「一眼国」  林家正蔵(八代目)

 
★あらすじ 昔は本所辺りを向両国といい回向院を中心に見世物小屋が並んで賑わっていた。いんちきな小屋も多く、「世にもめずらしい目が三つで、歯が二つの怪物」が中へ入ると下駄が片っ方置いてあったり、大きな糊を付けて、六尺の大イタチ(鼬)、「さあ、ベナだ、ベナだ、大ベナだ」は大きなが伏せてあったり、「八間の大灯籠」が表から入ると手を引っ張られ裏口から突き出され、「表の方から裏の方へ、通ろう、とうろう」、なんてふざけたもの、赤子を食べる鬼娘なんていういかがわしい物まであった。

 両国で見世物小屋を持っている香具師(やし)が諸国を巡っている六部を家に上げて、六部が旅の途中で見聞きした珍しい物や話を聞きだそうとする。その話をもとに本物を探し出し、見世物小屋に出し大儲けをしようという魂胆だ。

 六部はそのような事は覚えがないというので、香具師は仕方なくお茶漬けを食べさせ帰そうとする。食べ終わった六部が、一度だけ恐ろしい目にあったことを思い出したのでお礼に置き土産に話してして行こうという。

 巡礼の途中、江戸から北へおよそ120〜1,30里の大きな原の真ん中の大きな榎の所で一つ目の女の子に出くわしたという話だ。この話を聞いて喜んだ香具師は紙に書きとめ、お世辞たらたらで六部を送り出す。

 香具師は早速支度をして北へ、一つ目を探しに旅立った。夜を日に継いで、大きな原にたどり着く。見ると原の真ん中に一本の大きな榎。足を早め近づくと、「おじさん おじさん」の子どもの声、

香具師 「いいものあげるから、おいで おいで」と言って、そばへ寄ってきた子どもを抱え込む。びっくりした子どもが「キャ〜」と叫ぶと、竹法螺、早鐘の音とともに、大勢が追って来る。

 子どもも欲しいが命も欲しく、子どもを放りだし一目散に逃げ出したが馴れない道でつまづき、捕まってしまう。村の役人の前へ引き出され、回りを見るとが皆、一つ目

役人 「これこれ、そのほうの生国はいずこだ、・・生まれはどこだ、なに江戸だ、子どもをかどわかしの罪は重いぞ、面を上げい・・・面を上げい!」

百姓 「この野郎、つらあげろ!」

役人 「あっ!、御同役、御同役、ごらんなさい、こいつ不思議だね、目が二つある」

役人 「調べはあとまわしだ、早速、見世物へ出せ」

 収録:昭和60年9月
「爛漫ラジオ寄席」

     

 ちょっと変わった噺です。少数も多数も、常識、非常識も、日常、非日常も所詮相対的なものだという風刺でしょうか。一眼国で捕まった香具師を可哀想とは感ぜず、むしろ欲張りの果てでいい気味だと思ってしまいます。自分は一眼国の人間としてこの落語を聞いていたのでしょう。
 「幻の一眼国」は「江戸から北へおよそ120〜130里」ですから、正蔵(8代目)の噺では北上から盛岡あたりでしょうか。
 噺の後半になると「落ち」は分かってきますが、やっぱり最後の「逆さ落ち」は見事です。演じられた年月は不明ですが、正蔵の声は若く、張りがありテンポもいいです。枕の見世物小屋の風景を独自に練り上げ、正蔵の得意ネタの一つにしたそうです。

香具師(やし)とは、縁日、盛り場などに店を出し、いかがわしい品物を売る業者、「テキ屋」。「男はつらいよ」の寅さんの商売。

六部 「六十六部の略。 法華経を六十六部書き写し日本全国六十六か国の霊場に一部づつ奉納して回った僧。江戸時代には諸国の寺社に参詣する巡礼または遊行の聖。

 

春風亭柳朝の『一眼国【YouTube】


   見世物小屋が多かったという両国の回向院境内(墨田区両国2丁目)

明暦3年(1657)の振袖火事の死者を弔うために幕府が建立した。

東都名所 両国回向院境内全図

回向院開帳参(『江戸名所図会』)

   回向院境内の鼠小僧次郎吉の墓。
墓石のカケラを持っていると、ご利益が厚いというので墓石を削って持って行く者があとを絶たない。前の白っぽい石は、削りようの墓石。親切にも左の立札に、「こちらの「お前立ち」をお削りください」と書いてある。後ろに過去に削られてしまった沢山の鼠小僧の墓がある。


奥州街道成田一里塚跡(北上市)


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