「木津の勘助」

 
あらすじ 淀屋橋の近く今橋三丁目の材木問屋、「淀十」の暖簾のかかる淀屋十兵衛に入って来た百姓風の二十七、八の男。

男 「え~、ごめんなはれや十兵衛いてるか?」

番頭 「十兵衛? 十兵衛と申しますと、あの~、 柳生十兵衛?」

男 「アホ言え、この主(あるじ)の十兵衛いてるかっちゅうねん」、店先で大きな声で番頭と誰かがもめているのを聞いて、

淀屋 「わたしが代わりまひょ・・・、当家の主、淀屋十兵衛でございますが・・・」、男は木津に住んでいる勘助と名乗り、今日、鉄眼寺へ親の墓参りに行った際に、淀屋の墓の隣の小さな墓の上の袱紗(ふくさ)の包みを見つけ寺の坊さんに届けた。淀屋の忘れ物と分り、わざわざ遠回りをして届けに来たと言い、中身を改めて受け取れと強い口調で迫る。

淀屋 「はい、確かに入っております。・・・あの~、これはほんのお礼のしるしでございますので」と、十両を差し出した。

勘助 「こら、いったい何や?金持ちは何でも金さえ出したら済むと思てけつかんねん。ご先祖さま大切にしての墓参り、 そら分かったるわい。けど、お隣りにある小さなみすぼらしい墓かて、誰かのご先祖さまが大切な墓と違うんかい? われとこのもん置く台と違うで。自分さえ良かったらという性根が気に入らんさかい十兵衛、十兵衛言うてんのじゃ」

淀屋 「なるほど、あなたさまのおっしゃるとおり、まことに申し訳ございません・・・」と、手をついて頭を下げた淀屋を見て、

勘助 「おっと、顔上げて、頭上げて。俺みたいにこんな貧しい身なりのもんに、ここまで言われても、ごもっともと頭を下げての謝りよう恐れ入りました。今度は俺から頭下げんならん、淀屋はん、えらいすまんこって。 さあ、気持ちよお帰らしてもらいまっせ。木津へ来 たら是非、寄ってくだせえ。米屋の六兵衛の長屋におりますんで、・・・」、勘助は十両の金に見向きもせずにポイッと帰って行った。十両盗むと首が飛び、「万年も生きよおと思う亀吉が十両盗んで首がスッポン」と言われたご時世だ。

淀屋 「番頭さん、いやぁ、わたしゃあの男に惚れました」、「旦さん、そおいうご趣味が?」

 早速明くる日、 淀屋は土産にたくさん煎餅を買い込み木津の勘助の所へやって来た。
勘助 「おぉ、煎餅や、俺の大好物や・・・」、茶を飲みながら煎餅を食ってゆっくり話をしているうちに淀屋十兵衛さん、この勘助が政(まつりごと)から遊びまで、諸事雑般、何でも知っているのに驚いた。

 これが一つの縁、きっかけとなり、大金持ちと貧しいもんが対等の付き合いをするようになった。勘助も今橋のお宅へちょいちょい顔を出して、店のもんとも親しくなって、お嬢さんとも口を利くようになる。  

 このお嬢さん、お直さんは十七、八で今橋小町、今小町と評判の別嬪さん。このお直さんが病の床についてしまった。医者の見立てでは気の病、ことによると年頃ゆえの恋煩いかもしれないと言う。

 相手は誰か、見合いした若旦那の中の一人か、店の者か、役者か、噺家?か、いろいろさぐりを入れて見るが分からない。 お直さんが小さい時からなついている婆やに聞いてもらうと、
婆や 「お嬢様の思っているお方は、旦さんのよくご存じの方です。 あの勘助さんです」

淀屋 「勘助? あのすっからかんで文無しの・・・、ほぉ~、どこが気に入 たんや?」

婆や 「お嬢さんは金持ちの家に生まれて、金持ちの家で一生送るよりも、勘助さんのようなしっかりした人の女房になって、無いところから一つのものでもこしらえてみたいと、おっしゃいます」

 淀屋自ら勘助の家に行って、「勘助さんあんた、決まったお人でもおいでですかいな?」、「そんなもんあれへん、あれへん」、

淀屋 「うちの娘、お直が・・・」と、お直の思いを話すと、

勘助 「えらい、そのひと言気に入った、もらいまひょ」、「あげまひょ」、猫の仔みたいだが目出度く縁談がまとまった。さっそくこの話を家主の米屋の六兵衛さんに持ちかけると、、面倒見のいいこの六兵衛さん、ちゃんと支度してくれて、おまけに離れの座敷までこしらてくれた。

 新婚早々でも働きもんの勘助は、朝早くから野良へ仕事、お嬢さん育ちのお直さんも、飯の炊き方から炊事・洗濯・掃除、鍬の手入れ、井戸端会議の一員、・・・見る見るうちに百姓の女房らしくなって行った。

 ある日のこと、ぼんやりと暗い顔で帰って来て、
勘助 「米屋の六兵衛さん、米相場に手を出して二百両の金がなかったら、店をたたんで夜逃げをせんならんちゅうんや。助けてやりたいけど、金がないねや。金がないのは辛いもんやなぁ」

お直 「あのぉ、たったの二百両でございますか?わたくしがこちらへお嫁にまいりました時に、お父っつぁんが当座の小遣にと、これだけくださいました」

勘助 「えらいもんやなぁ、金持ちは。当座の小遣に二百両?」

お直 「いいえ、三千両、天王寺屋五兵衛さんに預けてあります。書付を持って行きますとすぐにくださいます。どうぞ三千両、ご自由にお使いください」 、二百両で六兵衛さん方は簡単に片付いたが、さあ、二千八百両も余ってしまった。

勘助 「こんな金、積んどくだけなら石や瓦と少しも変わらん、よし、この金を俺が綺麗に使こてみせる」

 以来、勘助は木津川の水運や土木・開墾事業に尽くして行く。寛永16年(1639)に近畿一円が冷害の大飢饉の時に、米(大阪城の備蓄米)放出を願い出たが聞き入れられず、私財を投げうって村人に分け与えた。それも限度がありついに「お蔵破り」を決行した。その罪で葦島(あしじま・現在の大正区)に流され万治3年(1660)に亡くなった。今でも敬愛されている木津の勘助の一席。




木津勘助銅像(大国主神社境内)
木津勘助由来の「木津勘助町」・「木津大国町」が
昭和55年に「敷津西」に変更されるまで存在した。
勘助の墓は唯専寺にある。

竜田越奈良街道①



淀屋橋・「淀屋屋敷跡」(屋敷跡碑

淀屋の登場する落語『雁風呂



鉄眼寺(瑞龍寺) 《地図



591(2017・12)




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