋やらあちこちの宿屋の客引き女が声をかけるが、「定宿がある」といって断るが、ちょっと別嬪の客引き女の、岡屋という宿に泊まることにする。

 宿に入ると女中がタライに湯を入れて足を洗いに来る。女中は喜イさんの足を洗いながら涙をこぼし始める。国元のいい男を思い出して泣いているのかと聞くと、毛深い喜イさんの足を見て、家で飼っていた牛の足を洗った時のことを思い出したのだという。

 わらじを片方はいたまま部屋にあがったり、宿賃が安すぎるなんて見栄を切って、結局、上、中、並の並にしたり、飯が先が風呂が先かで二人でもめ、風呂にお膳を運べなんて言ったりのその賑やかなこと。

 いざ夕飯を食べ始め陽気に酒を飲んで大声で話していると、隣の部屋の一人旅の男が仲間に入れてくれと入ってくる。するとあちこちの部屋からも客が二人の部屋へ押しかけ、部屋のふすまを取り払って、三味線の弾ける女の子もあげてのドンチャン騒ぎになる。(ここまで『宿屋町』)

 宴たけなわの頃に、一人の男が真っ青な顔で飛び込んでくる。廊下で魔物に出くわしたという。よく聞くとこれが小さな蜘蛛。この男を仲間に加え恐い物の話から、好物の話になる。一番好きな物は、「酒」、「女」、「寿司」、「羊羹」など十人十色でさまざまだ。

 そのうち一人の「つち」が好きだという。「すし」かと聞くと「」だ。古い壁土ほどの美味いものはないという。廊下に落ちていたこの宿の壁土なんかも美味そうだけど、よその家の物だから我慢をしているという。

 これを聞いた連中、壁土を食べる所を見せてもらおうと、落ちている壁土の所へ男を連れて行く。男は美味い、美味いと言って壁土を食べ始める。食べ足らずに壁からかき落としてぎょうさん食って、そのまま部屋に帰り寝てしまった。

 翌朝、壁土を食った男はえらい熱を出して、2.3日宿屋で寝ていたが、ついに通し駕篭で京都へ帰る。住んでいるのが綾の小路の麩屋(ふや)町というあやふやな所。

 4.5日も経つと熱も下がり、元気になったが右肩にポツンとでき物ができ、これがだんだん大きくなり、ついには人間の頭ほどのこぶ(瘤)となって、目鼻、口ができ物を言い始めた。

こぶ 「わしは、武蔵坊弁慶じゃ 大津宿の岡屋半左衛門の宿の壁土の中には、大津の絵師、浮世又平の描いた我が絵姿が塗り込めてあった。なんとかして壁土から抜け出し、再び源氏の御代にせんと心を砕いていたが、その方が壁土を食ろうたによって体を借りて出てきた。これからは、日に飯2升、酒3升、ちょいちょい遊びに連れて行け」なんて言い草だ。

 医者に見せてもこんなけったいな病は分かるはずもなく、仕方なく家で枕ふたつ並べて寝ていると、心配した友達が様子を見に来る。

 友達は医者にも見放された苦しい時の神頼み、蛸薬師さんへこぶと言わずいぼだと言って蛸を断って日参してみろという。男はこぶを風呂敷に包み、スイカかなんかを運んでいるような格好で、近くの蛸薬師さんへ毎日お参りだ。

 そんなある日の夕方、蛸薬師さんからの下向道で、大名行列に出くわす。「控えい、控え〜」の声にも、こぶの弁慶さんは頭も下げようともしない。それどごろか、いきなり行列の前へ躍り出て、曲者、無礼者とかかってきた伴の者を手当たりしだい投げ飛ばし、大音声で名乗りを上げる。

 そこへ、駕篭から降りた殿様、行列を妨げた無礼者を新刀の試し斬りにするという。暴れ放題、言い放題のこぶ弁慶は疲れたのか、もう男の肩で寝てしまっている。


 「どうぞお助けを・・・・昼間ならまた御威光にかかわることもござりましょうが、このとおり夜に入りましたんで、どうぞお見逃しのほどを」

殿様 「昼間ならばまた勘弁のいたしようもある。夜のこぶ(昆布)は見逃しがならんわい」


  
大津絵の弁慶

落ちは、「夜の昆布は見逃せん」といって、夜間、昆布を見たらちょっとつまんで食べる、よるのこぶ・・・よろこぶ・・・喜ぶ・・・という言葉の洒落です。花柳界、水商売では今でもある風習だそうです。

この噺は「東の旅」(伊勢参宮神之賑)の中の一つで、『矢橋船』(東の旅L)からの続です。「伊勢参宮」の部分は今は絶えて演り手がないそうです。上方落語らしい奇想天外で飛躍のある噺で、前半の大津宿の部分は「宿屋町」としても演じられます。大津宿の部分は清八と喜六が主役、後半は壁土を食った男(名前は出てこない)とこぶの弁慶さんです。場面も大津宿から京都へと変わり、登場人物も多種多様で、米朝ならではの大ネタの噺でしょう。宿屋でのドンチャン騒ぎと、大名行列にこぶの弁慶さんが暴れ込むところは鳴り物お囃子入りで、こぶの弁慶の名乗りは芝居がかって演じていました。

大津絵は、落語「猿後家」にも登場します。


この先は、『走り井餅』(東の旅N)へ続きます。


桂米朝の『こぶ弁慶【YouTube】



大津八丁札之辻(伊勢参宮名所図会)
「千観の 馬のせはしや としの暮れ」(其角)

   

札の辻 《地図

東海道は左に曲がる。大津宿には宿場の面影は残っていない。

   三井寺(正式名は長等山園城寺)境内から大津市内、びわ湖。

   三井寺金堂(国宝)
   近江八景のひとつ「三井の晩鐘
   大津宿内の古い家並み
   麩屋町通り(北は丸太町通から南は五条通までの南北の通り) 《地図

壁土を食べた男が住んでいた綾小路麩屋町、ここから蛸薬師はすぐ近く。
   麩屋町通り説明板
   蛸薬師(永福寺)

新京極通り蛸薬師通りのの角にある。《地図

薬師さんに手を合わせ、一生懸命お願いをしている女性がいた。


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