「鰍沢」


 
あらすじ 身延山参詣に向かう江戸の商人の新助。小室山で毒消しの護符をいただき、法論石から鰍沢に向かう途中で道に迷ってしまう。

 夕刻が迫り雪が降り続く中を、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・」と、題目を唱えながら人家を探していると、前方にぼんやりと灯りが見えた。一夜の宿を乞うと女主人(あるじ)が、「・・・雪をしのぐだけだったら・・・」と中に入れてくれた。

 囲炉裏にあたって冷え切った身体を温めながら、女をゆっくり見ると年頃、二十七、八で、頭は櫛巻、着ている物は(つぎ)だらけの東海道(五十三)だが、白粉(おしろい)っ気なんかは微塵もないが色白で、長い羅宇の煙管でプカリ、プカリ。こんな山の中にいるのが不思議ないい女。ただ、首から喉へかけてひどい突き傷が残っている。

 新助はどこか見覚えがあり、「もしや吉原の熊蔵丸屋のお熊、・・・月の輪花魁ではございませんか?」、びっくりして身構えた女は新助が吉原にいた頃の客だと分かり、身の上話を始めた。
お熊 「心中をしそこない、品川溜に下げられて女太夫になるところを、やっと二人で逃げ出し、こんな山ん中に隠れているんですよ」

新助 「お連れ合いの方は何を?・・・」

お熊 「もとは生薬屋の職人ですから、ただ膏薬(こうやく)を練ることことぐらいしか出来なくて、熊の膏薬をこしらえて近くの宿(しゅく)へ売りに歩いているんですよ」、話もはずんで新助は胴巻きから二両取り出し、

新助 「失礼ですがこれはほんの心ばかり。どうか納めてください」、お熊は胴巻きを横目で見て、遠慮はしたものの二両は受け取り、

お熊 「何もありませんが地酒の卵酒で身体を温めてください」と、囲炉裏で熱くした酒に卵を二つ入れて差し出した。酒は下戸並でほとんど飲めない新助だが、湯気の立った酒と中に入った卵を見て、これなら身体の芯から温まるだろうと、一口、二口と飲んで、吉原にで遊んだ時の思いで話などをし始めた。

 すっかりいい気持になり昼間の疲れもあって眠気が襲ってどうにもならず、
新助 「ご亭主が帰るまで待っていなければならないのですが・・・横にならせていただきたい」と、奥の三畳の部屋で寝てしまった。

 お熊は亭主に飲ませる酒が少なくなったので近くの酒屋へ買いに行った。そこへ八千草で編んだ山岡頭巾、狸の皮の袖無しを着て、鉄カンジキを履いた亭主の伝三郎が帰って来た。お熊はいないし囲炉裏の回りは誰かが居たように散らかっている。

 卵酒が飲み残してあるのに気づいて、
亭主(伝三郎) 「亭主が雪ん中駆けずり回って稼いでりゃあ、かかあは家ん中でぬくぬくと卵酒喰らっていやがる・・・」と、冷めた卵酒をがぶがぶと飲んでしまった。

 帰って来たお熊が家に入ると亭主が、「おおぉ、苦しい、お熊、苦しい、腹が痛えっ・・・」と、もがき始めた。ふと見ると卵酒が空になっている。

お熊 「お前さん、この卵酒飲んだね。これには毒が入っているんだよ。奥に寝ている旅人の胴巻きに百両の金があると睨んで、お前のこしらえた痺れ薬を酒の中に入れたんだよ」、

 ぐっすりと寝入っていた新助だが大声で話す声で何事かと目を覚ますと、卵酒に毒と聞こえてびっくりだが、全身がしびれて立ち上がれない。

 転がるように外に出ようとして雨戸にぶつかると、壊れかけていたのがはずれて新助の身体は雪の中に転がり出た。「・・・妙法蓮華経、妙法蓮華経・・・」と唱えていると懐(ふところ)に小室山毒消しの護符があるのを思い出した。雪と一緒に口に入れ呑み下すと、少し身体が動けるようになる。

 そのまま逃げればいものを、また部屋に戻って道中差しと振り分け荷物を持って逃げにかかった。亭主を介抱していたお熊が物音に気づき、「野郎感づきゃあがった。お前の仇を取って来るから」と、亭主の鉄砲を持って新助を追っかけて行く。

 新助はどこに向かっているのかも分からずに、こけつ転びつ走って行くだけ。だんだん坂道のように上って行く。その先には村があるだろうと勝手な期待だが、坂のてっぺんで行き止まり、ひょいと下を見ると、東海道は岩淵へと流す鰍沢の富士川の流れ。降り続く雪で水かさは増し、ゴーゴー、ガラガラガラ・・・の急流。所も名代の蟹谷淵。

 前は断崖、後ろに鉄砲、進退ここに極まってどうしようもなく、合掌を組んで、「妙法蓮華経、妙法蓮華経・・・」とひたすら題目を唱えるのみ。すると新助が乗っていたのは雪庇で、新助の重みで崩れてダダダダダーッ・・・。雪ととも新助の身体はドスンと山筏(いかだ)の上に落ちた。

 途端にもやってある藤蔓(ふじづる)が切れて筏は濁流へ流れ出した。波に揉まれ岩にぶつかり、筏はバラバラになって行き、とうとう一本になってしまった。

 必死に材木にすがりつく新助の川下に回ったお熊は岸から狙いをつけ鉄砲を撃った。新助の胸脇をかすめた弾は後ろの岩にカチーン。材木にすがったままの新助は急流を下って、お熊の姿は遠ざかって行く。
新助 「ああ、お材木(題目)で助かった


    
卵酒・毒消しの護符・鉄砲の三題噺(三遊亭圓朝作)

サゲは『おせつ徳三郎(下)』と同じ。

この噺は最初は芝居噺で最後のところは、「思いがけなき雪の夜に、御封と祖師の利益にて、不思議と命助かりしは、南無妙法蓮華経の七字より、一時に落とす釜ヶ淵、矢を射る水より鉄砲の、肩をこすってドッサリと、岩間に響く強薬、名も月の輪のお熊とは、食い詰め者と白浪の、深き企みにあたりしは、のちの話の種が島、危ないことで・・・あったよなぁ~、これでまず今晩はこれぎり~」



 
                     熊の膏薬売り

        


身延道道標(甲州街道甲府柳町宿の甲府相生) 《地図
信州道(甲州街道・直進)と身延道(河内路・左折))の分岐点。
道標(昭和50年に復元)の写真
新助はここを左折し南へ、青柳の昌福寺から小室山妙法寺で毒消しの護符を受け、
法論石懸腰寺)から鰍沢へ出て身延山久遠寺へと向かう予定だったのだろう。



東海道の岩淵の富士川の渡しから
ここから富士川沿いを北上するのも身延道の一つ。
東海道(蒲原宿→由比宿)』



身延山道標と鬚(ひげ)の題目碑 《地図
駿河と甲斐を結ぶ重要な交易路で、
駿河侵攻を目論む武田信玄の軍用路として整備された。
江戸時代になり、日蓮宗の総本山身延山への参詣道として使われるようになった。

東海道(由比宿→興津宿→府中宿)』






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